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漫画家/イラストレーターが考える「なぜAIイラストが異常に反発/批判されているのか?」〜生成AI緒問題を「価値」を軸に紐解く〜

※ この記事は「価値」と「人格」2つを軸に書いていたが長くなっため一旦「価値」部分までとしている。


2022年8月頃から画像生成AIが登場し以降生成AIは各領域に広がっている。そんな中、絵描きの反発はAI絵登場直後から突出して大きい。

  • 絵柄を模倣する国内のAIサービス「mimic」が炎上。サービス一時停止(2022.08)

  • 無断転載サイト「Danbooru」から学習した画像生成AI「NovelAI」が大きな反発を招く(2022.10)

  • 海外で「AIアート/アーティスト」に中指を立てたツイートが拡散炎上/18万いいね(2022.11)

  • クリスタがAI生成機能「Stable Diffusion」モデル搭載を発表。とりわけ海外で大きな反発を招き炎上。実装撤回(2022.11)

  • 個人のローカル環境で追加学習が行える「LoLA」が登場したことで無断AI学習に拍車がかかりさらに大きな反発を招く(2022.11)

  • 著名なイラストレーターKim Jungの死後直後、同作家AIモデルを無断作成されたこと等への批判ツイートが拡散炎上/19万いいね(2022.12)

  • Midjourneyなど汎用画像生成AIに自身の作家名/プロンプトや作風を無断利用されていると多くのイラストレーターが憤りと遺憾の意を表明し拡散炎上(〜2024)

  • 特定作家の作風を再現するLoLAモデルを作成/配布された多くのイラストレーターが憤りと遺憾の意を表明し拡散炎上(〜2024)

同様の事例は他にも数多くとても挙げきれない。一方、ビジュアル表現という意味では近いジャンルの写真/映像/漫画/アニメ/ゲーム/ロゴ/各種デザイン界隈でもここまで継続的で大規模なムーブはあまり、もしくはほぼ全く見られない。これは一見理解しづらい現象かもしれない。

なぜAI絵分野の反発が大きいのか?
具体的には無断AI学習が批判されるのか?
なぜ同じ絵に関わるジャンル間でも反応差が大きいのか?
ひいてはAI諸問題の本質とは何なのか?

この記事では複数分野に身を置いており(漫画/イラスト。どちらも本業ではない)、当事者目線込みでAI諸問題の根本的要因を考察/整理したいと思う。

根本的要因なので同様の事象は絵以外の分野でも無断AI学習/生成が問題になると考えられる。実際この考察の延長で「(当事者ではないが)少なくとも声と新聞の分野は反発が大きい」と想像し、実際現状そういった動向が見える。
結論だけ書いても伝わらないが、結論から書くと問題の根本に関わる要素は「価値」と「人格」2つと考える。「価値」問題を一言でまとめると「学習元データの主要な1次価値がダイレクトかつ多分に移転/享受される形の無断AI学習/生成」と言える。

無断AI学習に対する絵描きの反発の理由として次のように指摘される▼

  • 絵描きの時代の変化と仕事が奪われることへの恐れ 。ラッダイト運動/既得権益論/老害論

  • 絵描きのテクノロジーへのアレルギー反応。よくある一過性の懐古主義/ステレオタイプの人間至上主義

  • 絵描きの選民的優越感からくる不満と抵抗。特権意識論

  • 絵描きのAIの性能/スピードに対する嫉妬と不安。お気持ち/感情論

  • 絵描きの法律/機械学習に対する無知と偏見からくる事実誤認。お気持ち/感情論

時代の変化を受け入れられず、選民意識に溺れ、理性も知識もない。改めて書くとすごい言われようでAI関係なく絶滅させた方がいい集団と思えるが、ただ、分野業種によって明らかに有意な反応差が明るみになってきた現状を鑑みるに問題の根本を上記のような「属人的な気質/能力」とするのはさすがに無理が出てきたのではないだろうか。

