【古文書訳】北条氏照文書(天正十二年(八月十二日)【素晴らしい鷹を頂きたい】

北条氏照文書(天正十二年(八月十二日)より。
永禄期より蘆名氏への取次を任された北条氏照。
相手に対し細かく状況を説明し、配慮を示しつつも本音(本性)が窺える文。

*「無所残成于壚=田畠を掘り返して作物を全滅させる」の部分は、
高村不期さん(ツイッターアカウント:@buqimingri)よりご教示頂きました、ありがとうございます。

【原文】

大平致帰国付而、乍便啓達、抑其以来令絶音間、意外令存候、
其時分態預脚力候、於宇都宮・皆河堺越度候、無是非存候、雖然、
御状三通ハ無相違自皆河参着、被見申候、盛興御遠行、於拙者落力、
御心中察存候、更以、難尽紙面候、内々此趣疾雖可申達候、
路次不自由故、乍存罷過候、全不可在私曲候、何様企使僧可申入候、
兼又、当秋之動、由良信濃守依懇望候、去十五日出張、十余日在陣、
大胡・廐橋領無所残成于壚、被納馬候、近日重而当口可為出張候、
其口々御弓箭達、如何無御心許存候、節々御音問、可為祝着候、
次、大平・小関・新井罷上付而者、拙者所へ直ニ可参由、向後者堅被仰付、
可為本望候、事々令期来信候、恐々謹言

源三 氏照
(天正二年) 八月十二日  蘆名殿 御宿所

追啓、去年被懸御意候鷹・靍・雁・鴻、無比類逸物候、
然を、難去自方所望、無了簡遣候、其以来、鴻鳥・鷹持絶候、
鴻、逸物之鷹所望存候、被懸御意候者可為大慶候、其為、
拋思慮申候、此外不申候、以上、


【現代訳】

大平が帰国する事について、手紙にて申し上げます。
さてそれ以後、連絡が絶え、驚いて飛脚をわざわざ預かりました。
宇都宮・皆河の境にて越度があり、仕方の無い事だと思います。
けれども、御状三通は確かに皆河より到着し、読みました。
盛興が亡くなった事、私も気を落としております。御心中お察し致します、
紙面には言い尽くせません。

道中不自由の為、内々の様子を速やかに通達しようと思っていながら時が過ぎました。どのような企みを使僧が申しても、こちらに不正は全くありません。

当秋の行軍、由良信濃守に頼まれ、去る十五日に兵を出し、
十日あまり在陣し、大胡・廐橋領の田畠を掘り返して作物を全滅させ、馬を納めました。

近日再び、当口へ出陣致します。
戦について多くの人があれこれ言い、どうしようもなくもどかしい事かと思います。時々のお便り、嬉しく思います。

次、大平・小関・新井(荒井)が行く事について、私の所へ直接参るべき事を、今後は堅く仰せ付けられる事が本望です。

事々に手紙で申し上げます。

追啓

去る年に頂いた、鷹・靍・雁・鴻、比類なく素晴らしいものでした。
このように手離せないものでしたが、考えなく手離してしまい、それ以来、
鴻鳥・鷹を持っておりません。
鴻、素晴らしい鷹を頂きたく思います。
頂けたら、とても嬉しく思います。
なりふり構わず申し上げます、これ以外に申し上げる事はありません。 以上です。


【個人的コメント】
氏照文書集や一族年表では「宇都宮・皆河の境にて越度があり」=で戦があったとしている。
調べたものの、どの戦か分からなかった。何かトラブルがあり、手紙が届かなかったと推測。
拋思慮申候=相手に対して何も考えずにどうか下さい、という無心かと思ったが、追伸にまで書いたり、前後の内容的に失礼な願いだと思われるので、あえて思慮をなげうつ=なりふり構わずで解釈した。もしかしたら、どうしても欲しいので失礼(思慮が無い)だと思いつつもお願いします。
という事かもしれない。

どのみち、氏照の鷹を求める欲求が、だだ漏れなのには変わりがない気がする。

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