孤独と幸福の両立は可能か_2021/02/22

「書かずに済む日の為に、書いている」

ぼくがずっと言ってきたことだ。ぼくにとって書くとは呪いで、書かなければいけないから、書かなければ生きていけないから、書いているものだった。書かなくて済む日が来たのなら、それはきっと幸せで、だからその日がもし来たら、書くのを辞めよう。そう思っていた。けれど、人と関わり、暖かさを知り(心が無かったロボットみたいなことを言っているな)、信じ、信じられ。気がつけばぼくは、幸せを手に入れてしまったように思う。だから、つまりは来てしまっていたのだった。ずっと夢見ていた日が、既に。

ぼくはもう、孤独ではないから。
孤独が書く原動力であったとしたら、
もう書く必要すら、気がつけば無くなっていた。

書く必要が無くなったと自覚した時に芽生える感情は、さぞ爽快なものなのだろうと思っていたのだけれど、全然違った。確かにぼくは、幸せとやらになりたかったように思う。けれど、これまで抱えてきた孤独を捨てることは、それもまた、違う気がしてならないのだ。要は。

「幸福」とは他人を想う自分であり、

「孤独」とは自分を想う自分なのだ。

幸福を投げ出したいわけじゃない。けれど、孤独のおかげで関わった世界や人達もいる。書かなくても良くなった今、改めて。ぼくは書きたいと思うのだ。孤独を、自分が大切な自分を、捨てたくない。孤独でなければ書けない。けれど孤独であろうとすれば、幸福からは、他人との関わりからは遠ざかってしまう。だからここからは、孤独と幸福という相反していそうなこの二つの要素を両立させる方法を考えていく。

いや、厳密に言うともう答えは出たのだ。

だからこれは、どういうフローを経てその結論に至ったかの自分の整理だ。

ちなみに先に、結論を言ってしまうと。


結論:孤独と幸福の両立はできない、ただし。


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