紅楼夢 ー  ブックチャレンジより

大西 穣さんから7日間ブックカバーチャレンジのバトンタッチを受けて7日目。2020年5月頃に投稿。

A Dream of Red Mansions translated by Gladys Yang and Yang Xianyi
紅楼夢 (このヴァージョンはアマゾンでA Dream of Red Mansions translated by Gladys Yang と検索するとKindleで出て来ます。)

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この作品は英語でこの翻訳で声を出して朗読しながら読むべきだと思っている。ここにこの作品からの部分が朗読されて上に作った作品がある。まずは音で聴いて欲しい。
演奏は沢井一恵の13弦筝とAyuoのサンプラーの演奏。

Ayuo, Kazue Sawai - They sat on two bamboo stools and gazed at the moon
https://www.youtube.com/watch?v=W4zeCUJQJwA


この作品の元は18世紀の中国で書かれた「紅楼夢」という120章に渡る自伝的な小説である。翻訳した人たちは中国に革命以前に社会主義にあこがれて中国に住みに行ったイギリス人の女性と中国人の夫。しかし、彼らは大変な目にあってしまう。イギリスのスパイだという汚名をきせられて、1960年代の文化大革命の時はほとんど収容所で過ごすことになる。息子は半分白人ということでいじめられ、そのトラウマで自殺してしまう。この中国の古典「紅楼夢」を英語翻訳しろという命令で収容所から出して頂けるが、妻の受けた精神的なダメージは大きかった。夫もその後はシニカルな人間になってしまう。

天安門事件が1989に起きると、夫は世界中のメディアで中国は「ファシズムになった、共産党は社会のことなんか何も考えていない」と世界中のメディアに語り出した。中国共産党は彼が仕事ができなくなるように引退させた。彼の自伝は英語で書かれて、中国の外でしか買えない。彼のように天安門事件について語ったり、中国共産党について語る人の本を売る本屋さんは香港でも政府によって閉められるだけではなく、本屋さんや出版社をやっている人が蒸発してしまう。昨年の香港の大きなデモはこうした事件がいくつもあるから大きくなった。

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この翻訳の凄さはシェークスピアのような英語古典の伝統と中国の漢詩の伝統を両方つかんでいるからだと思う。そして、英語の響きから想像できる世界が音楽としても最も理想的な世界だと思っている。英語を朗読している二人はイギリスのプログレッシブ・ロックで知られているピーター・ハミルの近所に住んでいた姉妹で、ピーターが二人を紹介してくれた。

この場面では二人のいとこ同士の場面。祭日になって、人々が自分の家族や故郷に戻っているが、この二人には戻れる故郷がない。楽しい祭りの笛の音が遠くから聴こえて来る。

「私たちには家族もない。どこも戻れる国がない。」と一人が嘆くと、もう一人が「二人で交互に湖の側で詞を書きましょう」と誘う。ここから古典的な英語の素晴らしい詞の交換が始まる。

この作品から感じ取れる孤独感のメランコリックな美しさは僕が日本に住むようになってから常に感じていたものだ。自分も14歳から17歳の頃には両親が離婚を何回も続けて、帰れる家も家族も無くしたものだった。この曲で聴ける一音一音の動きに悲しみや怒りが伝わってくるはずだと思っている。また、この作品の翻訳者のように新しい社会を作る政治活動を夢見て、自分も自分の家族も人生を棒に投げてしまう人が世の中にたくさんいるのを僕は見ている。

The sky above is sprinkled with bright stars.
And everywhere sweet strings and pipes resound.
No house but has its windows opened wide
The breeze that softly fans the air is chill
But bright as day the fine night outside
The greybeard grabbing for cake is mocked
Green girls share melons laughing themselves silly
How fresh the scent of jade osmanthus bloom
このように続いて行く。
最後に。
The lamp by the window is no longer bright
A stork's shadow flits across the chilly pool

この曲につけた映像は粟津潔の実験映画で、彼のアトリエの窓の外にうつる木々や緑の影が白黒で映されている。この詞の最後に語られる窓の外の影と場面の共通点がある。こうした粟津潔さんの映像は粟津潔展の時に音楽をライブで付けさせて頂いた。

僕はこの作品アジア系英語圏の作品だと思っている。この作品を理解するためには英語古典詩の伝統と漢詩を翻訳から理解できる能力が必要となるからだ。

このような英語の言葉と中世ヨーロッパのモードを中心とした作品は僕の音楽キャリア中に作っている。昨年自分のレーベルで発表した「Outside Society」ではこのような作品の延長が中村明一さんの尺八、久東寿子さんの25弦筝、立岩潤三のパーカッション、上野洋子のヴォーカルやアコーディオン、守屋拓之のベース、海津賢のキーボードとAyuoの發弦楽器の演奏で聴ける。準邦楽の楽器が全面にでているということで、サウンドとしては、この頃の作品と一番共通点があるかもしれない。波多野睦美やヤドランカと共に演奏した「オフィーリア」という曲も言葉の使い方としてはこの曲とつながっている。

こうしたアジア系英語圏の作品は日本語で聴いている人にはどう伝わっているかは分からない。英語が分かっている人に聴かせると、作品が何を語っているかはすぐに伝わっているようだ。ある時、旅で会った香港人で映画の仕事をしている人この曲を聴かせると溝口健二の映画の場面を思い出すと言われた。
日系アメリカ人の物理学者ミチオ・カクは世界が平和になるためには、世界中が一つの言葉を理解できることが必要になるだろうと語っている。その一つの言葉は科学でもビジネスでもコンピューターでも世界中で使われている英語になるべきだと彼は言う。これはアメリカの権力とは関係ない。アメリカはこの数年「アメリカ・ファースト」という政策になっていて、毎年毎年どんどん孤立化している。グローバル・リーダーからは下りたと語っている。日本でそう感じないのは、安倍首相はそうなってもアメリカについて行くと表明しているからであって、世界でのアメリカはどう変わっているかは英語で世界ニュースを見ない限り分からなくなっている。

明るい話では、このCDのもう一つの「紅楼夢」に基づく歌の曲「A Song To Fallen Blossoms」は3年ほど前にスウェーデンのフェスティヴァルでピーター・ハミルと25弦筝奏者の中川かりんによって演奏されている。ピーター・ハミルのファンサイトを見るとこのCDのファンが今でもいるようだった。


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