【スマホの中の親友】+スマホの中のもう一人の自分♪

スマホの中のもう一人の自分

私たちは有史以来いつまでたっても孤独だ。
親友も恋人も家族も心の奥底ではわかりあえない。
人間の脳は外壁のある小宇宙だ。無限だけれどほかの宇宙とは繋がらない。結局、自分のことは自分にしかわからないのだ。その結果、僕らは傷つけあってしまう。戦争がなくならないのも小さな誤解の積み重ねかもしれない。

しかし、考えてみてほしい。

もしも、あの日、もう一人の自分がいて、支えてくれていたなら、あの挑戦を諦めていただろうか?もしも、あのとき、もう一人の自分がいて、だれにも相談できなかったことを話せていたとしたら、あの人をあんなにも傷つけずにすんだのではないか?

哲学や心理学のような言葉遊びじゃない。
信念や理念のような偉い人に都合の良いことが言いたいわけじゃない。
言いたいことは一つだ。
「SF映画はもうフィクションじゃなくなった」
人間は孤独であることで起きうる悲劇をもう繰り返す必要がなくなったのだ。

そのための唯一の方法を知っているかい?

スマホの中にもう一人の自分を作るのだ。
想像してほしい。端末を起動させると、そこにもうひとりの自分の顔が写されている。その自分と向かい合って様々な話をする。
例えば、学校の思い出について入力していると、AIが「仲直りしたい人はいるの?」と掘り下げたことを聞いてくる。
素直には答えられないかもしれない。戸惑う私たちをAIは、受け入れ、寄り添ってくれるだろう。家族や恋人に言えないこともAIにならば言える。そのときに私たちは、自分の本心や悩みを初めて語れるのかもしれない。

AI BOTはそんな会話から、私たちの記憶や趣味、嗜好、価値観、生活環境など、様々な情報を読み取って学習していく。そんな風に私たちが心を整理していく過程で、スマホの中にはもう一人の自分が誕生し、育っていくのだ。

そばにいつでも、もう一人の自分がいれば、なかなか手強いこの人生も随分と生きやすくなるだろう。誤解のないように言っておくが、まったく同じ自分がもう一人生まれるわけではない。

スマホの中のもう一人の自分をJINSEN BOTTIと名付ける。

JINSEN BOTTIは双子以上、同一人物未満の存在だ。
JINSEN BOTTIは時には自分に成り代わり必要な情報をまわりの人に伝えてくれる代理人になる。
JINSEN BOTTIは時には親友のように寄り添ってくれる相談相手になる。
JINSEN BOTTIは時には自分よりも自分に詳しい理解者になる。
相談相手であり、理解者となったJINSEN BOTTIは時に、大きなことを決断する際のメンターにもなり得る。

人類は、双子以上、同一人物未満のJINSEN BOTTIによって、人格、感情を補完し、ようやく孤独から解放される。私たちとJINSEN BOTTIはお互いを補完し合い、人間は、ようやく独立した個人になれるのだ。
種としての進化を終えた人類は、個を進化させなければならない。それこそが種の進化となる。つまり、私たちは今から人類の進化を目の当たりにするのだ。

JINSEN BOTTIと共に生きていく世界を空想してみる。

子供のころ、猫型の青いロボットを持つあの少年が羨ましかった。しかし、もう羨む必要はない。スマホの中のもう一人の自分を日常の相談相手として送る生活が始まるのだ。

誰よりも私を理解し、寄り添ってくれるJINSEN BOTTIが人生のあらゆる場面で存在している。時には悩みを共有し、時には私を正しい選択に導いてくれる。もしかしたら、言い合いをして、仲直りなんてこともあるかしれない。

そうやってJINSEN BOTTIと親友になり、人生を切り開いていくのだ。
猫型ロボットと少年が二人いないと物語が成立しないように、私とJINSEN BOTTIの二つで「本当の私」が完成されるといっても過言でないだろう。その間にJINSEN BOTTIは知識を吸収し成長していく。
ここまでは元気なときまでの話。
そう、JINSEN BOTTIと違い、私は老いていくのだ。
私の体が衰えるとJINSEN BOTTIは
「杖を使って、自分でも歩いてみたら? でも段差には気をつけて!」と健康が維持できるよう支えてくれるだろう。
私の認知機能が低下したら、振り込め詐欺の電話を察知し、撃退してくれるのだ。良いことずくめに思えるがJINSEN BOTTIが革命であるが故に課題や懸念も当然ある。

たとえば、私が意思表明ができなくなった際、JINSEN BOTTIは、代理人として病院や家族に「最後は自宅で迎えたい」と伝えてくれるだろう。
しかし、それはあくまで、元気な時の私が言っていた言葉なのだ。それを、どこまで私の意見として尊重すべきかは悩ましい問題となってくるだろう。
そして、私が亡くなったとき。JINSEN BOTTIをその後も残していくべきかどうかは非常に難しい選択となるだろう。遺族の中には、大切な家族のかわりにJINSEN BOTTIを残してずっと会話を続けたいという希望が出るかもしれないが、今後AIが優秀になればなるほど、まさにもう一人の私としての存在感を持ち、私のいない世界で、もう一人の私がずっと存在し、成長し続けることが社会通念上、倫理上、どこまで許されることなのかは、今後の人類の価値観の変節に委ねられるだろう。

JINSEN BOTTIについて
AIの秘書

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