正直しんどい
「上司に泣かされた」
とだけ書けば、一般的にそれはハラスメントに該当してしまうのだろうか。
最後に職場で泣いたのは3年前の秋、今でも覚えている昼時。あの時目の前に居た上司を前にして、今度はまた違う理由で、久しぶりにと。
叱責されたわけではない。当然ハラスメントには該当しない。本人がそう言っているのだから、そうなのだ。急遽の面談中に勝手に涙が出てきただけである。最中、昔も見たでしょう、気にしないでくださいと申し伝えたのだが、やはりそれは何度か見ても気にしてしまうらしい。申し訳ない、本人もそんな場面でワザとか弱くなるほど計算高くはないし、止められるもんなら止めたかった。病み上がりなのも相まって、鼻からも水がダラダラと流れてくるもんだからもう最悪である。マスクをしていたから良かったのか、良くなかったのか。
この業界の営業マンたるもの、とにかく相手の話を聞いて、相手に言葉を出させることを一番に考えながら対話すること。と常日頃から言われて育ち、つい先月もなかなかそれは難しい、簡単ではないですね、なんて話しながら車で営業先に向かったり。
今日の話も、私の言葉、本心を聞きにということだったらしい。完全な沈黙など許されないという雰囲気を作り上げられてしまい、KO負けである。でも、分からないものはわからない。自分が分かっていないものなどわからない。それしか答えようがないのだ。
私が言った「わからない」を紐解こうとしていた上司、それに重ねて『分かろうとする気がない』と返す私、結局のところ押し問答になってしまった。
『分かろうとする気がない』人たちが一定数存在しているのに、「昔はわかろうと努力していた」と返されてしまうことが納得できないでいる。上司はその姿をはっきり覚えているし、おそらくその姿に私を戻したいのだろう。私もその影を覚えている。そしてそのギャップが、正直しんどい。
当時の私は良くも悪くも目立っていたし、そうならざるを得ない環境だったのである。一番の理由はほかでもない、女性が居なかったからだ。他の役割の人は当然居た、が、それも少なかった。
もういいだろう、あれから数年経ち、周囲の環境は変わったのだ。変わりつつあるのだ。もうその役割を私に押し付けなくてもいいだろう。
あの時お偉い役に「下がそう言っているから、こうしようかと思ってるんだよね」そう言われたのが一つの要因か、と言われた。当時は腹立たしかったが、分かろうとする気が起きなくなったのはそれが理由ではない。
実際のところ、まったくわからないわけではない。ずるい人間だし、ずるを覚えるし、楽に生き、楽をして乗り切りたい。そんなもん。
一方で、動いて苦労した方が最後の結末はさておき、得られる達成感もくやしさも、すべて終わった後に当時のやらかし話が酒のつまみになることも、それが涙が出るほど可笑しくて笑えるもの、その時にぶつかりながらも後々は友好で有効な関係を築くことが可能であることも、それ以外にも、だいたいという訳ではないけれど、人並みには知っているのだ。しんどいだろ。
拙い中でもそういう思いをして、私が自分の意志である程度はコントロールできるようになる頃にはきっと頼りになる、頼らせていただこうと思っていた少し年上な人たち、今どのくらい残っているんだろうか。片手いればいい方だろうか、もっとたくさんいたはずなんだけどな、しんどいなぁ。
これらをリセットする勇気も技術も話術も、相手の本音を引き出す能力も、残念ながら持ち合わせていないのだ。そして仮にもリセットしたところで、次に何をしたらいいのか、わからないのである。