Coccoがうんこと呼んでいたもの

昨日、久しぶりにnoteを書いたらめちゃくちゃすっきりした。

いつも仕事の原稿を書くときには苦しくて仕方ないのに、なんで?となんとなく理由を考えていたら、昔よく聴いていたCoccoのことを思い出した。そういえば、Coccoは歌のことを「ただのうんこ」って言ってたな、と。当時中学生だった私はその意味がさっぱり分からなくて、やっぱり天才は違うんだなとしか思えずに、そのままにしていた。

それが今、唐突に分かった。私にとって、このnoteに書いてることこそが、うんこなんだ!

以下、Coccoが語っていたうんこの話を転載します。もうこれも20年くらい前の話になるのか…。

“歌が好きだと思ったから、歌を何か商売にしたくないと思ったの。それまではこっこはバレリーナになりたくて、東京に来て、で、ずっとなれなかったから挫折したと思ってて、沖縄にも帰れないしってなったら、何か間違えて歌手になっちゃって。そしたら、バレリーナのときは誰も足を止めてくれなかったのに、歌手になったらみんながいいというわけよ。で、悲しいこととかがいっぱいになったときにそれを歌で出したら、人はそれをいいというけれど、こっこにとってそれはうんこなわけ、ただの。嫌なのだから排泄しないといけない。排泄行為を人はいいといって、だからもうそれがどうしていいかわからないだったわけ。だけど、ある日、ハッ!歌好きだって気付いてしまったわけ。その瞬間にうんこじゃなくなったわけよ、うんこが。ハッ!辞めないといけないと思って。なんでかっていったら、みんながこっこにうんこを求めていたから、歌はうんこじゃなくなっちゃったから、私うんこで商売できませんと思って、辞めた”

日常で起きたことを、日々もくもく食べ続けながら、それがどうしようもなくため込まれてしまったとき、はきだすもの。私にとって、それは文章だったのだ。仕事で書く原稿はなんで辛いかっていうと、うんこじゃないから。何の話してるんだろ、これ。

仕事で書かなきゃいけないのは、私の中を通り抜けて自然に出てきたものじゃない。いわば、料理をそのまま提供している感じ。その料理を一生懸命つくって、「美味しいと思ってもらえるかな」とか考えたりしながら出しているもの。これはうんことは正反対だ。だから大変だし「私ほんとは料理下手だし好きじゃないのに」と、いつも苦しんでいるわけだ。

カーグラフィックにいた頃は、ある程度うんこ的なものを出していたと思う。今考えればすごい。自分でレシピ考えて、料理を作って、それを完食して、消化して、短い時間の中で無理やりうんこしなきゃいけないんだから。あの頃、原稿を書くときには、髪の毛が逆立つような、寿命が縮まっているような感覚があった。でも、いつからか周りに「これ、うんこじゃん!料理出して!」って言われるようになって、「確かに!」と原稿を書くようになってから、何かが変わっていったんだな、きっと。

『歌はうんこじゃなくなっちゃったから、私うんこで商売できませんと思って、辞めた』

Coccoの言葉と自分の気持ちを、ようやく理解できた。「頑張ってうんこするぞ!」って、おかしいもんね。

カーグラフィックにいた頃、わたしのうんこ的なものを気に入ってくれていた人に対しては、今の仕事ぶりは申し訳ないとも思う。でも、あんなに大変なことはなかなかできないので、これからも仕事ではほとんど料理を出してしまうと思います。たまにうんこ的なものを出すことができたら、喜んでもらえればいいなと思っています。

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