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世一の随想シリーズ・好日・一夕・起抜

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気付いたこと、お伝えしたいこと、感じたこと、日常の出来事 そしてお祝い、お詫び、感謝…… 森羅万象についてのページです。 "世一"と呼びすてにしてチョウダイ ! !
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#404美術館

随想起抜 漂泊の画家 不染鉄 展 ~理想郷を求めて~奈良県立美術館 Vol 2

続・わたしだけの夢殿・夢殿『秋涙』完全版 差し込み原稿一部紹介 あのなぁ~お空から突き出された葛切りはんのような雨がありますやろ。あれはな全部仏はんなんですわ。きっと。 黒豆はんをふやかしたお水みたいて云いましたけどな……ちゃいますねん。 凡てが銀絹ですねん。画面いっぱいに塗り上げられた鼠色はな、数多の銀糸、銀ですねん。暁鼠(あかつきねず)、牡丹鼠(ぼたんねず)、藤鼠(ふじねず)、桔梗鼠(ききょうねず)、白鼠、銀鼠、絹鼠…… これな、全部「銀」ですねん。鉄さんなぁ、ほそぉい

随想一夕『わたしだけの夢殿』漂泊の画家 不染鉄 展 ~理想郷を求めて~奈良県立美術館

随想一夕『わたしだけの夢殿』漂泊の画家 不染鉄 展 ~理想郷を求めて~奈良県立美術館 2月27日の大阪は冷たい風が吹きすさぶ中、朝から霙まじりの雨が横から吹き付けるという重たい天気。それでも所々みせる雲の切れ間からは、柔らかな陽射しも顔を覗かせていた。それは夢殿にみる南の空の雲を割り、横一条の輝きを齎した様にすら思えたものだった。生憎、膵臓の痛みが引かず背中から鳩尾にかけて痛みが走っていたことから余程延期しようかとも考えたのだが、この状況であればいつ何時見られなくなる~書け

随想好日『カラヴァッジオ・エマオの晩餐を通して考える今の私が食べたいものとか』

随想好日『カラヴァッジオ・エマオの晩餐を通して考える今の私が食べたいものとか』 サムネイルの説明・作者/ミケランジェロ・メリージ・ダッ・カラヴァッジオ 画のタイトル「エマオの晩餐」・1601年・ ロンドンナショナルギャラリー収蔵  この画については私ごときがウダウダ書くことは留めおかねばらないのである。興味がある御仁は宮下規久朗氏の本を読んで頂くことが、最も正確な知識と教養を身に付けることが出来るだろう。 がだ、一つだけ私流の凝着姿勢を見せておきたい。ここは私の別宅である

随想起抜『レカミエとオテーロ』

ジュリエット・レカミエ________いやマダム・レカミエと云った方が通りは良いのか。帝政時代19世紀初頭。高い教養を身に付け、柳絮の才を如何なく発揮し、フランス文学を礎に権力者たちによる"お茶会"の場でもその存在感を高めた絶世の美女であり傑出した人物として歴史に名を刻む。 フランス絵画の変遷になぞって眺めるのであればロココ終焉から新古典主義を駆け抜けた女傑であり、希望と騒乱が混沌なるままに支配した時代を、女としての生き道より人間としての生き方を貫いた女性であり…… 。 惜

随想一夕「"俺流解析"皆様よりのご高覧に感謝を寄せて」

例えばこの画、速水御舟作 椿花瓶彩 凡ての花は満開にほころんでみせているが 御舟は何故、枝に蕾をつけなかったのだろう。 ご存知のように花の開花には花序という節理がある。 これも無限花序と有限花序に大別されていることは、ご生花に通じた御仁ならば分かりやすいだろう。 これらの開花摂理に基づくなら主軸茎頂のものから咲くのだが、画を観てもわかるように"枝"頂であることがわかる。 それも3種類の八重椿が活けられている。 このことから考えるならば、この画が描かれた季節は4月後半から5月

随想好日『南の琳派・日本のゴーギャンと呼ばれた画描き田中一村』

随想好日『南の琳派・日本のゴーギャンと呼ばれた画描き田中一村』  わたしには紡ぎたくとも紡ぐことが出来ない画家が存在している。その生き様を書物などを通じ学べば学ぶほど距離を置かざるを得なくなる画家がいる。知らぬ方が寧ろ無手勝流宜しく無責任に書きやすいことがあることは知っている。知っているから余計に書けぬのである。  明治41年に栃木の木彫師の家に生まれた田中一村。本名田中孝である。近代日本画への造詣を傾けた御仁であれば『アダンの海辺』というタイトルは聞いたことがあるのでは

随想一夕『美術作品・芸術作品、アートを前にした"素人"が最も感じやすいと思われるファクト』

随想一夕 『美術作品・芸術作品、アートを前にした素人が最も感じやすいと思われるファクト』※ここでいう素人とは、書くまでもなく、わたし込みの素人である。悪しからず。尚、誤解を受けるのは詰まらぬので書き添えますが、本稿は例によりまして多分に書き手の主観が支配的であります。ご寛容のほどを わたしの考える答えから書いてしまおうか。それは「時間」である。 誰が描いた作品であっても、それが陶芸であろうと絵画であろうと彫刻であろうとである。芸術家というものは作品に「時間」を綴じ込める性