なぜ他の多くの職種の人間は未曾有のAIツールの出現にアレルギー反応を起こし、ラッダイト運動を起こさないのか?AIの性能に「ズルい」と嫉妬し、無断AI学習に怨嗟の声を上げないのか?本当にAI絵批判は絵描きという個人的/集団的偏りに起因する特異な集団ヒステリーなのか?
自身の考えは当然「否」で実際複数分野の当事者である自分は分野によって立場/主張が異なる。そしてそれらは概ね一般的な反応とも重なると思う。

  • イラストレーターとしては無差別/無断AI学習に明確に反対(理屈的にもだが動悸がするほど言葉に表せない感情に襲われる)。

  • 漫画描きとしてはあまり気にならない。できるなら対価欲しい。

  • ちなみに本業も生成AIの影響は小さくないが業界的にも個人的にもネガティブな反応は皆無。

そのような身上もあってAI批判を個人的な性向の問題とする分析は当然説得力がない。対して「価値」と「人格」を軸に考えると同じ人間でもこれだけ反応/主張が異なるのも説明がつくということだ。そしてそれらはAI諸問題に通じる本質的要素を含んでいる。
それぞれ書いていくがこの問題はシンプルで伝わりやすい領域(価値)と伝わりにくい領域(人格ー身体的理解を必要とするため根本的には伝わらない)が混在している。ただ前者の「価値」部分だけでも客観的妥当性を備えた根拠としては十分で今後を含めAI諸問題の全体像も見渡せる判断基準の一つになると思う。

この数年AI絵批判は「とるに足らない感情論」で片付けられているがAI絵批判/AI問題の本質は「価値論」と言える。もっと言うと多くの人間の営為/問題も突き詰めると大体一種の価値問題に行き着く。

また、記事の個々の内容は他にも同様のことを言っている人は少なくない。ここではそれら今まで見聞きしたものを含め自分なりにまとめている形になる。

※ 記事の読者は大学生〜位を念頭に書いている。
※ 記事中の「1次/2次価値」などは既存の用語ではなく便宜的に用いている。
※ 記事中のAI/画像生成AIはstable diffusion、midjourneyをはじめ学習データが著作権者の同意に基づいていないものを指す。
※ プロフィールは特に特筆すべきものはない。漫画もイラストも本業ではなくアマチュア〜副業レベル。どちらも当事者と言って差し支えない位の経験値はある。註釈を入れたい点としては漫画とイラストは活動も作風も全く別物。また、日本で主にAI絵問題とリンクする美少女イラストや二次創作は全くの門外漢。pixivも見たことがない。

重要な前置き/人間と社会の原理「価値」とは

これまで「AI絵で絵描きが駆逐されるのは自然の摂理」というコメントを何度も目にした。原理的な話をすると人間と社会の最も普遍的かつ根源的な原理と言えるものは何か?というとそれは「価値」である。
人間の本質というと「欲望」が浮かぶが人は「禁欲/ストイック」も価値を感じれば積極的に求める。苦痛や恐怖/不幸からすらも生理的にポジティブな反応を覚える。人は無意味なことも楽しめるし前向きに「人生に意味はない」ということができる。

しかし、人は無価値なものは求めないし「人生に価値はない」はポジティブに反転しない。人の動因の一番核にあるものは「価値を感じるかどうか」と言える。

また、社会の最重要アイテムに「お金」があるがそのお金の機能/定義は何かというと「価値の尺度/交換/保存」。つまり「お金≒価値」と言っていい。「価値」はこのように極めて概念的/抽象的/個人的、かつ極めて現実的/具体的/社会的な性質を持っている。目には見えないけど厳然と存在している。人間個人も社会全体もそんな「価値の網の目」の中に生きている。

ビジネスも言うなれば「価値の流れを可視化・具現化・健全化する活動」と言える。例えば以下のような本でも「価値」の重要性が見てとれる。どちらも「価値」という単語が何百回も登場し、終始ひたすら価値価値価値。価値視点は重要という以上に空気並に必要不可欠なのが伝わる。

