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名前が欲しくなる

正体がわからないものについて
安心したくて、名前が欲しくなる
そんなことはありませんか?

今感じてる気持ちや
説明できない何か、など

それは、【自分】という入れ物の中にある、
よくわからないものに対してもそうで。

よくわからない、
だけだとスルーもできるので
+なぜか執着してしまう何か
とが重なったときに
名前が欲しくなるのかもしれません。

執着の正体

なんでしょうねー。
執着を手放しましょうとよくいうけれど
大事だからこだわっちゃうんでしょう。

いまそれを持っていることが最適だから。

手放すには手放すだけの理由や
タイミングが必要なのかもしれません。
どうでもよかったら、さっと手放せるもん。

その人のコアを形成する一部だったり

その執着があるからこそ
体験・体感できることがあるはずで

その人の人間的成長で通る道への
パスキー🔑なのだとしたら
気が向くまで持っておく選択肢もあります。

多面体だから面白い

私は、外から見るとポップ、
活動的、笑顔のイメージが
強いんだろうと思うんです。

認識したのは、笑ってない写真を
SNSにアップすると意外と反響を
いただくんだなと気づいた時。

アンジーっぽくないけど、
こういう感じもいいね、なんて
個別メッセージをいただいたりします。

笑っているイメージなんだなーと。

笑う、驚く、はよく見るかな?
強がったり、とぼけたりはその次かな。

本当の寂しい、悲しいは意識的に
オープンにはしないようにしています。
限られた人にだけ。
(冗談やリップサービスなら
 いくらでも出せます笑)

理由は、相手に気を遣わせたくない、
もありますが

きっと
受け止めてもらえるという期待を
したくないんですよね。
そうじゃなかったときに自分が傷つくから。

目の前の人の眼差しの中に
シャッターがあって
それがガラガラ閉じていく瞬間を
見るのがこわいのだと思う。

名前がついた!「孤独感」

昨年9月から11月にかけて、
クローズドに募集されていた
コーチングクラスを受けることを決めました。

ラグビーのバックグランドがあり
コーチのコーチの、そのまたコーチ 
という方。

チームビルディング系の書籍の
帯にコメントが掲載されているのを
見かけて、びっくりしたことも。
この方からコーチング受けるんだ、って。

そのコーチとの、
二度目の個別セッションのフィードバックで
その時はやってきました。
わたしの中にある、
よくわからないものに名前がつけられる時が。

「実はあんじーには、近づいちゃいけない
という孤独感が漂っている気がする」

なんてこというんだ。この人は。
衝撃。

すごく良いこともしてるし
メッセージも真っ当。
みんなが、リスペクトもしている。

だけど、それは
(アンジーが)
本当に望んでいることなのかな?

すぐ、飲み込めませんでした。
苦い薬みたいに、
舌の上で味わいたくないのに
飲み込みたくもない。

でも同時に、
名前を得てほっとした感覚もありました。

そして三ヶ月のセッションで
出会えたのは

もがいている姿すらもセットで
私らしさだったんだ、
という気づきでした。

孤独感。手放しますか?

いえ。無理には手放しません。
時が来たら自然に放れていく、
と信じているし
離れないうちは私に必要なのだと思うから。

「含んで越える」

この言葉も、コーチがくれたもの。
このキーワードを頭の中に置いていると
白か黒かじゃなくても
説明がつかない状態も
そのままにあえてしておくことで
学びがあることを信じさせてくれます。

手放せるその時を待ちながら💓