「傲慢」と「怠惰」が現代最大の罪_2021/06/28

七つの大罪を知っているだろうか。

漫画ではない。

一般的には「傲慢」、「嫉妬」、「憤怒」、「怠惰」、「強欲」、「暴食」、「色欲」の七種がそれに数えられる。

どの罪が重いかというのは個人差があろうが、しかしどれもそれがあることが、必ずしも悪いとは言えないだろう。嫉妬も、憤怒も、強欲も、暴食も、色欲も、使い方次第では大きな力になる。大きな感情や、欲によるエネルギーはいつも向かわせる方向次第だ。嫉妬するから、越える為努力できるように。

しかし、大罪の中で二つがなんのエネルギーにも変換されない。

「傲慢」と「怠惰」だ。

やりたくないことはやらない、自分がやるべきことじゃない。そう傲慢でありながらも、しかしやりたいことが強くあるわけではないし、やりたくないことを避ける為に努力をするわけでもない、怠惰さ。

傲慢であることにも、怠惰であることにも、苦しさは伴わない。むしろその瞬間、そうであることに、あれることに、心のどこかで安心する。

やりたくないこと、自身の心を砕かれるような場所から逃げ続ければ、傲慢さを失うことはない。傲慢でいられるとはつまり、世界の狭さを示す。寧ろ傲慢で居続ける為には、頑張ってはならないのだ。頑張って、世界の広さを知ってしまったら、傲慢ではいられない。自らの未熟さを知ってしまうからだ。傲慢さは、自ら自覚してはならない。傲慢と自覚しない傲慢さこそ、どうしようもない罪だ。

そして、その傲慢を後押しするのが、怠惰だ。逆も言える。怠惰を肯定する為に、傲慢であるとも言えるのだ。何もしないことを肯定する為に、自分が頑張るべき所ではないと傲慢であり続ければ、怠惰で居続けることができる。


自覚しないプライドの高さと、置き換えてもいい。


戦争中でもなければ、王の気まぐれで死刑になるわけでもない。生きているだけであれば、何も困らない。そんな現代において、如実に現れるのがこの二つ、「傲慢」と「怠惰」だろうと思う。かくゆう、ぼく自身がそうだ。憤怒することも、そこまでの強い欲もない。それほど食に強い興味も無く、制欲はまぁそこそこ、、、ははは。


ぼくは酷く傲慢な人間で、そして怠惰でもある。


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