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元予科練生の恋愛観

私の友人の甲種予科練13期の二人は、戦況が悪くなった昭和18年10月、
搭乗員になりたい夢と、戦況を巻き返す気満々で志願した大勢の16歳前後の少年達の中に居ました。
燃料が底をつき始めていることも、戦況が悪いことも、知るどころか、そんな事を考える暇は一切なく、短期錬成を課され訓練と勉強に全集中。
食後の1時間弱の休憩時間すら皆が勉強をしていたそうです。

欲望も食欲と睡眠欲…そして訓練で要求される攻撃欲に全振り。
入隊から数カ月程の短い軍隊生活の間に女性という生き物は半ば記憶から消えかけ、外出で見た時には懐かしさの中に異性という存在があったという事に驚きの感覚すらあったそうです。

予科練での手紙の検閲は当然厳しく、花街などに踏み込んだら処分必至だったそうですが、戦後の予科練映画で見る様な女子からの手紙を総員の前で晒されるなどという事は無かったとのこと。
「男女7歳にして席を同じうせず」の観念の中に育ち、
風紀は普通の学校でも厳しいため、
だいたいが恋など知らない…想いを寄せるコがいても健全な関係という少年達ばかり。
未成年の多い甲乙種予科練生が男女の事に厳しかったのは当然で、抑圧されているという意識もなかったそうです。

最近は恋愛+特攻の映画がヒットしたりしましたが、
ある程度の年頃で自由な時間のあった学生と異なり、最年少は14で軍に入る予科練生の場合、女性と接する時の緊張は単なる「照れ」だけでは済みません。
舞い上がらぬ様に自分を律し、周囲の目を警戒し、近寄られる事を煩わしくさえ思う練習生も居ました。
上官に知られたらどんな罰を受けるか分からないし、精神教育によって立派な武人を志すものとして誇り(カッコ良さに憧れる少年の強がりとも言える)があったかもしれません。

友人の甲13期生達も、終戦までとても恋愛どころではなかったと言います。
予科練を卒業し兵から下士官に階級があがっても、搭乗員はその死亡率の高い職務によって、一般人の恋人は持たないのが理想とされていました。
「女性とのこと」は予科練や飛練の教育課程を卒業すれば突然解禁される時がやってくるのですが、
甲13期は戦況が絶望的になっている末期の卒業生であり、教員になった者もいれば、飛練生のままだった者、飛練生状態のまま特攻を命じられた者もおり、
「男になるお祝い」の席を得たか否かは所属部隊、地位、上官の性格によってまちまちと推測されますが、恋愛的な何かがあったとしても、疑似か実らぬものに留まったでしょう。

彼等が共に95を超えた今も
「恋愛が全くわからない」と言っているのには考えさせられるものがあります。
ちなみに二人とも先立たれてしまったけど、一緒のお墓に入りたいという奥さんがちゃんといるのだけど…。
今も昔も恋愛と結婚は違うと言いますが、
昔はもっと恋愛という個の自由よりも、自分や家族の利になる結婚の方に価値のウエイトは占めていました。
恋愛など無くて当たり前、むしろそれが身綺麗で良い事でした

一人は人生で恋愛というものを経験した事の無い事だけが心残りとおっしゃいました。
また一人は、どこかの基地跡に戦時の予備学生が刻み残した当時の恋愛流行歌の文字があり「それが見たかった…」
…でももう見に行く事が叶わない…と。
予備学生達は20歳前後で軍隊に入るため、恋人を持つ人も少なく無かった…彼は当時の予備学生の立場に立ってその文字を見て彼等の気持ちを想像してみたいのかもしれません。
(特攻を命じられていた彼は、自分に先だって飛び立ってくれた予備学生達が居たからこそ出撃の機が遅れ命を繋げたということで、感謝や同情あるいは尊敬の念?などが深いようです)
最も恋をしたい年頃に己の幸せよりも、国や家族の危機を考えて、自由を封印した二人が似た事を言うのが切ないです。
戦争で命を奪われた人が最も可哀想ですが、
生き残った者にも一生に渡り奪われた機会があるのです。


資料館で、御国や天皇や大義という文言の並ぶ、勇ましい遺書を見ながら「洗脳されてるなぁ」と言っている人がいました。
しかしそういう方でも、恋人に「会いたい」と語る手紙とすれば理解と同情を示すでしょう。
そこに感動するあまり『勇ましい遺書』は本音ではないとまで曲解するに至る人もいるようですが、
遺書のみでなく訓練時代からの検閲を受けていない彼等の所感の文書も残っており…それらも見て、彼等の辿った道を追えば特攻への意志が仕方なく言わされている全くの虚言であるとは考えにくくなるでしょう。

「愛する異性の為の特攻」は数多の特攻隊員達のほんの一部です。
命をかける程本気の恋愛などは知らなかった者の方が多い。
しかし、それぞれが夢を持ち、自分の「命の意味」を考え、それを抱えて飛び立った事に違いはありません。
その真摯な国や未来のための自己犠牲を、洗脳という一言で異常視する子孫で良いのだろうか。
彼らが受け取って欲しいだろう言葉を深読みや、自己解釈は入れず
そのまま受け取るのが敬意だと思います。

それは特攻に至る精神を肯定する事では無く、
より客観的緻密に外交や人類の現実を把握し、日本が再び戦争に至る結果を防ぐ道でもあり、彼等の死を無駄にしないという事でもあると思います。

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