第四杯_人間万事塞翁が馬(前編)_小説版『晒し屋』

 それは今から数年前、まだ俺がフリーの記者をやっていたときのことだ。当時の服装は目立たないよう、地味なスラックス、黒いシャツに濃い緑のジャンパーを羽織り、リュックを背負っていた。カメラを持つ両手を空けておく為だ。髭なんてロクに剃っちゃいなかった。自分の見た目になんて、興味はなかった。
 記者と言っても実際は、人様の尻を追っかけて、人様の弱みを写真に収め、有ること無いこと記事にして飯の種にする社会のゴミだったわけだが、そういう意味では、俺は前職も晒し屋だったと言える。若い頃はそれなりに記者魂というか、世間の闇を暴いてやろうという気概を持っていたはずだが、三十歳を過ぎた頃にはそんな絵空事などとっくに忘れていた。頭にあるのは常に、そのネタは金になるのかどうか、それだけだった。
 金になるネタを求めてカメラ片手に、あの日も俺はいつものように取材対象を尾行していた。若手の舞台俳優と不倫疑惑のあった女優だ。相変わらずくだらない仕事だったが、こういうのは安定して金になった。そうして二人がホテルの中に入っていく瞬間を写真に収めると、俺は夜食を探しに近くのコンビニへ向かった。二人がホテルから出てくる朝まで、俺も近くのホテルで張り込むからだ。
 そうして、煙草を吸いながら夜の街を歩いていると、ゴミ捨て場に頭を突っ込んで寝ているスーツ姿の、恐らくは男を見かけた。時間も時間だったし、酔い潰れたのだろう、その程度に考えて素通りしようとしたが、何かが引っ掛かり、俺はゴミ捨て場の前で立ち止まった。そして「大丈夫ですか」と声を掛けながら男の体を揺すった。そのとき、男が頭を突っ込んでいるあたりのゴミ袋に、赤黒い液体が付着していることに気がついた。俺が恐る恐るその男の足を引っ張ると、ゴミに埋もれた体はずるりと、力無く、されるがままに引きずられた。
 それは俺が初めて見つけた、首無し死体だった。



 俺は善良な市民の一人として、しっかりと警察に通報し、そして首無し死体を写真に収めた。金になるかもしれないと思ったからだ。しかし結局、売れたのは俳優同士のくだらないホテル騒ぎの写真だけで、どのメディアも首無し死体の写真は買い取ってくれなかった。それどころか、首無し死体なんて最高な見出しになりそうな事件をテレビも雑誌も報道しなかったのだ。気になった俺は後日、通報した交番で首無し死体の事件について訊いてみた。するとその場にいたお巡りは「そのような事件はありませんが」と、半笑いで教えてくれた。
 こういう仕事をしていれば、メディアが報じたくない事件や、警察に隠蔽された事件なんて話は、珍しくもなんともない。久々に面白い事件に出会したと思ったが、金にならないならこれ以上調べる理由はなかった。危険な事件に深入りして、謎の失踪を遂げた同業者なんていくらでもいる、この件はもう忘れよう。そう思っていたとき、たまたま仕事で来ていた出版社の喫煙所で、俺が煙草を吸っていると、若い男が上司らしき男に向かって騒いでいる声が聞こえた。
「本当なんです!本当に、あれは首無し死体だったんですよ!」
 止まっていた心臓を、鷲掴みにされたような気がした。