どのように価値視点が必須か一例を挙げると、例えば映画アプリの開発。映画アプリの競合というと一見映画館が浮かぶかもしれないが、映画アプリのユーザーにとって一番の「価値」は「就寝前の時間つぶしに使える」だったとする。すると実際の競合は映画とは全く関係ない他のゲームアプリかもしれない。競合の想定を映画館/スマホアプリどちらにするかで映画アプリの仕様から価格設定/販促アプローチまで変わってくる。このように「価値」を見ないとビジネスは終始迷走状態に陥る。以下こういった価値の捉え方を主眼にAI絵/AI諸問題を見ていく。

ところでこの記事では法律や機械学習にはほぼ全く触れない。そもそも熟知もしてないが一番の理由は法や機械学習より「価値」の方が根幹となるレイヤーにあり重要だから。法は前提として価値や価値の流れの健全さを守るためにあり、法や機械学習の是非は価値の是非に準じるべきでその逆ではない。
価値の流れ方によっては(価値のエコシステムの設計次第、つまりトータルで価値が上がる流れなら)権利者が法律上の権利を喜んで手放すケースだって普通にあり得る。例えばAI絵登場前から自作品の著作権は放棄すると公言してる西野亮廣氏など(利用ルールは公式サイト参照)。
人間の世界ははじめに価値ありき。法や権利/感情/論理/シンギュラリティーよりも「価値」は先に立つ。

また、無断AI学習の肯定意見として「無許可のAI学習は合法であり法治国家において現行法に背く言動こそあるまじき行為」とよく言われる。しかし「法律には常に抜け道がありその抜け道を糾弾することは法治国家としてあるべき姿」なのは以下の本にも書かれている通り。法律上問題なくても価値/お金の流れとして不正な抜け道を批判するのは法治国家として普通に望ましい。

価値に焦点をあてるもう一つの理由は普遍的な「価値」を物差しにすることで「全員同じテーブルにつくことができる」から。なるべく門戸を広げたい中で込み入った法律/機械学習の話なんて世間一般には絶対に届かない(こんな長文も十分届かなそうではあるが)。本記事ではAI問題を考える上で最も重要で複雑な専門知識も要らない「価値論」に焦点を絞っている。

「価値」を考える上で欠かせない要素「量」

もう一点だけ「量(生産量/供給量)」も重要なので補足。例えば貨幣も発行量をコントロールすることで価値を保持し、ビットコインに至っては完全に有限に設計されている。ダイヤモンドも金も道端の石ころよりありふれていたら価値は暴落するだろう。このように価値/価格と量は限りなく密接な関係にある。

生成AIの特徴はその無限に近い生成量にもあり当然価値の流れに甚大な影響を与える。AI/人工知能という名称もあってか「人間とAIの学習は同じ」など両者を同等に扱う意見が多い。しかし価値/お金の流れが適正か考える上で量的にほぼ無限の差がある人間とAIを同一視することは絶対にできない。仮に人間とAIのシステムが完璧に同じだったとしても。仮にいつか人間とAIの境界が消えて一体化するとしても。
AIの圧倒的生産量はプラスとマイナスに働く領域があり、それも各分野の反応の違いの一因となっている。少なくとも現時点において一律で人間と同一視できないしすべきではない。

