第一回コラム 「神術とは何か?」

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 noteでは初めまして、動画やツイッターではお世話になっております。魔王兼魔界広報担当、アズール・クリスタウラです。
このnoteではyoutube動画にするには長すぎ、しかし知っておくとよりこちらの世界に詳しくなれる各種基礎知識を『コラム』として掲載いたします。動画の視聴後等にご覧くださると幸いです。
(より内容をお楽しみいただくため、いつもよりも堅い文面での記載をお許しください。)

 第一回のコラムでは、動画やツイート等で頻出しつつもここまで解説の機会がなかった、当世界固有の法則であり奇跡たる「神術」について解説いたします。少々難解な解説になるかと思いますが、どうかお付き合い頂きたく思います。


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1.:神について

 まず「神術」が何たるかを語る前に、この世界の「神」について解説させて頂きます。神術はその名の通り、神という概念と深い関わりがあります。

 こちらの世界において、「神」と故障される存在は説話の中にのみ存在するものではなく、実際に存在するもの…とされています。なぜ表現を濁したかというと、この「存在する」ということは「物質的に存在する」ということではないためです。わかりやすく擬人化され、神殿に座する髭の老人…というイメージに沿うような「神」ではないとお考えください。

 では一体どういうものなのかというと、まずこの「神」は目には見えず、触れられず、人の信仰と思考の中にのみ存在しています。

 加えて、これをお読みの皆さん、手段は問いませんので今ここで火を出してみてください。マッチでもいいですし、煙草を嗜む方ならライターでも良いでしょう。コンロをつけても、薪をおこしても構いません。いずれにせよ、皆さんがとった行動により火が発生したとします。
この「なんらかの着火のための行動(行動)」→「火が生まれる(結果)」の→部分、行動と結果の接続部分に私たちの神は存在しています。

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 また神というものは一柱にあらず、地域の信仰により表現は変わりますが、「火」「水」「土」「風」の然理四柱(ぜんりよんちゅう)、加えて「光」「闇」の二柱の六柱が広く認知・信仰されています。

 これを踏まえて先ほどのたとえを説明すると、「マッチを擦る、コンロをつける」という行為によって「火がつく」という結果が生まれたならば、その行動と結果の間には火の神の力が働いていることになります。同じように、大河の流れに水の神が、大地から出ずる生命に土の神が、雲の仕組みに風の神が、それぞれ力を及ぼしていることになります。(光と闇の神は少々特殊ですので、またの機会に解説いたします) さて、ここまではこの世界における神の位置づけとその力について説明してまいりました。大変長い前置きとなってしまいましたが、この前置きを前提とした上で、「神術」についてお話ししたいと思います。

2:神術について

 改めまして、神術とはその名前の通り前述の神に由来する、この世界独自の現象です。
 古来からこの世界の知的生命体に利用されてきた現象であり、そちらの世界での認識としては「魔法」や「魔術」が近いでしょう。
 ただし、こちらにおいて神術が魔術と呼称されることはありません。何故ならば、神術は「神への祈りによってもたらされる、純然たる奇跡」であるためです。


 もう一度先ほどのように火を出してみましょう。今度は神術を使用してみます。
 神術は基本的にこの世界の住民であれば誰でも使えますが、その際に必要なものが「聖句」と「コスト」、そして「語彙力」です。

 まず、必要な術に対応する神へ祈りを捧げます。
 今回の場合は単純な発火現象ですので火の神のみで大丈夫です。この時捧げる言葉が「聖句」ですが、この文言はその神への賛美と請願の内容であればいくら簡易でも問題ないため、現代の神術の研究においてはこの部分を短縮することに心血を注ぐ一派も存在します。

 少々話が逸れました。次に行うのが、「自分が今から神に何を起こして欲しいか」を伝える行程です。
 この行程が曲者で、神術において神に何かを願う際には「起こして欲しいことをしっかりと理解し、言葉として口に出す」ことが必要です。
 今回ならば「手に乗るほどのサイズの火を起こしてください、手を火傷しないよう手のひらの20センチほど上に起こしてください」程度で構いませんが、これが仮に転移の術などであった場合は、「〇〇村出身の××、◆◆市出身の△△、(略)これらを北緯〇〇度、南緯〇〇度の地に(略)全身に損壊なく、誰一人欠けることなく、物品の鮮度もこのまま(以下略)…」など大変に長々と願うこととなります。
 この時に言葉が詰まってしまったり、内容が不完全であったりすると、もたらされる奇跡に不具合が生じます。なので神術士は口と頭の回転が早い者が多く、「良い神術士は神をも騙す」などと大変不敬な慣用句まで生まれるほどです。
(余談ですが、この行程で語られる言葉+聖句を図形としてまとめたり、本の形にまとめたりしたものが一般に流通しており、現役の神術士でない一般人はこちらのアイテムを利用し神術の恩恵を受けています。先ほどの転移の術も転移陣という形で設置することで、簡易的に使用が可能です。)

