見出し画像

《MEMO》あゝ勘違い予科練④


🌸意外と予科練生はエリートではない


・予科練は下士官養成を主目的としている


yahoo知恵袋で予科練の文字を見かけると
いつも、若年男子と思しきアカウントが「エリートなのか?」と訊いているような気がします(多分偶然)
男子にとってはよほど気になる部分なのでしょうか。

_______________

海軍飛行兵の中でエリートと呼ばれたのは、海軍兵学校(海兵)出身者です。
今でいう、東大、防大に匹敵…それ以上か(?)

そして予備学生(学徒)。
学業中志願して海軍入隊した大学生、または、本来徴兵を猶予される身なのに戦況の悪化で動員されてしまった大学生で、
海兵が見下して言う所の「スペア」です。

予科練生から見たらやはりエリートで、
海兵生より娑婆っ気が強いので、予科練生はお洒落な彼等を見習ったりしたようですが…
すぐさまそれを見つけた海兵卒に殴られ、
そして海兵にバカにされる腹イセに、予備学生からもやっぱり殴られていました。

どんなに有能でも予科練卒業者は両者の足元にも…
ちょっとしか及ばないのです。

_______________

でも予科練も、制度の開始からごく初期のうちは、
競争率に関しては海兵以上の難関でした。
特に1期生は73.5倍の競争率
その異常な狭き門っぷりがエリートという誤解を生んでいます。

なぜそんなに男子が集まったか?

「戦場の花形、搭乗員に育てて貰える!」
「メシが食える!」
「お給料も貰える!」
「めっちゃモテる!」
という夢のような制度だったからです。

お金が無いと、旧制中学(今の高校)に入れません
お金があっても海兵の入学水準に学力が及ばない人も多いです。
当時は兄弟4人以上なんて家がゴロゴロあり、
早く稼ぐようにならないと家族のお荷物になってしまいます。
ということで、我先にと受付窓口に飛び込んだのです。

それにしても5807名から79人しか採用しないのはちょっと選りすぐりすぎですね…。
1から10期の入隊した最初の9年は、
累積でたった1764名の入隊者数
(末期には1期で1万超え)。
終戦までに「尉官」クラスに進級できたのは
乙種は全24期中1~7期大尉まで)
甲種は全16期中1~3期中尉まで)
だけです。

海軍兵学校は卒業したらすぐ少尉からスタート将官まで上がるけど
予科練出身は実戦経験がいかにあろうとも、下士官「曹」の域を
容易に出られません。

_______________

しかし現場経験の多い下士官は、
飛行技術に関して士官より有能なことが多かったです。
海軍士官達はダメダメとよく言われますが、
皮肉にも下士官教育に関しては、敵国だった英米に評価されているくらいです。
予科練募集人数を、終戦間際に慌てて増やしてる様子などを見ると
海軍の上層部は自分達の能力を過信し、
特権を少人数で独占したまま楽観していた様に思えます。

_______________

ところで
初期の予科練卒業搭乗員達は、
特攻作戦に関わらなかった
者が多いです。

軍隊が平等であっては成り立たないとはいえ、
ベテランが温存され、特攻に使われたのが操縦のできない子達となると、
腕が未熟な子も、特攻に行かざるを得なかった」ではなく、
腕が未熟だから特攻に行かせた」なのか…と思います。
海軍の司令部、作戦発案者はもちろん、
士官や先輩搭乗員さえも、
みんなが軍の伝統とルールを言い訳に
新人搭乗員の使い捨てに加担していたと言えるでしょう。

海軍司令部がもっと早く大量の人数を養成し、
ベテランパイロットを多く排出していれば、
下士官飛行兵にもっと説得力ある発言のできる者が増え、
特攻作戦の実行には至らなかったのではないか?と
私は考えてしまいます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?