食人鬼_其の六『餌の時間』

 待っていて。
 待っているから。


「制服が、煙草臭い」
 喫茶店『せせらぎ』で時間を潰そうと思っていた私だったが、密室に籠った煙草の煙に耐えかねて退散してきた。そうして今は、さかなさんが教えてくれた『餌の時間』に使われているという、倉庫前に座り込んで、有村さんが出てくるのを待っている。それにしてもマジでクセェ。
「まぁでも、私ももしかしたら気がついていないだけで、体臭がキツいとかあるかもしれないからな。マナーを守っている喫煙者には優しくしよう」
 などと自分でも意味のわからないことを口走りながら、倉庫の前で体育座りをして海を眺めていた。あの海の向こうには、私が嫌で嫌で離れたかった本土がある。一時はあそこに戻りたいと思ったことさえあったけれど、今はやっぱり嫌だなと思う。やっぱり私は鬼なのだろう。鬼だらけのこの島は、なんだかんだ居心地が良いように感じられた。
 この喜日島は何もかもが偽りで、何もかもが狂っていた。偽りの表紙、偽りの役割。それに、ここに来るまでに確かめて来たのだが、やはりほとんどの店が閉まっていた。今ならそれが、閉まっているわけではなく、単なるハリボテなのだとわかる。他の店なんて最初から無いのだ。ただ役者のいない空っぽの箱があるだけ。もしかしたら、私が大人になったり、あるいは島に大人の誰かが来たら、そこに新しい役割が割り振られるのかもしれなかった。
 それでも、私の新しい居場所だから。
 そう思うしかないよね、○○太郎。
 と、誰かしらの大人にガチギレされそうなことが頭によぎったとき、水平線に船が見えた。それは私が乗ってきた小型フェリーくらいの大きさで、港に向かっているようだった。ああ、そういえば昨日、孫の手を頼んだから、それが早速届いたのかもしれない。ババアじゃねぇかというツッコミは受け付けない。女子高生だって肩は凝るのだ。特に最近は慣れない読書、なのかは怪しいけれど、兎に角読み物に熱中していたから、肩が凝って仕方がないのだ。
 しかしよくよく考えてもみると、あの船に乗っている人か、他の誰かがいるのかは知らないが、私に孫の手を届ける為だけにわざわざ、あんな島の奥の学校まで来なければならないじゃないか。それはあまりにも不憫過ぎる。それが仕事だと言ってしまえばそれまでだけれども、今私が受け取ってしまえば済む話なら、そうした方がいいだろう。
 ということで、私はずっと座っていて痺れた足を生まれたての子鹿のように震わせながら、倉庫を離れて港へ向かった。港に到着する頃には、既に荷卸しが始まっていて、コミュ障の私は近づいたり離れたりを繰り返す変質者となって船員の方をビビらせながらも、なんとか声を掛けることができた。
「あ、あの。孫の手ありますか。それ私ので」
「ありますよ、これです。いやぁここで受け取ってもらえて助かりました。プレゼントなんて、親孝行なお嬢さんですね」
 なんか勝手に孝行娘にされてしまったので、もういいやと訂正はしなかった。それよりも、鬼である私と普通に会話をしたり、島にいるわけがない親の話を振ってくるあたり、この船員はあまり島の事情を理解していないように思えた。まぁ、こんなイカれた島だ。その実情を知るのはごく限られた一部の人間だけだろう。荷物を運ぶくらいの人が、わざわざ島の詳細を伝えられたりはしないのかもしれない。
「いえいえ。一日に二回も来なきゃいけないなんて、お疲れ様です!」
「流石にそんなには来れませんよ、多くても日に一回が限界で」
「え? いやでも、人を乗せて来てますよね。たぶん。その、なんというか。危ない感じ? の、人っていうか。だから二回目かなって思いまして」
「危ないかは知りませんが、たまにありますね、小型フェリーで人を運ぶことも。最近だと一ヶ月以上前になりますけど」
 一ヶ月以上前に島へ来たのは、私とラビちゃんだ。
「あれ、じゃあつまり。ここ一ヶ月間は人を運んでないってことですか? 例えばですけれど、他の会社の船が来てるとか、ありませんか?」
「運んでないですね。他と取引が無いと言い切れはしませんが、考えにくいことだと思いますよ。自分は自衛官で、ここは自衛隊の管轄なので」
 自衛隊が一般船にカモフラージュして、物資を届けている? 末端の自衛官ですら、島の内情はよく知らされていない? 学校が国立であることから、この島の管轄はなんとなく国そのものなんだろうと思ってはいたが、そうなってくると自衛隊以外の船が来る可能性は限りなく低いだろう。それとも、目の前の彼にすら内緒にして、別便で死刑囚を運んでいるのだろうか?