 これらの行程を踏む事で神術は起きます。が、最後に必要なものが「コスト」、他世界で言うところの「魔力」に相当するものです。
神術は言うなれば、神に願うことで「過程を飛ばして結果を得る」術です。火を付ける神術も、木と火薬を用意して作ったマッチを擦ったり、ガスを燃料にコンロで火をつけたり、そういった過程を飛ばして火を起こしています。神は本来術者が担うはずだった労力を代替し、代わりにそれに似合う対価を求めてきます。その際にかかるエネルギーが「コスト」です。
 この際に「コスト」として消費されるのは術者の生命力です。が、一般的には術者の消耗を防ぐため、「魔晶石」と言う、神術のコストとして消費可能なこの世界特有かつ一般的な鉱石を利用します。火種一つの生成ならば大体6㎤ほどの魔晶石があれば十分でしょう。
(ところで神術と魔術は違うのに何故魔晶石には魔の字が…?と思ったそこの貴方、素晴らしい着眼点です。この件に関しては後ほどお話しいたします)

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 こうして貴方の手の中には明々と灯る小さな火が生まれます。吹き消してしまえば消える程度のものですが、野営の際には熱源になり、有事には身を守る武器になる立派な火です。こちらの世界にやって来る機会があれば、ぜひ実際に試してみてください。

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3:神術と文明

 今回は火の生成の過程を追いつつ神術の仕組みについて説明して行きましたが、最後にこの神術が世界に与えた影響についてお話しして、今回は締めといたします。

 第一回の解説動画をご視聴いただいた方はもうご存知かと思いますが、こちらの世界と皆さんの世界は地理的、天文学的な観点から見ればほぼ同一のものです。同時に、星が生まれてから今までの時間、生物が発生してから進化し今の形になるまでの時間も同じと推測されています。その中にあって、そちらとこちらの世界には大きな違いがあります。動画内ではその違いについて、主に土地そのものに関して、生息する動植物についてなどの観点からお話しいたしました。
 しかし、そちらとこちらにはそれらの観点を抜きにしても、無視できない大きな違いがあります。
 それはズバリ、文明の発展速度です。現在、こちらの世界の平均的な文化の発展度は、(場所にもよりますが)そちらの世界におけるルネサンス前後ほどの場所でとてもゆっくり進んでいます。

 この現状には、先ほどまで説明してきた神術が大いに絡んでいることが最近の研究から推測されています。
私達が神術と出会ったのは、まだ人間も、魔族も、知的生命体としての進化の道を歩んでいる最中の頃であったとされています。(動画にあった古代魔族の扱う技術は別枠とします)
 このころの人類や魔族は、原始的な道具を扱い、偶然落ちた雷などから発火した火種を見つけて行きていたであろうことは想像に容易いです。この時点ではそちらもこちらも同じ進化の道を辿っていたことでしょう。
 しかしそのころ、こちらの世界の生命は神術と、神の奇跡と出会います。おそらくは飢えか、病か、危機的状況の中の、本能的かつ言語もないような祈りであったことでしょう。しかし神はそれらを助けました。当時の生命は救いをもたらした存在を認識し、原始的な信仰が生まれ始めました。

 そして、人々は手に入れた奇跡を武器に、驚異的なスピードで発展を続けて行きました。そちらの世界で帝政ローマが栄華を極めていたころ、こちらでは転移陣による超短時間での物流と人間の大規模移動の手法が確立されていたとされています。当時の文化は、時にそちらの世界を追い抜く速度で進歩して行きました。

 しかし、あるラインまで神術の進化が到達すると、途端に文明の発展はピタリと止んでしまいます。この世界は神術の進歩と息を合わせての進化を続けて行きました。神術があまりにも早く近似の「万能」にたどり着いてしまったことで、1世紀を待たずしてこちらの世界の文化発展には急ブレーキがかかってしまったのです。
 たかがその程度で、とお思いになるかもしれませんが、想像してみてください。炉には面倒を見ずとも消えない火が灯理、水流の操作により水汲みの必要もなく、地震や地滑り等も予測が可能で、気候の操作で干ばつの心配もない世界がこの地点で既に完成されていたのです。
ともあれ、この世界は停滞に入りました。500年、いや1000年前と同じ暮らしをしていればなんの苦もなく生きられる訳ですから。

 この世界において、神の奇跡は生命に富と安寧を与えました。しかし同時に、生活と文明を奇跡に委ねる道を私たちは歩むこととなったのです。
現在も神術は人々の暮らしを支える力として重宝されています。それは決して悪ではありません。しかし、不安定ながらも前進し続ける世界か、安定しつつも変化に乏しい世界か、改めて自身に問いかけることが必要なのかも知れませんね。


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 ここまで読んでいただきありがとうございました。これにて第一回コラムを終了とさせていただきます。

 最後の一文において何やら意識の高いことを言いましたが、我が魔界でも神術はなくてはならない技術なので、この一文は漏れ無く自分にもブーメランとして突き刺さっていくことになります。

 しかし実際に、今まで神術一辺倒だった業界にそれまでなかった技術が進出してきて革命が起きる…といったことはこちらでは時折起こりうることですので、これからも魔界はそちらの世界の調査と友好関係の樹立に邁進して行きたいと思います。何卒、よろしくお願いしますね。

 それでは第二回コラムまで、さらば!


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