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私と予科練

何故予科練に関心があるのかとよく訊かれるんですが、
私と予科練の関係はなんにもありません。

先祖に海軍関係の人がいるわけでも無いし、
それに関わる学科を専攻したわけでもなければ
関わりのある仕事をしたこともありません。

ただ中学生の時に図書室で予科練と出会って、
すごいものを見つけたとばかりハマったのが始まりです。
私の中学では予科練のヨの字も教えていませんでした。

その本は福本和也さんの「あゝ甲種予科練」。

昨年中学生以来ぶりに買って読んでみたんですが、
記憶のまんまのストーリーでした。

福本氏は甲飛14期の元予科練生、
戦後作家となり、漫画原作者もしていた方で、
無個性な集団に見える予科練生達にキャラクターを吹き込み、
織り成すドラマを描くのが上手いのです。
ひょうきんな練習生、思いやりの深い練習生、
人格者な練習生、主人公に絡んでくる練習生…
その一人一人、活字である所が逆に私の創造力を掻き立てました。
人の作った人物を絵にしたいと思ったのはその時が初めて。
それで今漫画を描いており、影響は多分にあると思います。

あの時期、予科練について学術系の図書しかなかったら、
興味は持っていなかったでしょう。

当時私は平和教育をかなり熱心に受けるタイプでした。
戦史などには興味が無く、平和を訴えるというテーマをとにかく好んで、
願い続ける事が大事!という事で神社に行けば必ず祈ったのが
「戦争がおきませんように」であり、
絵馬にもそれを書いた所で、
母に「そんなことより自分のことを書きなさいよ」
と言われ、悲しい以上に母を見損ないました。
「戦争になったら自分の願いごともクソも無い」と思って。

母は満州生まれで敗戦後、満鉄で働いていた祖父、祖母と命からがら日本に逃げ帰った勢だけど、
幼児だったためその記憶がなく、
願わなくても平和はあって当然という考えのようでした。
でも、母なりに子の幸せを願っての事だろうと今は分かります。
子供が戦争や地球環境などデカい事ばかり考えてグレタさんみたいになっても幸せなのかどうか…。

そんな当時私が好きだった漫画には
石坂啓さんの「安穏族」があります。
中学生が見るにはちょっと大人向けでしたが…
母と違って私と共感しあえる漫画でした。

慰安婦を描いた話は画面が今も蘇るインパクトがあります。
手塚治虫さんに師事した大家だけに表現者としての気骨に満ち、
そういう漫画家が今っているんだろうか?と考えてしまいます。

そして同時期に福本氏の小説にも出会ってるんですが、
今振り返れば、両者は相対する違う方向から
平和というものを考えさせる作品だったわけです。
民間人と兵士の視点は
どちらもが平和を求めても、その獲得、維持の仕方で時に対立します。
こういう創作物に
中学で出会えたのは良かったと思います。

漫画や小説で分かりやすく教える事は
専門に研究をされている方などから、誤った判断をもたらす弊害を指摘される事があります。

私は特に大勢に見てもらってるような漫画描きではないですが
誤った知識で扇動するような事がないように…などと一応思ったりもしています。
読者の立場から言っても、
漫画小説にしろ、教科書や絶賛されるような図書にしろ、
バイブル化して信奉しないようにしたいものだとも思っています。

この日本では今の所、誰もがどんなルートで何を学ぶも自由、
だからこそ発想の多様性が素晴らしいんだなと思います。
かつての予科練生にその自由があれば
きっと今の若者達となんら違わなかっただろうと思います。


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