見出し画像

幸せへのパスポート

私は数カ月もの間、海外挙式のための準備に追われていた。結婚式は日本国内でも準備は大変だが、海外挙式となるとやることも多くてとても大変だった。国立保険医療科学院のライフイベント法とストレス度測定によると、人間が最もストレス度を感じる第1位は配偶者の死で、2位は離婚。個人のけがや病気などに続いて、なんと7位には「結婚」がランクインしている。これは8位の解雇・失業を上回るものになる。

何か手伝おうか?という彼に対し「あなたはパスポートさえ準備しておいてくれれば大丈夫だから。」そう言って、仕事をしながら私は一人で結婚式の準備に明け暮れていた。その時はダイエットなどしなくても、2~3キロは痩せていたような気がする。気分は高揚しているし、そうしたことに忙しくしている自分に酔っていたのかもしれない。そうこうするうち、ハワイの教会の手配やウェディングドレスなど嵩張る荷物を現地のホテルへ航空便で送り終えた出発の2日前。トランクの荷造りもほぼ終わっていた私は夕食作りにも精を出していた。「あとはもう飛行機に乗って行くだけだね」と話しながら夕食を食べているときに、なぜか暗い表情をしている彼に気づいた。

「体調でも悪い?どうかした?」

「いや、そのパスポート…」

「え?パスポートが、どうかしたの?」

「切れていたんだ、期限が。」

「そんな…嘘でしょ?」

なにかの間違いではないかと、彼のパスポートの有効期限を何度も何度も見返した。しかしそれは嘘でも夢でもなかったのである。(あれだけ、言っていたのに…。)
パスポートさえもちゃんと準備をしてくれていなかったの?私は頭が混乱し、次に何をどうすればいいのかが全く分からなくなった。

1歳に満たない赤ちゃんでも、外国に行くのにパスポートの申請が必要で、それを知らずに出国出来なかった有名女優さんのニュースがあったことを覚えている人はいるだろうかー。そう、今から発行してもらえる可能性はないのである。私に出来ることはもう何もなかった。そうすると仕事のスケジュールを何とか調整したことも、航空機も、教会も、ホテルも、現地のブライダルコーディネーターのことも、これまでやり取りしてきた人たちや、お祝いをくれた人、準備をして待ってくれている人たちの顔が次々に浮かんできた。今更、私は何と言えばいいのだろう…。

我に返った私はすぐさま自分の父親に電話をした。今回の挙式にかかる費用は全部、私の父が出してくれていたのである。こんな連絡をしなければならないことが、何よりも辛かった。

「お父さん、あのね…」

話を終えると父は暫く絶句し、そして長い沈黙が続いた。そして私がいちばん怖れていたことを言った。
「お金のことは一切、考えなくていい。ただ取り返しのつかないことは、しっかり考えたほうがいい。悪いことは言わない。彼との結婚は考え直したほうがいいんじゃないか?」

その日、私は一睡もできなかった。翌朝、私はダメ元で外務省に電話を掛けてみた。「パスポートを至急、発行してもらいたいのですが。」後に私は外務省の代表電話を受ける仕事を経験することになるので、この手の電話が、いかに迷惑極まりないものであるのかを痛感することになるのである。

「人命に、関わることですか?緊急事態なのですか?」
「いいえ、結婚式でハワイに行く予定だったのですが、パスポートの有効期限が切れていたんです。」
そう言っている自分が恥ずかしくて、心の底から情けなかった。

「・・・それは無理ですね。」「わかりました。」
そして不毛な時間だけが、ただ過ぎていくー。

出発までもうあと一日しかない。いてもたってもいられない私は◯◯町の旅券課へ向かっていた。藁をも掴む思いだった。シーズンだったのだろうか、この時の旅券課は大勢の人たちがパスポートを取得するために列をなしていた。私はそこでずっと頭を下げつづけていた。そしてただただ、話を聞いて欲しいと懇願していた。しかしどの担当者も業務に忙しく、話すら聞いてはもらえなかった。

私はその場に立ちすくんだまま、なぜか体が動かなくなっていた。私にはどうしても彼のパスポートを発行してもらわなければならない理由があった。それはハワイに行きたいからではなく、結婚式を挙げたいからでもなかった。父の言うとおり、パスポートがなければ、この結婚そのものが破談になることが、私にははっきりと分かっていた。パスポートを確認することさえしていなかった彼に対する怒りよりも、こうしたことで人生の歯車が狂ってしまうということが、私にはとても残酷に思えて悲しかった。そうしているうちに、旅券課の受付の終了時間は近づいていた。

すると奥で私の様子をずっと見ていたらしい職員の方が近づいてきた。「話だけですが、お聞きしましょう。但し、話だけですよ。」私は何の脚色もなく、正直にこれまでの経緯を話した。話しているうちに絶対に人前では泣いたりしない私の目から自然に涙がこぼれてきた。担当者の方は目を瞑り、腕を組んだまま暫く黙り込み、長いこと考えてからこう言った。

「私にもね、娘がいるんですよ。あなたと同じくらいの。あなた自分のパスポートが切れていたわけじゃないんだよね。それなのに何時間もこうして…。もう何と言ったらいいのか。今回だけは発行しますが、口外は絶対にしないでください。」

こうして飛行機に搭乗する日の朝、私たちは都庁で発行されたパスポートを受け取りに行き、その足で成田空港へと向かった。あれから25年ー。

この時の担当者のことを忘れたことはない。あの時に交わした約束を、今回初めて破ってしまったことになるのだが、そんな今、ふと考える。あの時、旅券課へも電話で問い合わせをしただけだったらどうなっていたのだろう。直接話を聞いてもらえずに帰されていたとしたら、どうなっていたのだろう。私にはまた違った人生が、待ち受けていたことだろう。もしかしたらそのほうが良かったのかも知れないし、その答えは誰にも分からない。

担当してくれた旅券課の方はきっと「幸せへのパスポート」が発行されなったことで、私の人生の歯車が狂ってしまうことがないように特別に取り計らってくれたのだろう。大袈裟かもしれないが、そうした思いに恥じることなく人生を生きることが、私に出来る最大の恩返しであり、そうした思いがきちんと伝わる人間なのかどうかを見極めるために私と対面し、話を聞く時間を設けてくれたのだと思っている。

結婚とかそういうこと自体が幸せなのではなく、夫しかり、さまざまな人たちからの助けを借りて自分は生きているということに気付くこと、それが「幸せ」ということであると思っている。そうした意味で旅券課の方からは「旅券用のパスポート」と「幸せへのパスポート」を同時に発行してもらったと思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?