自分という最も身近な他人_2021/11/23

「自分のことなら自分が一番よくわかってる!」

というような文句を、一度は耳にしたことがあるだろう。確かに、他の誰かより長く付き合っている自分という人間に対しての理解度が高いことは、そうなのだろうと思う。ただ、それは同時に他人と比べて自分のことの方が比較的よくわかっているという話に過ぎないとも思う。

ぼくは、自分のことがとんとわからない。

もしも自分のことがよくわかっているのなら、体調を崩したりはしない。思いがけず泣くことも、思いがけず笑うこともない。そういった心の面もそうであるし、また自らの寿命など知らないし、未来など当然知らないし、過去すらも時が経つほどに曖昧になっていく。歯医者に行かなければ虫歯に気がつかないこともあるし、自分の体温が何度であるのか体温計を使わなければわからない。

自分とは『最も身近な他人』であるように思う。

自らの心のことも、体のことも、よくわからないまま生きている。時に知らない自分と遭遇したりする。自分なのにも関わらず、である。それなのにぼくは、自分の主導権は自分にあるのだと考えてしまう。では、そもそも自分とは何を指して自分、と言っているのだろうか。

自分とは、頭のことだろう。

例えば、この文章を書いている頭だ。あるいは、この文章を読み理解しようとしている誰かの頭だ。あるいは明日は早く起きようと考えた頭であり、LINEの返信文を考えている頭である。それぞれ、目や手を使っているかもしれない。また、それらの行動に伴い心が弾んだり、緊張したりするかもしれない。そこでぼくらは「考えて」しまう。例えば文章を読むという一連の流れに関してだ。

読み、理解し、感じる。これら全て自分が『自分』であると。

しかし、ぼくの見解は異なる。この三つの中で自分がいたのは、理解のみである。読んだのは体であり、感じたのは心だ。じゃあ全部自分じゃないか、そう思うだろうか。今日は、そうではない可能性の話をしよう。


体、心、頭。これら三つは全く独立した存在だ。

そして自分がコントロールしているのは、

このうちの「頭」。

『考える』ということだけである。


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