 それからというもの、俺は仕事の傍ら、例の首無し死体に関する事件を調べるようになった。知り合いの情報屋の話から、ネットの如何わしい記事まで、時間を見つけては片っ端から情報を集めた。出版社で会った男を含め、首無し死体を見たことのある何人かに話を聞くこともできた。犯人像は未だ掴めなかったが、目撃された首無し死体の共通点が、徐々に浮き彫りになっていった。それは奪われた頭部を発見した情報が無いことと、そして。
 千切られたかのような、その歪な断面だ。
 刃物で切断されたのであれば、断面は平らに近くなるはずだ。だが発見された死体の断面は、それとは全く異なっていた。例えるなら魚を捌くとき、頭を包丁で切り落とすのではなく、手で力任せにもぎ取ったような。あるいは考えにくいことだが、ものすごい速さの鉄球か何かをぶつけ、頭部だけ吹き飛ばしたような。そう、まるで。
 化け物に襲われたかのような。
 だが、そこから俺の取材は難航した。ある日を境に首無し死体に関する新しい情報が、一切上がって来なくなったのだ。それだけではない。これまで俺に情報をくれた情報屋も、目撃者も、途端に口をつぐみ始めた。それでも情報収集を続ける俺に、同業者の何人かが警告した。
「これ以上はやめておけ。『店持ち』に消されるぞ」
 正式名称は誰も知らない。ただ『組織』と呼ばれるその集団には『店持ち』と呼ばれる殺し屋達が所属しており、この国の裏で暗躍している。殺し屋殺しの殺し屋集団。風の便りでそんな噂を聞いたことはあったが、その程度の都市伝説なんていくらでも転がっていた。だから俺も、身近な情報屋達も、信じてはいないはずだった。だがこのとき俺に警告した彼らの表情を、俺は嘘だとは思わなかった。寧ろこのとき抱いた感覚は、疑いというよりも、諦めに近い。恐らくは皆、何かしらの圧力があったのだろう。
 そして俺は、知り過ぎた。
 悪い予感ほどよく当たる。当時俺が住んでいたアパートに、見知らぬ男達が押し掛けてきたのだ。事前に荷物をまとめていた俺は、彼らが鍵をこじ開けている姿を遠目に確認すると、俺は咥えていた煙草をその場に捨てて火を踏み消し、街の中に姿を隠した。
 俺はもう戻れない。戻る場所も、居場所もない。戻れたところで、またクソみたいな生活が待っているだけだ。それなら、行けるとこまで行ってやる。怪物だろうが化け物だろうが、この俺が世間に晒してやる。そうして俺は、独りで取材を続行した。


 後戻りできない俺には、もうどんな場所も怖くなかった。情報が集まりそうなキャバクラやバーから、ヤクザの事務所に至るまで、情報を求めて駆け回った。ガタイの良い男達に追い回されたことも、チャカを向けられたことだってあった。そういう命の危険を感じるたびに、これまでの死んだような日々を、取り戻せているような気がした。
 死んでもいい、どうせ死ぬんだ。デマでもなんでも構わない、だからもっと情報が欲しい。化け物の正体とはなんなんだ。お前は一体誰なんだ。金の為にと始めたそれは、いつしか純粋な興味に変わっていた。
 だがいくら情報を集めても、化け物の正体に辿り着くことはできなかった。名前も性別も身長も、人間かどうかさえわからない。だが命を賭けた甲斐もあり、わかったこともあった。それは、狙われているのは化け物の方、ということだった。これまで俺はずっと、化け物が人々を襲っているのだと勝手に思い込んでいた。だが調べを進めれば進めるほど、逆だったことに気がついた。どうやら裏社会の中で、化け物退治の話が出回っているらしい。
 化け物退治を成した者には『晒し屋』の名を与える。とかなんとか。
 それが『店持ち』やあるいは『組織』と関係がある話だというのはわかったが、俺にはイマイチ、その『晒し屋』というのがなんなのか、よくわかっていなかったし、あまり興味も無かった。それらはまだどこか都市伝説のような印象があったことも否定できないが、きっと俺が興味を持っていたのは、化け物の方だったからだろう。
 そうかお前も、追われる側か。
 そうかお前も、独りぼっちか。
 そうかお前も、嫌われ者か。
 俺もだよ。俺も、そうなんだ。
 襲われていたのは、狙われていたのは、化け物の方。奴はただ自分を守る為に、相手を殺していたに過ぎなかった。どうして狙われているのか、どうして首を奪うのかはわからない。それも含めて、訊いてみたいと思った。取材させて欲しいと、思った。例え殺されたっていい。俺と同類に会ってみたい。今思えばあれは社会のゴミがおよそ十年ぶりに抱いた、シンプルな記者魂だったのかもしれない。
 きっと、いつか。遅かれ早かれ、俺達は殺される。
 だからせめてその前に、一服付き合ってくれよ。