(哀憐は結構、同情も結構。けれど忘れないで)
 ふと、さかなさんの言葉が頭をよぎった。

(血縁だけで連れて来られたわけじゃない)
「ごめんなさい、やっぱりこれいらないです」

(それなりのことをやらかしてここにいる)
 私は孫の手を自衛官さんに押し付け、走った。

(分かり合えるなんて思わないで)

 そもそも『餌の時間』というのは、誰から聞いた話なのか。さかなさんだ。さかなさんが、言っていただけだ。死刑囚を島に連れてきて、それを有村さんが食べているという話を、私は他の誰からも聞いていない。本人からすら、聞いていないんだ。
 そもそもおかしい話なのだ。この島では血が暴走したら、鬼として処理される。そういう場所であるはずだ。身代わりの死刑囚なんかを用意できるなら、三吉良美が引き裂く相手だって連れてくることができたはずなのだ。有村さんだけ、食人鬼だけ特別扱いする道理がない。
 それなら有村さんは、いつも何しに行っていた?
 警察官、川住かえでと二人だけで。


 倉庫は海辺にポツンと一つ立っており、外から見れば無骨な体育館のようだった。搬入用の大きなシャッターは、持ち上げようとしたが無理だった。私は息切れする呼吸を、胸に手を添えて整えながら、倉庫の周囲を見て回った。そして『関係者以外立ち入り禁止』と張り紙が貼ってあるドアを見つけ、恐る恐る中に入った。
 中は電気が点いていないようで薄暗く、あれは二階と言えるのだろうか、建物の上部を囲うようにして設置された細い通路と、その傍に同様に並んだ小窓から、日差しが入ってくるだけだった。だがそれでも、状況を把握するのには充分な灯りだった。何せ倉庫は死刑囚どころか物一つ無い伽藍堂で、体育館のような広い空間の中心に、二人がいるだけだったのだから。
「あん、んん、んんん!」
 背もたれのあるパイプ椅子に体を縛られ、口に咥えたそれのせいで呻き声しか出せず、口の端からヨダレを冷たい床へ垂らす有村さんと。
「もう限界か。いいぞ、食べても」
 有村さんの口に前腕を押し付けるようにして咥えさせ、余った片手で有村さんの眉間に拳銃を突きつける、警察官。川住かえで。
「安心しろ、そのときは僕が撃ち殺してやる」
 有村さんは赤い瞳に涙を溜めながら、自分の歯がかえでさんの前腕に食い込まないよう、食いちぎってしまわないよう、必死に耐えている様子だった。それは『餌の時間』とは真逆の、まるで拷問のような光景だった。
「さぁ、早く食べてしまえよ。僕もこの引き金を引きたくて、しょうがないんだ。我慢してるんだよ、こっちも。片腕くらいくれてやる。さぁ、さぁ!」
 有村さんがこの倉庫を訪れるとき、いつも、この拷問を受けていたのか。いや、拷問ですらない。それは聞き出す内容があって行うものだ。でもこれは、この島での唯一の正当な人殺し、血の暴走を止めるという名目の為だけの、こんな。こんな。
「帰りましょう、、、有村さん、、、」
 体が自然と動いていた。なんの考えも無しに、なんの準備も無しに、私はただフラフラと、歩いて二人に近づいていった。
「あ? お前、鬼の友達か。何の用だよ。ここはお子様が来るところじゃねぇ」
「こんなところに、いちゃいけない」
 有村さんは私を見つけると、赤い瞳から一筋、涙の雫を冷たい床に落とした。どうして有村さんは、かえでさんの言いなりになって、毎回この倉庫へ自分の足で向かっていたのか、脅迫でもされていたのか。それは、彼女を殺してから考えればいい話だった。
「近寄るな、撃ち殺されてぇのか」
 どういうわけか、向けられた銃口は全然怖くなかった。それよりも、また私の無知のせいで、誰かが傷つく方が怖かった。嫌だった。今度こそ、助けたいって。だから。私は。
 
 怖くない。


「アリスを、返して」


(鬼人の国のアリス 食人鬼編 其の六『餌の時間』 )


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