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《MEMO》あゝ勘違い予科練③

🌸意外とバッターで打たれた回数は多くない?



予科練生は、毎日の様に尻を棒で叩かれた
と思っている人がいるようで
中には「夜中に起こされ殴り殺され、極秘に処理された」
などホラーまがいの解説まであり、尾ヒレがすごいです。
予科練でリンチなどしたら処分されるのは教員です

体罰禁止令を出した司令も居たりで
分隊長分隊士など分隊を仕切る士官は
教員達の指導の仕方を尊重してはいても、
死なせるような暴力を推奨していたわけではありません(当たり前)。

私的制裁は陸軍で頻発していた事で
海軍の場合は複数の下士官と兵が居る中で公然と行う「罰直」になります。
誰も見ていない私的制裁より理性が保たれ歯止めが効きやすい面はあります。
隠れてやろうが、公然とやろうが、現代人からみたらただの人権侵害ですが…。

ただ、海軍の中でも予科練は少し特別で、
制度開始から7期までは罰直が無かったと言われています。
戦争で最も重視されるようになった兵科であり、
高い競争率を勝ち残った選りすぐりの金の卵のため大切にされたようです。

//////////追記//////////
これも意外と知られてないですが、
予科練の教員には飛行兵科の者はあまりいないので、バッターは水兵などの他の兵科のおしおきの伝統を下士官達が持ち込んだものです。
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しかし、予科練の罰直は体力の錬成を兼ねたものが殆どだったと言われています。
「兵舎回り(駆け足)」「前支え・水兵飛行・急降下(腕力)」「フック下がり(腕力)」「蜂の巣・鶯の谷渡り(反復運動)」など…。

バッターが繰り出されたのは
試合に全力を出さずに負けた時
通信で誤字があった時
それと…「余程の」時
だったそうです。
この辺の基準は期によって違うのかもしれませんが、
搭乗員として不可欠なものを欠いたような絶妙なタイミングであって、
乱発されるようなものではなかったみたいです。

時期は入隊前期に集中。
基本的に連帯責任
なので、
自分のミスで仲間が打たれないよう必死になり
3か月もして進級するころには、殆どの者がやってはいけない事をすっかり飲み込むのだそう。

『あゝ予科練』の映画では
「海軍の強さはバッターがあったからだー!」とか
下士官の言う場面があり、「海軍狂ってる」感を出してますが、
習得の早さに貢献したのは事実のようです。
ただ、バッターを楽しそうに打つ歪んだ性格の下士官もやはりいたそうです。

打たれた本数は、何種の何期かだけでなく、
人によっても班長によっても違うので、断定はできませんが、
在隊期間全部で1桁が平均という記述や証言を見聞きしてます。

班長が打つ尻数を捌ききるのも大変な事でした。
バッターは打ち手も罰直並みに疲弊するのです。

練習生の中には自分達が大勢いる状況を生かし
打たれるのを待つグループから
打たれ終わったグループに移動し逃れるちゃっかり者も居たそうです。

「虐め殺された」などという脚色が生まれるのは
やはり海軍の人の命を軽んじた特攻作戦の印象から来るかもしれません。
確かに、練習生達は、病死、事故死、そして時に自殺するもあり、
組織が沢山のかけがえのない若者の命を奪ったのは事実です。
が、それらを感情的に「虐め」の一言で一括りにすると大雑把な総括となります。
詳細に当時の事情や心理等、発生のメカニズムを把握しておかねば、練習生達の苦労は報われないでしょう。

罰直の意味についても、
現代の考え方ではどうしても相容れない話となりますが、
高齢となった予科練生達が当時を振り返ったアンケートでは
「罰直が無かったら、あんなに短期で難しい課業をマスターするのは不可能だった」と、
軍隊においての有効性を認める回答の多い結果が出ていました。

予科練を卒業すると
今度は飛練でもっと威力の高いバッターを貰うことになります。
それを食らわせるのは、憧れの歴戦の搭乗員達です。
恐らくその時の彼等は、
バッターの理不尽さに不満を感じるよりも
自分を1分でも長生きさせようとする先輩の温情と受け取り
搭乗員の仲間入りをする自覚を強くしたであろうなと思います。

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