画像生成AIに対する漫画/イラスト界隈の反応

価値の違いの前に両分野のAI絵/無断AI学習に対しての反応の違いを確認。
※「イラスト」はここでは主にアート/アート寄りの領域の絵と定義している。

漫画界隈の反応

クリエイターの大きな反発をあまり見ない写真/動画/デザイン界隈に比べると漫画家の批判の声は少なくない。ただ2022年当初から容認/歓迎寄りの言動の方が目立つ。

  • 漫画原作者Rootport氏がAIに描かせた漫画「サイバーパンク桃太郎」を発表

  • 尾田栄一郎/奥浩哉/うめ氏など人気漫画家が画像生成AIを使用。生成物をsnsにアップ

  • 赤松議員が「画像生成AIは日本が勝つチャンス。有名漫画家で反対と明言してる人は見かけない」と発言

  • 「AIの遺電子」山田胡瓜氏も各媒体でAI全般に関してポジティブに発言

  • 絵描きとAIの親交と共生を描く「画家とAI/樺ユキ」「えをかくふたり/中村一般」を発表

漫画を描く自身の感覚としても「漫画家で反対する人もいるのは意外」が正直な感想。

イラスト/アート界隈の反応

すでに書いた通り大反発を招いている。2024年に入ってからも国内外で数万から20万近く賛同/拡散されてる批判ツイートが絶えず、勢いが衰える気配はない。
日本はむしろ2022年当初は批判の声を上げにくい風潮だったが、今年に入り「#NOMORE無断生成AI」がトレンド入りする等、より批判の規模は大きくなった感がある。※#NOMORE無断生成AIはAI絵以外も含む

漫画/イラスト界隈の反応の違いは絵における「価値」の違い。絵が目的/1次価値か?絵は手段/2次価値か?

これら両分野の反応の違いの要因が「価値」にあると考えられる。具体的に言うとそれぞれの分野における「学習データとなる絵の価値の違い」でそのジャンルにおいて絵の価値が「目的/1次価値か?」あるいは「手段/2次価値か?」による。

漫画における「絵」の価値

漫画の目的/1次価値は単純明快で「面白いこと」。その中で絵の存在価値は目的達成のための手段/ツール的側面が強い。
漫画の制作工程にはペン入れ/清書する前に下書き的な「ネーム」があり、漫画の価値はこのネームの段階でほぼ10割決まる。ハンターハンターは落書きレベルのネームで掲載されても面白いが「絵が上手い”だけ”の漫画」には何の価値もない。

漫画家にとって絵の巧さや画風は手段/2次価値と言える。

イラスト/アートにおける「絵」の価値

一方、イラスト/アートの目的/1次価値は「絵」そのものである。
確かにイラストにも情報の伝達等を目的をする領域もある。

しかし、イラストレーターにとっても依頼者/鑑賞者にとっても何より絵そのもの(巧拙/作風/表現方法/絵に含まれるあらゆる要素)に1次的な価値がある。
法律上画風に著作権はないが画風に1次価値はある。それも間違いなく事実だ。「見た目が美しい”だけ”の芸術」にも価値がある。

(多くの領域の)イラストレーター/アーティストにとって絵は1次価値そのものと言える。

このように分野によって同じ「プロの絵/ビジュアル表現」でもその価値の内実/重みは全く異なる。AI絵に対する各分野の反応の差が大きいのはまず何よりこの違いに起因していると考えられる。

そして、AI生成において生成物の質は当然学習元データの質に依存している。言い換えると学習元データの「価値」はダイレクト、かつ多分に生成物に移転し享受される。現状その可能性が十二分に見込まれる。

それを踏まえると各分野の反応の要因は次のようにまとめられる。

  • 絵を手段とする分野でAI学習/生成において移転するのは2次価値。商品/サービスの1次価値が移転するわけではないため無断AI学習も許容範囲となりやすい。

  • 絵を目的とする分野でAI学習/生成において移転するのは1次価値。商品/サービスの1次価値そのものが移転するため無断AI学習は許容しがたい。

絵の価値(手段/目的)の違いから生まれる全体的な価値の流れの違い

先に補足した「価値≒量」に注目して各分野の価値の違いから生まれる「全体的な価値の流れ」の違いも確認する。生成AIは圧倒的な生産性/効率性の高さが特徴。その特徴は絵の価値が手段か目的かでプラス/マイナス、全く逆の影響を及ぼす。

  • 絵を「手段」とする分野(漫画)ではプラス面が大きい。画像生成AIによって手段の効率化と品質アップが見込め、ひいてはその分野の1次価値(漫画:面白さ)の向上に繋がる。

