あじ
aikoの無観客ライブ配信を見ながら、ふと思ったこと。 私は学生の頃からバンドが大好きで、ライブにもよく行っていた。高校の時にはギターも始めて、ガールズバンドを組んで学園祭でライブをしたこともある。今でもギターはたまに弾いているし、機会があればライブに出ることもある。なので、ちょっとはライブのことを知っているつもりなのだが、こういう無観客のライブ配信は、私にとって初めての新鮮な体験で、ちょっと戸惑った。おそらく配信している側のアーティストもそうなんだろうな。 ライブという
外には、今年もう聞き慣れてしまったセミの声が響いている。 じとっと首にまとわりつく汗に、嫌だなぁと思いながら、リモコンに手をかける。その時、ベランダからパタパタとウッドデッキを叩く音がして、すぐさまザーッという雨音に変わった。雨の匂いがする。それだけで、自分の体温が数度下がったような気がして、エアコンは諦めて、扇風機を少し強くして、ベッドに寝転んだ。 「あなたにとって、一番の夏の思い出は何?」 一緒に仕事をしている人たちと会話が途切れた時、最近よくこんな風に尋ねている。
自分の人生の主人公は、自分。 これまでそれが当たり前のことだと、ずーっと思ってきた。だからこそ、今やりたいこととか、楽しいことととか、興味あること、全部やらなきゃ損!と信じて疑わなかった。 でも、最近「いや、果たしてそうだろうか?」と思う瞬間が増えてきている。 「わたし一人で出来ることって、すっげー少ないな」 きっと普通の人なら、とっくに気づいているようなことを、ようやく身を以て実感している。 だから、この世の中には、会社や家族など、大小さまざまなコミュニティがある
自動車雑誌の編集部を退職してから、フリーランスになって2年が経った。それなのに、いまだに同じことで悩んでいる。「フリーランスになったらスッキリするだろう」「もっと自分の中で深く考えて答えを出せるだろう」と思っていたことが、今、さらに色濃く私の心をモヤモヤと曇らせる。 「もっとたくさんの人に車の魅力を伝えたい」 車好きだけではなくて、もっと同世代や若い人、そして車に興味がない人にも楽しんでもらえるような発信がしたい。シンプルな願いのはずなのに、まったく手が届かない場所にある
誰しも自分を肯定してくれる人を必要としている。と思う。 それも単純に褒めてくれる人ではなく、自分を深く理解し、それを受け入れ、良いところを噛み締め、愛でてくれて、時には間違ったことを教えてくれる人。 なんと都合のいい、と思われるかもしれないが、これは理性ではなくほぼ本能のようなもので、気づかないふりをしても、心の中でいつの間にか求めてしまっているのだから仕方がない。 特にわたしにとって文章というのは、恥ずかしげもなく、まるまんまをさらけだしている、いわば裸の本物の自分な
文鳥が手のまわりを飛び回っていて、けっこう爪が伸びていることに気がついた。「これ切らなきゃだめなのかな」爪楊枝よりも細いその足を見て、もし自分で爪切りをしなきゃいけないと思うと、むちゃくちゃ怖くなってくる。不安になってネットで「文鳥 爪切り」で調べてみると、「爪切りのショックで死んでしまうこともある」と書いてあって、ますます怖い。 実際に鳥を飼ってみると、あらかじめ本で読んだり、ネットで見たこととはイメージと違うと感じることは色々ある。もちろん正しい情報はたくさんあるけど、