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『指輪物語』の人称代名詞が熱い!!という話

かれこれ一か月前になってしまいましたが、11月2日に参加してきたNHKカルチャーの講座で、トールキン作品(『ホビット』『指輪物語』『シルマリル』)で人称代名詞に関する興味深いお話を聞いたので、ちょっと自由研究というか、趣味に偏った追加の調べ物をしてみたという話。



■ちょっと長い前提の話


 というのも、(ファンの間では既に周知の事柄ではありますが)『指輪物語』には、「作中でビルボとフロド(とサム)が書きあげた赤表紙本の写本の一つをトールキンが入手し、現代英語訳した」という大変美味しい“設定”があります。
 その“翻訳作業”に関してトールキンは以下のように語っています。

 赤表紙本の内容を、歴史として今日の読者に紹介するためには、ことばはすべて可能な限り現代のものに直した。共通語と異質の言語のみを元の形にとどめたが、それらは主として人物の名前と地名である。
 共通語は、ホビットたちの話しことばであり、かれらの記した物語のことばでもあるのだが、これは当然現代英語に直すことになった。
(中略)
相違点の一つをここに挙げてみることにする。重要な違いではあるのだが、翻訳でこれを示すことが不可能だからである。西方語では、二人称の代名詞に於て、(そしてしばしば三人称に於ても) 単数、複数とかかわりなく、「親しさ」を表わす形と、「尊敬」を表わす形との区別を設けた。
(『追補編』FⅡ翻訳について)

 どういうことかと言うと、中つ国の言葉(西方共通語)の二人称には、ちょうど日本語で相手に応じて「あんた」と「あなた」を区別するように、「親しさ」と「尊敬」の区別があったわけなのですが、ホビットの話し方(方言)ではその区別が失われていった…と。

 さらには、トールキンがそれを英語に“翻訳”する過程で、二人称が全部 "You" になっちゃうので、それを指して「重要な違いではあるのだが、翻訳でこれを示すことが不可能」と言っているわけです。

 え、でも日本語にはあるじゃん? 
 
 関係に応じて変幻自在な二人称。(あと一人称も)

 この設定を踏まえると、単なる翻訳者のさじ加減では無くて、「本当は登場人物たちがあえて区別して使っていた親しさ・尊敬の区別が、トールキンの英訳でいったん失われたが、英語以外の言語に翻訳されることで復活した」 とも取れるんじゃない??? (※赤表紙本が史実であるかのような強火の幻覚を見て行くスタイルです。)

 講座では『ホビットの冒険』からいくつかの台詞を拾って翻訳を比べていたのですが、まあ、推しで確認したいじゃん???


■本題:「レゴラスで確認してみよう」

推し(レゴラス)が他のキャラに対して使う二人称代名詞、漁ってみよーーーー!!!!
※私のレゴラスに対する拗らせた感情についてはこちらをご参照ください。


●対ガンダルフ ~明らかに目上の人~

原文: ‘But first, it would ease my heart, Gandalf, to hear what befell you in Moria. Will you not tell us? Can you not stay even to tell your friends how you were delivered?’
瀬田訳:「だが、まずお聞かせください、ガンダルフよ、そうすればわが心も休まりましょう。モリアであなたにふりかかった出来事を。聞かせていただけませんか? あなたがいかにして救われたか、そのことをあなたの友に語る間だけでも留まってはいただけませんか?」(『二つの塔』上1,p219-220)

 魔法使い(イスタリ)はエルフ達の間では賢者として尊敬されています。しかも≪旅の仲間≫の先導者でもあるので、レゴラス→ガンダルフの台詞が常に敬語・敬称で翻訳されるのは真っ当だなあという印象。

 余談ですが、最初は”Will you~?”と【要求の度合いが高い聞き方】なのに(「話してほしいな!くれますよね!」って感じ)、その後で”Can you ~?”になると「あ、できればで良いんですけど…」って【ちょっと譲歩する聞き方】になるの、可愛いなって思いました。