  • 絵を「目的」とする分野(イラスト/アート)ではマイナス面が大きい。画像生成AIによって大量に同等同質の価値の絵/1次価値が生成されることによる没価値化や学習されることで即代替されるリスクがある。

具体的なマイナス面の影響例▼

  • 「マスピ顔」など一定のAIイラスト絵柄が広まり一瞬で絵柄のコモディティ化を招く

  • 度々AIユーザー自身によって「ある人の絵を集中学習してskebで依頼しなくて済んだ/稼げた」といった体験談が報告される

尾田栄一郎と同等同質の絵が大量生成されたからといって「ワンピースは読まない」とならないが、絵描きは即「もうこの絵描きはいらない」となり得る。絵自体に1次価値を置くエコシステムの中で致命的なバグとなる。
「絵の価値の違い」× 「AIの生産力」によってこのように価値の流れは変わりプラス/マイナスどちらにも作用する。

AI絵の恩恵を最も受けるのは絵を手段/2次価値とするプロ

AI絵登場後「絵の素人より絵のプロの方が画像生成AIを活用できる」は通説となっているし一定の事実だろう。しかしここまでの内容を踏まえて言うと「絵を"手段"とする絵のプロは無断AI学習の恩恵を最も受け、絵を"目的"とする絵のプロは無断AI学習のデメリット/リスクがまず大きすぎる」がより実状に即している。

アニメやゲーム分野も漫画に近い。アニメ/ゲームも「絵は手段/2次価値であり、画像生成AIは1次価値(ストーリー/ゲームの面白さ)の向上に繋がる」。肌感ではアニメ/ゲーム界隈の方が漫画以上に「絵は手段。生成AIは道具にすぎない」感が強く必然的に無断AI学習も大歓迎に見える。
その他のビジュアル表現を手段とする領域も「絵なんかただの手段で手段の簡易化/効率化は百利しかない」となる。それもその領域において 100%事実だろう。

これが同じ「絵のプロ」の間でも反応が激しく異なる実相であり主な要因と考えられる。「なんで同じクリエイターなのに」と思うもしれないが「同じ絵のプロ」の間でこそ深い分断が生まれるのはむしろ必然と言える。皮肉なことに絵に1次価値をもつクリエイターにとって絵を手段とするクリエイターこそ最大の利害相反者/敵となる可能性が高く実際そういった様相を呈している。

価値視点で見る「無断AI学習批判に対するコメント」

ここまで再三カチカチカチカチ書いてきたのでかなり価値視点を意識されてるかと思う。その上で改めて無断AI学習批判に対してよく言われるコメントをいくつか見たい。一見フェアで筋が通ってそうだが「価値」を軸に考えると違う見え方がするのではないだろうか。

「特定の分野/絵のみ無断学習反対はダブルスタンダード」

「無断AI学習はあらゆる分野で行われている。絵の分野だけ批判するのはおかしい。翻訳AIなど他の無断学習AIを利用していて画像生成AIだけ否定するのはダブルスタンダード。絵の無断学習を否定するなら他の全てのAI生成も使うべきではない」といった主張。

確かに全ての学習元データの価値が同等同質なら一部だけ否定するのはフェアではない。しかし、ここまで見てきたように「AI学習/生成において移転する価値」は同じ絵分野でも全く異なる。価値に違いがあるのであれば、それらを考慮せず全て同じ扱いにする方がアンフェアではないか?単純に素人の落書きと熟練の芸術家のデータの価値は等価なのか?それらを同じ扱いにしてしまっている現在の無断AI学習は価値視点においてとてもフェアとは言えない。

「自分の作品はどんどんAI学習してOK」というクリエイターとそれに対する賞賛の声

中には自作品のAI学習OKと公言する著名クリエイターもいる。そういった発言は度々絶賛され、返す刀で「反AI」が斬られている。最も古い記憶では人気漫画家の奥浩哉氏。最も記憶に新しい所だとゴールデンボンバー鬼龍院翔氏が「自身の楽曲データのAI学習OK」と公言し賞賛されていた。