 それからほどなくして、俺は線路沿いにある雑居ビルの情報を入手した。どうやら化け物は移動を辞めて、そのビルに留まっているらしい。新たな首無し死体の情報が入ってこなかったのは、化け物が居所をそのビル内に限定していたから、そう考えれば合点が入った。晒し屋の名が欲しい強者達はこぞってそのビルへ入って行ったが、誰も帰ってこないという。
 その雑居ビルは五階建てで、一階がバーになっていた。二階から五階までは外に見える看板を見る限り、どこかの企業のオフィスらしい。俺は朝早くから夕方までそのビル周辺を観察してみたが、外階段からビルの中に入っていく人影はあっても、出てくる人間は誰一人いなかった。恐らくここに、奴がいる。
 辺りがすっかり暗くなった頃、俺は下からビルを見上げた。入れば、死ぬ。わかっていたことだが、いざ外階段へ向かおうとすると足がすくんだ。ここまで情報収集の為に、何度も死地に足を踏み入れてきたつもりだった。だがそのビルが放つプレッシャーは、これまでの非にならないほど恐ろしく、まるでビルそのものが巨大な化け物のように思われた。そうして、土壇場で日和った俺が向かったのは、一階にあるバー『翼竜』だった。そこは唯一、人の出入りがあったのだ。
 バーに入ると、ジャズの音色と寡黙なマスターが俺を出迎えた。マスターはほとんど喋らず、スコッチのロックを頼んでも、ただ首を縦に振るだけだった。あと一杯呑んだら行こう、あと一本吸ったら行こう。何度もそう決心してはもう一杯頼み、灰皿には吸い殻の山ができていた。死ぬ覚悟はできたと思っていたのに、いざ死に直面すると臆する自分が心底情けなかった。
「なぁ、マスター。あんたこのビルにどんな化け物が住んでるか知ってんのかい?」
 酒を飲んでも煙草を吸っても拭い切れない恐怖を紛らわす為、俺はマスターに話しかけた。
「もしかして。マスターが化け物だったりしてな!」
 マスターは相変わらず、何も答えなかった。
「俺はさ、ただ。会いたいだけなんだ。会って、話してみたいんだよ。ただそれだけのことが、こんなに怖い。俺、死ぬのが怖いんだ。笑っちまうよ」
 金の為、興味の為、あるいは記者魂。あらゆるもので自分を酔わせてきた俺だったが、それでも死を受け入れるにはまだ酔いが足らなかった。
「ロクでもない人生だった。本当に、クソみたいな。誰の為にもならない、死んだ方がいい人間だ。それなのに俺は、一丁前に死ぬのが怖い。怖いんだよお。いいだろ泣いたって。全部俺が選んだ人生だ。全部俺が悪いんだ。でも、いいだろうよ、泣いたって。それくらい、許されたっていいだろうが」
 それはほとんど懺悔だった。馬鹿みたいに泣いて、泣いて、涙が枯れるまで泣いた頃には、煙草の箱は空になっていた。俺はグラスに残ったスコッチを一気に飲み干すと、財布の中身を全てカウンターにぶちまけた。そうして「悪かったな」と言って店を出ようとする俺に、マスターは小さく一言「頼みます」とだけ言った。それがどういう意味なのか、どうして俺に、何を、誰を、頼まれたのか、なんて知る由もなかったし、どうしてこのビルでこの店だけ、マスターだけは無事なのかも、正直ずっと疑問だった。だがなんにせよ、なんとなく、漢が漢に頼まれたんなら、返す言葉は一つだった。
「ああ、任せとけ」
 いや、ただ酔っていただけか。