●対アラゴルン ~原作と映画でだいぶ距離感変わってるよね編~

原文:‘You have journeyed further than I,’ said Legolas.
瀬田訳:「あなたはわたしなどよりずっと遠くまで旅をされたのだもの」(『二つの塔』上1,80p)

 こちらも翻訳ではずっと「あなた」呼び。というかアラゴルンは、ギムリやホビット達やボロミアからも基本「あなた」で呼ばれてて、ガンダルフから「あんた」呼びされるくらいなので、基本的に皆から尊敬されてる。
 原作だとそもそもレゴラスとアラゴルンがどの程度の顔見知りなのかも不明なので、パーティーを率いるリーダー(かつ未来のゴンドール王)であるアラゴルンに対し、こういう態度で接するのは順当かな~と思います。

 映画でのやり取りに関しては後述。


●対ギムリ ~俺達親称だよね編~

原文:‘Come, you shall sit behind me, friend Gimli,’ said Legolas. ‘Then all will be well, and you need neither borrow a horse nor be troubled by one.’
瀬田訳:「さあ、私の後ろに乗るといい、我が友ギムリよ。」とレゴラスがいいました。「それなら何も文句は無い。君は馬を借りる必要もないし、煩わされることもないんだ。」(二つの塔上1,p73)
‘You shall come with me and keep your word; and thus we will journey on together to our own lands in Mirkwood and beyond.’
瀬田訳:「あんたは約束を守ってわたしと一緒に来てくれよ」(『王の帰還』下、p209)

 場所によって「君」だったり「あんた」だったりするけど、ガンダルフやアラゴルンへの態度と比べると新密度が一目瞭然。おそらく西方語でも“親称”の二人称で呼びかけてたんだろうな~と、思いを馳せやすい。
 できればロスロリアンで仲良しになる前のサンプルも欲しかったけど、そもそもギムリに対して直接話しかけないので、Before・Afterが比べられなかった…無念…

 あと映画での呼びかけ方も比較したかったのですが、映画ではギムリに対して「君」や「お前」のような人称代名詞を使ってくれないのでこちらも比較できず…無念…



●対エオメル ~初対面印象悪すぎ編~

原文:‘You would die before your stroke fell.’
「その刃が振り下ろされるより早く、あんたは死んでいるぞ。」(『二つの塔』上1、p57)

 ギムリを侮辱したエオメルに対し矢を抜き放つシーン。
 これは映画でも全く同じセリフです。(日本語吹き替えだと「その前にお前の命は無い!」 お前って…;;)

 こちらは気安さからくるものというより、敵や侮る相手に対しての「あんた」という印象。
 で、時間を経てちゃんとこの敵意は解消されるので、その後の台詞を比較したかったのですが、悲しいことにここ以外だと直接会話しないんですよ!!
 なのでギムリの時と逆で、親しくなってからの人称の変化が確認できない2人です。(とはいえ、後半の台詞では「エオメル殿」呼びになってるから敬称を使う喋り方に変わってるんだろうなと推察は出来ます。)



■映画だとどう変わる?

 この「英語で抜け落ちた親・敬の区別が日本語で復活しているかも」という読み方が、はたして映画の台詞にも適用されるかどうかは、正直”適用されない”とは思います。映画はあくまで映画のセリフの翻訳なので。

 とはいえ、この思考回路で映画を見なおしてみたら超楽しいのでおススメです。日本語はなんと字幕と吹き替えで二倍楽しい!!


●対アラゴルン ~映画の方が昔馴染みっぽい~

原文:We have trusted you this far. You have not led us astray. Forgive me. I was wrong to despair.