しかし、価値視点で見るとAI学習OKとしているデータは自作品/活動における1次価値以外だったりする。漫画についてはすでに書いた通り。ミュージシャンにおける楽曲は現状賛否あるが、その前に「多くのPOPミュージックの価値を決定づける1次価値は何か?」というと「声/ボーカル」である。桑田佳祐が歌わないサザン/桜井和寿が歌わないミスチルの楽曲に満足するファンはいない。そして鬼龍院氏は自分の声のAI利用を許可してるかというと当然していない。
※金爆は色々特殊なのでAIひろゆきみたいに声も無料提供する気もしなくもない。また、AKB系アイドルのように元々ボーカルの属人性を排し価値を高く設計してない場合も話は変わる。

いずれにしても単純に「自分の主要な価値を簡単に手放す人間はいない」という話なのである。手放すとしたらそれはその分野/人にとって「2次価値に過ぎない/1次価値は侵さない/トータルでは⁨⁩1次価値が上がる」等の可能性が考えられる。そういったケースを引き合いに1次価値を守るために無断学習を拒否する人を非難することはやはりフェアとは言えない。

総じて同じジャンル/同じAI学習でも「価値」を混同していることによるズレがあらゆる所で見られる。

まとめと結論。問題は「著作権侵害」以前に「価値侵害」

冒頭に書いたように本記事は無断AI学習の問題の根本を「価値」と「人格」の2つと考える。そこでまず自身も当事者である漫画/イラスト分野におけるそれぞれの反応の違いとその要因と考えられる価値の違いについて述べた。

そこから見出せた傾向は主に問題となってるのは「絵自体を目的とし1次価値を持つ領域の無断AI学習」ということ。
より突き詰めると様々な分野に通じるAI諸問題の本質は「学習元データの主要な1次価値がダイレクトかつ多分に移転し享受される形の無断AI学習/生成」と言える。

では現状の日本の法律解釈を簡単に書くと次のようになる▼

  • 全ての無許可無報酬の無断AI学習は合法

  • 学習(インプット)と生成(アウトプット)は分けて考える

  • 違法か否かは生成物次第で既存の著作権で判断

  • 著作権上、画風は保護の対象に含まれない

  • 著作権上「類似性/依拠性」が認められれば違法

類似性と依拠性の説明は省くが言ってしまえば法的に問題ない程度に「ズラせば」済む話だ。いくらでも法的な安全圏で学習元データと同等同質の価値の絵を大量生成できる。かくして学習元データの1次価値も流出し放題の機械学習パラダイスが出来上がる。

しかし、それは価値の流れ的におかしくないだろうか?
学習/生成を通して価値は移転するのに学習/生成を分けて考えることは合理的なのか?
世の中はサービス/商品の主要な価値に対価を支払うルールで回ってるのではないのか?
価値の提供者自身に価値に見合う価格を決める権利があって当然ではないのか?
「現行の無断AI学習はその原理原則から逸脱してる」と反対することは感情的反発なのか?
「法律では合法」だとしたら間違ってるのは法律の方ではないか?

そもそもの発端であるStable Diffusion元CEOのEmad氏は「イラストやデザインは道具」といった主旨の発言をした。だとしたら「絵」を目的とする領域まで一緒くたに扱ってるのは誤りではないか?

これが国内外問わず、無断AI学習批判派の疑問と主張の核心と言っていいと思う。

AI絵問題ではよく「著作権侵害」の問題になる。しかし、それよりも重大なのは現行の著作権(類似性/依拠性)は侵害していないと言える範囲で価値だけ利用できてしまう点だ。つまり「著作権を侵害していないから問題ない」のではなく「著作権を侵害していない形で価値(1次価値)だけ移転できてしまう」「権利侵害以前に価値侵害」が最大の問題だと言える。
本来価値あるものを守るための法が価値流出の抜け道になり、権利者ではなくフリーライダーの盾になってしまっているのは本末転倒ではないだろうか?

