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カルトぬまにしずめてきた涙

 うそにしたくて、まじめに書いてる。

大学時代

 人前で泣かなくなった。いい歳をして泣いている人を見ると、過去の自分を見ているようで忌々しくなる。自分勝手な都合だが、苛立ってしまう。


 バレーボール部に所属していた十年間のことを、人生で最も虚しい時間だったと思う。大学時代の部活の監督と、折り合いが悪かった。気分の波と好き嫌いが凄まじい人だった。例えば部員全員で、気分を害し帰ろうとする監督を追いかけるという練習メニューがあったと言ってもいいほどだ。テレビの春高バレー密着番組で、ショートカットの選手たちが監督に追いすがるのを見たことがある人や、バレーボール経験者ならば、あの「練習」の様子が分かるだろうか。とにかく私の所属していた部活はリーグ優勝をするような強いチームでは、なかった。不満を抱く人はやめていったり、何となく口をつぐみながらやり過ごそうとしたりした。そして部員の大半は、監督に擦り寄っていった。

「社会人になってから苦労するよ」
 というのが監督の口癖だった。アルバイト以外に働いた経験のない私には言い返すことが難しかった。他の部員には言い返そうという気すら起きなかったのかもしれない。大げさな相槌を打ち、大きな声で返事をしていた。その口癖は練習時間だけでなく、自分の将来までも憂鬱にさせた。

高校時代

 私はバレーボールが下手だった。そして大好きだった。通っていた中学高校は部活に力を入れていない学校で、週二回の練習しかなかった。合計四時間の中にはレシーブやトスの練習というよりは意地悪や媚売り、そしてわがままがあった。独りぼっちになった私は、大学では楽しく一生懸命バレーボールをやりたい、という一心で受験勉強に励んだ。高校三年生の卒業アルバムの部活紹介の欄に、私はいない。

大学時代、再び

 大学に合格し、迷わずバレーボール部に入った。私の技術は、他の人々と比べて試合に出られるようなレベルに達していなかった。だから、オフの日には近所の地区体育館で練習した。体育館使用チケットの半分は今でも財布のカードケースの中に残っている。オレンジの蛍光灯の下で、運動靴をキュッといわせてトスを上げる練習をするのが好きだった。


 そんな私にたった一度だけチャンスが巡ってきた。上級生が就職試験で抜け、下級生がインターンで部活に出ることができない半年間、攻撃の要としてのポジションが与えられた。必死に練習した。十年間のうちの三週間。息抜きに先輩が練習に訪れた日曜日までのあの時間は確かに楽しかった。あの日、監督が何やら先輩とこそこそやり始め、コートで練習していた私たちに集合がかかった。

「皆目を瞑って。この中で次の試合に出すの不安だなと感じたメンバーがいる人手を挙げて」

嫌な予感がした。

「目を開けて。じゃあ発表して」

確かに一瞬、私は噴き出しそうになった。先輩と後輩が口々に喋り出す。

「私はありさで〜」

「私もありさで〜」

「私もありささんでー!」

何やら理由を言っていたが、きっと私の顔は泣き顔の上から涙が流れてぐちゃぐちゃになっていたと思う。正直憶えていない。涙が止まらないままどうにかして練習を終えた。手を挙げた三人は、本当にバレーボールが上手だった。そんなに試合に出たいと思っていたなんて知らなかっただの、そんなにやりたいならどうぞだの、後からコートに入る以上泣くべきじゃなかっただのと言われて、やっと目が覚めた。もうバレーボールのことを好きではなかった。


 部活を辞めると決めてからの一か月間、私は皆に付いて行って監督のことを追いかけることも、目を合わせることもしなくなった。二時間かけてJRで通って、心から応援できない先輩と後輩のスポーツドリンクを作って、荷物を持って、酒を注がないと蹴られて、ため息をついてまた二時間かけて家に帰る。私からメールが来ない、と監督から漏らされた後輩から苦言を呈されたこともあった。家に帰ると「お願いがあります 私の話をきくときは目を合わせてもらえませんか」という監督からのメール。

監督は不用意に辞めるというと自分が辞めると騒ぎだすので(そして絶対に辞めない)、辞めるまでに時間がかかった。超健康な家族の体調が悪くなったことにして、何とか沼から抜け出した。

「〇〇は退部じゃなくて、引退だからね」

散々痛めつけて、一瞬与えて、皆の前で奪った挙句の、白々しすぎる監督の言葉を聞きながら、私は再び笑いをこらえるのに必死だった。

 結局社会人になった今、監督の言葉は何の役にも立っていない。世代の違う人たちとどれだけ働いていても、理不尽に帰ろうとする人を追いかけたり、反省していますというひと芝居を打ったりしなくても困らない。分からないことはおのずと質問したし、上手くいかないことがあれば相談した。どれだけ自分が未熟でも、教えてくれる上司と、当たり前のように目が合った。


 近頃監督は占いを始めたらしい。しばらく連絡を取っていなかった大学時代の部活の同期から、ライブに誘われた。カフェで談笑していると、同期はおもむろに気持ちの悪い紙きれを取り出し、私に渡した。同期は私の生年月日を勝手に監督に教えていて、監督は私の今後の運勢を勝手に占っていた。開いて、占い結果が記されたワープロ打ちの字を見ながら、ああ、同期は私とライブに行きたかったんじゃなくてこの紙切れを渡したかっただけなんだな、と気がついた。でも今度は、今度こそ、私は笑うことができた。涙はもう過去の苦い記憶として、あの時代に置いてきてしまった。バレーボールを嫌いになって、社会人になって。本物の笑顔で。

教祖かよ。それであんたまだズブズブじゃん。

じょ

#徒然エッセイ

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