字幕「あなたは信頼に足る人だ。すまない。弱音を吐いた」

吹き替え「あなたを信じたからこそここまで付いてきた。一度でも、疑った私を許せ」

 ヘルム峡谷で言い争いした後の和解シーン。このやりとりは映画オリジナルです。
 この二人は映画だと「昔から知り合いなんだろうな」ってのが台詞の端々から分かるくらいキャラ設定が変わっているのですが、かといって「君」とかじゃない。
 となると、「仲間ではあるけれど尊敬寄り」くらいの距離感で設定された台詞なのかなと思えますね。


●対ボロミア ~初対面印象悪すぎ編 パート2~

原文: This is no mere Ranger. He is Aragorn, son of Arathorn. You owe him your allegiance. …(中略)… And heir to the throne of Gondor.

字幕「侮るな。アラソルンの息子のアラゴルンだぞ。忠誠を誓うべき相手だ。(中略)王位を継ぐ者だ」

吹き替え「ただのさすらい人じゃない。彼はアラゴルン。アラソルンの息子。(中略)お前の主君の家系だ。」

 エオメルの時のやりとりとも似てる。いや、シーンとしてはこちらが先なんですが。(これは映画オリジナルの会話なので、原作ではそもそもこんな険悪じゃないです。)

 レゴラスに限らず、映画だとキャラクターの口調がより現代風になっているのもあって、結構みんな「お前」とか「あんた」とか使う。
あとは字幕と吹き替えで求められる口調が違うのもあって、一人称や二人称が違ったり。これはトールキンが追補編で述べた設定を踏まえると言うより、完全に映画としてのキャラクター性をみて吹き替え台本を決めてると思いますが。

 ちなみに。
 原作だと(案の定)直接会話しないのですが、ボロミアの死に際し彼を悼んでレゴラスとアラゴルンが歌をうたっています。

‘O Boromir! Beyond the gate the seaward road runs south,
But you came not with the wailing gulls from the grey sea’s mouth.’

「おお、ボロミアよ! 城門のかなたに、海の道は南へむかう
けれどあなたは泣き叫ぶ鴎と共に、灰色の海の口から帰らなかった」(『二つの塔』/上1、23p)

 ここは“詩”の語調、しかも葬送の歌なので儀式的な意味が強いかとは思います。とはいえ普段の会話の呼びかけも、(もしあったとしたら)ガンダルフやアラゴルンに対するのと同じように敬称の「あなた」だったんじゃないかな~。原作だと別に初対面時の印象悪くないし。ていうか接点ほぼ無いし。


■結局何が言いたいの

 人称の呼び分けというのは、言ってしまえば作家や翻訳者のさじ加減だと思います。「こういうキャラ付にしよう」っていう、書く側の意図。
 ただ、『指輪物語』の「西方共通語で書かれた原本があるよ」設定に基づいて解釈すると、「親しさ」や「尊敬」で呼び分けは、登場人物たち本人の意図のように思えてくるのです。もしくは「赤表紙本を書いたフロドからには、周りの会話がこう聞こえてたんだな」とか。

 とはいえ、登場人物の気持ちなどというのはわからないので。やはりトールキン教授本人が、こういう「言葉づかい」というものに並々ならぬ拘りをもっていたからこそ、訳者も注意を払って、結果として日本語訳もこんなに豊かになってるのだなあと実感します。(訳者の瀬田先生と田中先生への感謝はもちろんのこと!)
 外国語が堪能な方は、ドイツ語やフランス語など親称と敬称の区別がある言語での訳を比べるのも沼だと思います。

 私の推しがレゴラスなので、この記事ではマジで好きなところしかまとめてないのですが、皆さんそれぞれ贔屓のキャラの人称を調べてみると楽しいんじゃないでしょうか。
 
 ひとまず、今度余裕あったら原作・字幕・吹き替えで二人称一覧表とか作りたいです。


 ちなみに、11月の講座とほぼ同内容と思わしきものが、来る2月に名古屋でも開催されるらしいので、行き損ねた人や興味のある人はチェックしてみてはいかがでしょうか?


【2月単発】JRRトールキンのファンタジー世界2/9
~指輪物語とエルフ語への招待~
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1192944.html


※引用のページは評論社文庫の新訳版に準ずる。


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