 ウイスキーで温めた体は、ビルの二階に上がった頃には、夜風ですっかり冷えていた。それはこの雑居ビルの外階段を抜ける風が、冷たかったせいでもあるだろうし、日付を跨ごうとしていた時間のせいでもあっただろう。だが何より俺の体温と、それから酔いを覚ましたのは、階段に張り付いた血痕だった。
 踏むとひび割れたその血痕は、二階のドアの向こうから垂れてきたもののようだった。スマホのライトを付けてドアに触れると、鍵のかかっていないドアはゆっくりと中を見せてくれた。カーテンが閉め切られたオフィスには、乾いた血が張り付いた床と、そこに転がる何体もの首無し死体が見えた。ただ、奴の姿はなかった。天井から物音が聞こえ、俺は階段へ戻りまた一段ずつ登り始めた。
 三階も、四階も、似たようなものだった。オフィスに広がる血痕と、捨てられた首無し死体。ただ階を上がるごとに首無し死体の数は増えていき、四階付近の血はまだ乾いていなかった。そして五階に関しては、オフィスの中を覗くことができなかった。ドアに鍵が閉まっていたわけではない。ドアの入り口を埋め尽くし、廊下にはみ出すほどに、五階は死体でいっぱいだったからだ。必然、俺は屋上に奴がいることを悟った。階段を一段上がるたび、心音が大きくなるのがわかった。
 屋上に出れば、死ぬ。今度こそ、俺は死ぬ。ここまで見てきた首無し死体の一つになって、どこかの階に捨てられる。ここはまるで、化け物の胃袋の中だ。誘き寄せられ、食われ、この先の化け物の一部となる、そんな気がした。他者を食い、その頂に立ち、なお食べることを辞めない化け物。生きている限り、他者から奪い続ける化け物。
 なんだやっぱり、俺と同じか。
 俺が書いた記事で、誰かの人生が滅茶苦茶になろうと、そんなの構いはしなかった。俺にはそうする以外、生きる術が無かったから。芸能人なんて目立つ仕事をしていれば、俺みたいなクズに狙われることは分かりきってる。人間社会がどれだけ複雑に見えても、弱肉強食というシンプルな原理は変わらない。だから俺はただ、食っただけ。俺が持っている牙で食える相手を、食っただけ。被害者面するな、自分だけは食うだけの綺麗な存在でいようなんて、手を汚さずに高みの見物を決め込もうなんて、虫がいい話だ。誰もが牛や豚を食う癖に、牛や豚が殺されるところは見たがらない。他人の不幸が好きな癖に、他人の不幸を届ける俺を馬鹿にしやがるんだ。
 仕事なんて綺麗な言葉で飾るなよ。
 どんな仕事も全ては狩りだ、他者から何かを奪う狩り。
 そういう意味では、このビルは美しかった。鼻を刺すような腐敗臭も、ただの肉の塊のように捨てられた死体も、何一つ飾ろうとしていない。首をもがれた彼ら彼女らが、生前どんな人間だっただろうが、どんな生き方をしていようが、どれだけ愛されてきたかなんて関係なく、同じように首を奪われ、ただの肉となり、捨てられる。化け物の前では、アイドルも俺も、ただの肉袋なんだ。そう思うと、自分がこのビルに捨てられた首無し死体の一つとなるのも、悪くないように思えた。それどころか、化け物に殺されることを望む自分がいる気がした。
 化け物よ、俺にもくれ。
 平等な死を、俺にもくれよ。
「だからもう、怖くねぇ」
 時間的にもこのとき背を走り抜けた電車は、きっと終電だっただろう。


