Pink Elephant

アパレルショップでアルバイトをしていた当時、六本木の交差点でスカウトされ、半年間だけクラブと呼ばれていた場所で働いたことがある。今でいうキャバクラである。当時の六本木界隈で、普通のバー以外のそうしたお店はまだ数件しかなかった時代である。

その店の名前は「ピンクエレファント」時給は5,000円くらいだったと記憶している。声を掛けられた時は全くやる気はなく、別のアルバイトをしていることを理由に断った。するとスカウトマンは、週1日で何時間でもいいからきてほしいと言われた。

「んっ…と…じゃあ、金曜日の夜で2時間だけなら。」
そう言ってみたところ、なんとそれでもいいという。
「続くかどうか、わかりませんけれど。」
「お試しでいいです。」
「終電って間に合いますか?」
帰りはなんと高速を使い車で自宅前まで送ってもらえるというではないか。どうせアパレルショップの勤務で六本木にいるのだから、2時間だけお酒を飲んで、車で帰ってこられるなら、悪い話ではなさそうだ。
「ではよろしくお願いいたします。」

客層は銀座とは違い、年配の方は少なく芸能人や商社マン、外資系IT企業などの比較的若い男性が多かったように思う。専業にしているような女の子たちもいたが、皆優しい子ばかりで、週に2時間しかやってこない私を温かく迎え入れてくれていた。こんなに楽で、おいしい仕事はないかもしれかい…。最初のうちはそんなふうに思っていた。しかし、そのうちに高給がもらえる理由が何となく分かってきた。深夜にお酒をきれいに飲める人はそう多くはないのである。名前こそは伏せてはおくが、女の子の膝枕で酔い潰れてしまったり、くだを巻くような常連の芸人さんもいた。水商売というものを生業にするのは、思った以上に大変なことなのだと気付き始めたそんな頃だった。私の体はなぜか強ばり、手足はいつもとても冷たくなっていた。飲み慣れない水割りを無理して飲んでいるからだと思っていたが、それは強烈なストレスからくる心身の不調からくるものだった。そんな私が、ついにこの仕事と決別することになるある出来事が起きる。

その日は何となく疲れていて気分も乗らなかったので、普段より少し重い足取りで店に入った。するとそこには、今田耕司さんがラモスさんや武田さんなどサッカー選手たちを7人くらい連れて来店されていた。私はスタッフからすぐにその席につくように促された。
「こんばんは!」少し緊張しながら席に着いた。
(どうしよう、何か、おもしろい話をしなきゃ…)
一流の芸人さんを前に、必死でそんなことを考えていた。しかしそんな気苦労は不要であった。すぐさま今田さんの軽快なトークに引き込まれてしまったからだ。ここで働き始めてから初めて、私は心の底から笑っていた。そこはお客さんとホステスではなく、男女も関係なく、そのテーブルだけが、ただの仲良しグループの飲み会のように盛り上がっていた。他のテーブル席のお客さんたちが、羨ましそうにその様子をただ眺めていた。

楽しい時間はあっという間に過ぎていくー。今思うと、今田さんは、その空間に集う全員の様子を終始チェックしているようにみえた。接待する側の私たちも含め、全員がちゃんと楽しんでいるのかどうかをずっと気に掛けられていたのかもしれない。「ほら、何でも好きなものを飲んで。」そう言ってもらったことを覚えている。一緒にいらした他の方たちも、やはりそこは今田さんと同じで、その楽しい空間を共有し合うことだけに集中されているような飲み方で、気さくで、優しく、ユーモア溢れる素敵な方たちであった。

「もう帰っちゃうんだ…」女の子たちは皆、寂しそうな顔をしていた。今田さんご一行を見送った私は、とてつもなくおもしろいライブを見終え、すっかり満足したような気分になっていた。こんなふうに人を楽しませることが出来る特殊な才能に恵まれた人間がいるんだということ、その一方で対価を支払い、それを堪能する側の人間がいるのだということー。この出会いで、私は間違いなく、後者であることを思い知らされたのである。その日の仕事を終えた私は、この仕事を辞めることを決意した。きついノルマがあるわけでもなく、この手のお店にしては、こんなに働きやすいところはなかったのかもしれない。それでもこの選択は、やはり間違ってはいないはずである。

今、テレビでお見受けする今田耕司さんはあの当時のままである。くだを巻いて酔い潰れていたあの芸人さんを今、テレビでお見受けすることはない。


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