AI諸問題の「本質」と書いた通りこれはAI絵以外にも当てはまる。上記のような1次価値の抜け道的構造が見られるケースは絵以外の分野でも問題になる可能性が高く実際になっている。冒頭で書いたように先の考えから2022年当初から少なくとも絵の他に「声/新聞記事」は無断AI学習が問題になると考えていた。

  • 声/新聞、どちらも学習データがそのままそのサービス/商品の1次価値を持つ(ケースが多くの割合を占める)

  • 既存の法律では違法にならない、もしくは違法にならない範囲で十分学習データの価値を移転し利用できる

  • AIの生産性と簡便性がマイナスに働き、学習元データの没価値化とエコシステムの持続性が危ぶまれる

2024年現在までに声/新聞分野は国内外問わず各所で無断AI学習に批判の声を表明している▼

  • 日本俳優連合が「無断で声優等の声を利用した生成AIに強い危機感」を表明し、#NOMORE無断生成AI タグを発起。/7万いいね(https://x.gd/guczr)

  • 全米声優協会が声のAI利用に対する「合意と公正な補償」を求めてストライキを敢行(参考:https://x.gd/kkhQi)

  • 日本新聞協会が「報道コンテンツの無断AI学習/フリーライドは許容できない」と表明(https://x.gd/En31D)。

  • 米NYタイムズ、 記事流用でOpenAIを提訴(参考:https://x.gd/j2SVO)

最後に自分自身の立場/主張をまとめると次の通り▼

  • 反AIでもAI推進派でもAI中立派でもない。

  • 明確に「学習元データの1次価値が移転/流出する形の無断AI学習/生成」全般に反対。少なくともその点にもっと注目し慎重になるべき。現状は一線を超えてるにも程があるし、それ以前にボーダーがなさすぎる

結論/代替案は繰り返し言われてきた通り「学習段階での許可と報酬/オプトインとすること」。それだけである。よく「規制」云々言われるが規制というより「価値に相応しい対価を。価格を決める権利を」とごく当たり前の常識を求めてるというのが実情に近い。

「なぜAIイラストが異常に反発/批判されているのか?」
記事タイトルの答えとしてはそんなごく当たり前の常識がなぜか全く通用しない世界にある日突然放り込まれてしまったから。普通に常識を求めてるつもりが「なんで一部の絵描きだけこんな異常に反発するんだ?そんな物分かりの悪い人間は駆逐されるべきだ」と異常者扱いされる世界になってしまったか⁨⁩ら。

絵描きにとって「自分の絵」は商品/サービスにおける「目的/1次価値」以上にある種金銭には変えがたい特別な価値がある。声優や歌手にとっての「自分の声」のように。ある面においては自分以上に「自分」で人生の全てと言えるような。たぶんずっと批判の声を上げてるクリエイターはそんな風に感じている人が少なくないように思う。

あとがき

あとがき1

この文章を書いて何が変わると期待してるかというとなんとも言えない。最初に書いたように個々の内容は既に少なくない人が指摘していることと大差ない。よく言われる「無断AI学習は漫画村と同じ」も本記事の主旨と完全に一致する。自分なりにまとめても実質同じものに変わりない。その上での現状なのでやはり同じ現状が続くだけなのも道理と思える。この2年間世界中で誰が何度「非倫理的(unethical)」と訴えても「合法/お気持ち/感情論」で終わってるのを無数に見てるので改めて言っても…という感は拭えない。

それでも書いたのは「さすがに…」と思ったため。2年前AI絵登場後、絵描きの反発はすぐに「仕事を失うことを恐れた絵描きのお気持ちラッダイト運動」と見られた。正味これこそステレオタイプな印象論と言いたいところだけど、それも仕方ないとも思える。しかし約2年たった現在、AI絵以外の様々な分野でも批判の声が上がりAI分野の中からも批判の声を聞くようになった。

"When I started working on AI four decades ago, it simply didn’t occur to me that one of the biggest use cases would be derivative mimicry, transferring value from artists and other creators to megacorporations, using massive amounts of energy," AI researcher Gary Marcus said in response to the model. "This is not the AI I dreamed of."