 ずっと疑問だった。首無し死体達の頭部は、一体どこにあるのだろうと。そしてその答えは、屋上に並んでいた。敷き詰められていた。山になっていたーー、晒されていた。
「また、来たの。君もぼくを、殺したいんだ」
 屋上を埋め尽くす無数の生首の山、その上に座っていた奴は、俺に気がつくなり立ち上がり、そう言った。月夜に照らされたその姿には、狼のような牙も、虎のような爪も、はたまた悪魔のような角も、見ることはできなかった。背が高く、野生児のように服は着ていなかったが、それだけの。
「まただ、また。晒さなきゃ」
 それだけの、子供だった。
 足元に転がる無数の生首、これは目の前のこいつの仕業なのだろう。こいつが、俺がずっと追いかけてきた奴なのだろう。それは間違いないことだ。だが何故だろう、その姿を見るまで、俺の中で勝手に膨らませてきた化け物のイメージが、崩れ去っていく音がした。
「俺は、取材しに来たんだ。ずっとお前に会いたかった」
 奴が生首を踏み潰しながら近づいてくる中、俺は語りかけ続けた。
「寒くはないのか?俺はさっきからちびりそうだ」
 死を恐れていなかったわけではない。
 殺されないと思っていたわけでもない。
 不思議とそれら全てが、どうでもよかった。
 ただ目の前の子供に、声を掛けるべきだと思った。
「歳は幾つなんだ?煙草、は。参ったな、切らしてる」
 もうあと数歩で奴は俺の目の前に到達する。それまでに俺は、奴に何をしてやれるだろう。そう思ったとき、俺はリュックの中から小さな箱を一つ取り出した。それは禁煙用に買っていたが、結局食わずにリュックの底で眠らせていた、ココアシガレットだった。
「ぼくは悪い子だから、ぼくは、悪い子だから」
 奴が俺の目の前で止まると、俺はココアシガレットの箱から一本取り出し、一本を自分の口に咥え、一本を奴に差し出した。その距離になって初めてわかったのは、拳を振り上げたその大男が、涙を流していたことだった。
「奇遇だな。俺も、悪い子なんだ」
 上手く笑えていたのかはわからない。それでも目の前の子供には、笑いかけてやるべきだと思った。ただやはり、慣れないことはするものじゃない。きっと俺の笑顔は下手だったんだ。下手で、ぎこちなくて、気持ち悪かったから、だからきっと、奴は拳を振り下ろさなかったんだ。
「一本、付き合ってくれよ。咥えるだけでいいからさ」
 俺がそう言うと、奴は大きな手で差し出したココアシガレットをつまみ、それをゆっくりと自分の口に運び、咥えた。そしてその場に座り込み、大声で泣き始めた。自分が奪った生首に座り、泣き叫んでいた。俺はその場にしゃがみ込み、奴のーー、少年の頭を抱き寄せた。
「泣くんじゃねぇ、漢だろ」
 そう言いながら俺の頬にも、涙の粒が伝っていた。奴の涙が自分の涙のように感じ、自分の涙は奴が泣いているように感じた。こいつのこれまでの人生なんて知らなかったが、きっと、互いに多くの屍の上で生きてきたのだろうと思った。多くの他者を蔑ろにし、多くの他者の人生を奪い、悪い子として生きてきたんだろう。俺もそうだよ。俺もずっと、そうだったよ。でもさ、だからこそ。俺はお前に「悪い子」なんて言わねぇよ。死んで欲しいなんて思わねぇよ。
 俺はお前に、生きてて欲しいよ。


 あの夜から間も無く組織に呼び出された俺は、化け物退治を成した者として、晒し屋になったというわけだ。奴をーー、弟を弟とすることにしたのは、単純にあいつが俺のことを兄貴と呼び始めたからだった。自分の名前に拘りは無かった、というより前の自分、記者としての自分を捨てられるなら、どんな名前でも構わなかった。弟が呼んでくれるなら、なんだって。
 そうして俺達、晒し屋の楽しい楽しいぶっ殺しライフは始まった。汚い仕事をしていることに変わりはなかったが、前と違うのは弟がいたことだ。俺の汚い謀略も、弟の残虐な暴力も、そこから生まれ続ける罪も、二人なら背負うことができた。いや、違うか。忘れることができたんだ。あの世だろうが地獄だろうが、俺達はもう独りじゃない。過去も何もかも捨て去って、殺しの世界に生き、そして死のうっていう、最高にクールな日々だった。もしここで晒し屋の物語が終わるのならば、仮にその終わりが二人の死であっても、それは少なくとも俺達にとっては、ハッピーエンドと言えるものかもしれなかった。
 だが、ここで物語は終わらなかった。終わって、くれなかった。晒し屋として活動を始めてから暫く経った頃、事務所を訪れた人物がいたのだ。そいつの名前も、顔も声も、覚えてはいない。
「僕の、、、ああ違う。私の顔も声も、覚える必要はないですよ。それ、意味がないですから」
 覚えていることは、一つだけだ。
 あの日から過去は弟を、俺達を、追い始めた。
「あの化け物の正体を、知りたくはありませんか?」

 過去を忘れることはできても、過去を無かったことにはできない。



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