人生は物語ではない。_2021/05/22

狂気とは、他者との圧倒的なズレである。

狂気性は、自分だけではわからない。その感覚を他者と比べることにより、初めて露わになる。例えば、愛する我が子がいたとして。その子のやりたいことが、現実逃避でもなんでもなく、純粋に人殺しだった場合、きっと親は選択を迫られることになるだろう。どれだけ愛していたとして、日常的に殺人衝動を持つ人間と共に暮らせないし、彼はいつ人を殺すのかわからない。

これはあくまで極端な例だが、しかし他者との根本的なズレとは、もっと身近なものであれば、無数に存在する。そもそも、男と女がいる。人種がある。そんな土台の所から、目玉焼きにはソースか、塩か。そんなものでもいい。他者から見てどれだけくだらないことでも、重大なことでも、当人にとって譲れない何かで、それが一種のアイデンティティである場合、その軸があまりにも違う者同士は、一緒に生きてはいけないのだ。場合によっては最初の例のようなものであれば、現代社会では殺さなければならないかもしれない。それを担うのが法であるのが、一番良いが。

生きていてはいけない人間。あまりにも他者と感覚の離れた人間が生きていく為には、自身とほとんど一致か、あるいは近い集団の中で生きていくしかない。例え人殺しを快楽としても、それが当たり前であるとされる集団の中にいれば、それは狂気ではなく、正気になるのだ。戦争中だったとしたら、目の前の敵兵を殺さない人間の方が仲間にいたら恐ろしく、狂気だ。


前段が長くなったが、つまりは今日の日記は、
そういったぼくの狂気性に関してのお話だ。


人生は、物語ではない。


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