(「私が40年前にAIの研究を始めたとき、最大のユースケースのひとつが、膨大なエネルギーを使って、アーティストやその他のクリエイターから巨大企業に価値を移転する、派生的な模倣になるとは思いもよらなかった。「これは私が夢見たAIではない。」/DeepL翻訳 )

Gary Marcus -Feb 16, 2024 https://x.gd/yLob8

その現在でもAI絵/無断AI学習批判への多くの反応は変わらない。「なんだかんだいってAI絵を攻撃するのはただの嫉妬。テクノロジーの進化とラッダイト運動は歴史の必然。AIはただのツールでそれ以上でも以下でもない」。各分野のインフルエンサー、クリエイターをはじめとする権威的な存在も価値の問題として捉え直したり是正する動きは見えない。

「さすがに…」と思って「書いたところで…」と思いつつ書いた。少なくともここまで長々と「価値」に重点をおいた文章はなさそうなので「価値」視点でAI問題を捉え直すキッカケにはなれたらと思う。いままでそういった見方をしていなかった場合、よりAI諸問題の全体像/共通要素が見えやすくなったり建設的な議論にも繋がるのではないかと思う。

あとがき2

ここで挙げた「価値論」は生成AI問題の根本の一つと考えるが、当然生成AIに派生する全ての問題をカバーするわけではない。手段/目的における価値が問題ではない領域やポルノやプライバシーなどの問題、もしくは実際に「仕事が減るリスク」が問題になったり「嫉妬/不満」からくるネガティブな反応もあるかもしれない。

また、仮にオプトインに移行できたとしても問題が全て解消するわけではないだろう。近い作風でもAIで普及させたい人/させたくない人がいるだろうし、オプトインの実現可能性など派生する問題はいくらでも考えられる。

いずれにしても繰り返すとこの記事は「価値で見ること」を一番のテーマとしている。大雑把にまとめると「絵はただの手段だ/いや絵は目的だ」みたいな表面的な議論のスレ違いをよく見る。そのため「同じデータでも分野/人によって価値は全く異なる」という土台は自明のものとして予め共通認識になればと思う。

価値を意識して目を凝らせば「漫画家は絵/ミュージシャンは楽曲/プログラマーはコードのAI学習を受け入れてるのにAI学習を拒絶する絵描きはただの時代遅れ」という結論に簡単にはならないはず。⁩価値視点でなぜ断固拒絶する人と余裕で受け入れられる人がいるのか?考えるとまた別の様相が見えてくると思う。

あとがき3

2022年8月にAI絵が登場した際、AI絵/AI諸問題の鍵となるのは「人格」だと直感した。ある面では「価値」以上に「人格」が各分野/人によって反応と実情が変わる決め手になると思えた。そのため、まだ「価値」問題しか書けていないのは片手落ちではある。ただ同時に「価値」部分だけでも十分本丸と言え、ほぼ完成状態と言っていいとも思う。

正直この記事を書こうかと思い始めてから優に1年は経っている。本当はこの記事も図解説明を盛り込んだり、もっと短く編集したいと思っていたが気力的に息切れし、とりあえず公開することにした。この記事の残りの「人格」部分を含め一応今後も何かしら投稿するつもりではいるが全く未定になる。

補足/思いつき次第追記

  • 本記事では「無断AI学習を歓迎」寄りとしたアニメ/漫画分野(日本アニメフィルム文化連盟/日本漫画家協会)も文化庁が2024年募集した意見公募等で無断AI学習に対し批判的なコメントを寄せている(参考:https://x.gd/q9sUj)


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