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ハタレ・オロチ…『ホツマツタヱ』に現れる魔物の正体とは?(研究ノート②)


(↓『ホツマツタヱ』の概要に関しては前回の記事を参照)
https://note.com/ayunori555/n/n06ef63caa0a5

人に棲みつく魔物=「ハタレ(外れ)」とは?

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『ホツマツタヱ』には魔物の姿が描かれる。
しかしその正体は往々にして人間そのものである。

恨みや妬みなどの捻じ曲がった心(生き霊)を「イソラ(逸霊)」と呼び、これに取り憑かれた人間を「ハタレ(外れ)」あるいは「ハタレマ(外れ魔)」と呼ぶ。つまり「人の道から外れた霊」の意である。


『ホツマツタヱ』ではこのハタレによって種々の災厄が引き起こされることになる。

おろかめが ねたむいそらの
かなつゑに こたねうたれて
ながれゆく あるはかたわと
なすいそら 

愚か女が  妬むイソラの
金杖に   子種打たれて
流れゆく  或は片端と
なすイソラ

君主の寵愛を一身に受ける妃に対する下女の怨念が世継ぎを流産させる。

まづしきは およばぬとみお
うらやみて うらみのあだに
たねほろぶ ひとおねためは
ひにみたび ほのほくらひて
みもやする ねたむねたまる
みなとがぞ

貧しきは  及ばぬ富を
羨みて   恨みの仇に
種滅ぶ   人を妬めば
日に三度  炎 食らひて
身も痩する 妬む妬まる
みな咎ぞ

富める者に向けられる、貧しい者の恨み・妬みの負のエネルギーはお互いの身を滅ぼす。妬まれる者も当然被害を受けるわけだが、妬む側の者も「身が痩せる程の炎に焼かれる」と言う。「妬む・妬まる」両方とも3次元世界における二極の不毛な争いに過ぎない。
数々の災厄、いわば「負の現実化」はこうした「ハタレ」によってもたらされる。

オロチ(愚霊)もハタレ

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ハタレは、あるいは「オロチ(愚霊)」とも呼ばれる。愚かな道に外れた生き霊の意である。
オロチと言えば、素戔嗚(スサノオ)が討伐したことで有名な「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」と呼ばれる蛇が思い起こされる。実はオロチと呼ばれる蛇はこのハタレのオロチ(愚霊)の「物実(モノザネ=本質を象徴した物や行いのこと)」であり、本質的にはやはり人間の内に巣食う「ハタレ」がその核のようだ。

(参考サイト:「オロチ」https://gejirin.com/src/O/oroti.html)

アマテル(天照)によるハタレ征伐

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『ホツマツタヱ』では「ムハタレ(六外れ)」と呼ばれる全国各地の六大ハタレ(シムミチ(霊満ち)、ハルナハハミチ(治主蝕霊満ち)、ヰソラミチ(逸霊満ち)、ヰツナミチ(飯綱満ち)、キクミチ(キク満ち)、アヱノミチ(天狗満ち)の6種。)をアマテル(天照)が鎮める様が描かれる【8文 魂還しハタレ討つアヤ】。

人の心根が極度に捻じ曲がって凝り固まると、動物の霊魂に支配されて六種類のハタレになります。嫉妬の心が凝り固まると錦大蛇のシムミチになり、功名心が凝り固まると鵺(ぬえ)のハルナハハミチになるのです。また誇る心が強すぎて蛟(みずち)のイソラミチになり、欺く心が群れて狐のキクミチとなり、卑屈な心から猿のイツナミチになり、他人を軽侮する心から天狗のアメヱノミチになります。
これらの者たちは皆、人間本来の特質である調和の精神を捨て去って、欲望の赴くままに行動し、あまつさえ他人を妬むことによって、人体を構成する五元素の内の火が燃え上がり、日毎に三度も身の内から焼かれるような苦しみに苛まれているのです。
(今村聰夫『はじめてのホツマツタヱ 天(あ)の巻』(太陽出版、2015年)より引用)

私たちにも馴染みの深いソサノオによるヤマタノオロチ征伐も、実はこのハタレ討伐の一連の流れで描かれているものなのだが、『古事記』『日本書紀』に書き写される際にこの部分だけ抜粋し、他は脱落したものと見られる。

現代に生きる「ハタレ」

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「ハタレ」討伐は単なる神話やファンタジックな冒険譚ではない、私たち人間一人ひとりの心に棲み着く「魔物」の話である。
現代にも「魔がさす」という言葉があるように、「ハタレ」はまだこの「現実」世界にも存在している。というよりもむしろ「ハタレ」が跳梁跋扈しているのがこの3次元世界と言えるかもしれない。
「自分さえ良ければ」「少しでも得をしたい」「バレなければ良い」「羨ましい」「妬ましい」「あいつさえ居なければ」…挙げればキリがない、呪いのような想念のエネルギーこそが「ハタレ」の正体なのだろう。「業(カルマ)」と呼ばれるものも、この「ハタレ」に通ずるのかもしれない。

「ハタレ」は3次元世界の幻

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3次元のスクリーンにべったり貼り付いている間は視野が狭く、自分というものを客観的に捉えることが難しく、そこに「ハタレ」が入り込んでくる隙間が生じる。
『ホツマツタヱ』はこう語る。

      慎むあやの
花と花   打てば散るなり
諸共に   常に慎み
な忘れそこれ       (『ホツマツタヱ』16アヤ)
”花と花はぶつかれば互いに散ってしまう。常に慎みを忘れてはならない”

「慎みを持つ」とは、視野を広げ、意識の次元を上げることとも解される。視点が上がり、自分という3次元のスクリーンから距離をとった地点、すなわち5次元の意識にある時、「ハタレ」は自然と消滅する。もとい、そもそも幻であったことを看破できると言った方が良いかもしれない。

5次元意識への視点の上昇-お天道様は見ている-

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「お天道様は見ている」という日本の伝統的な道徳観は、この『ホツマツタヱ』が伝えるアマテル(天照)によるハタレ征伐の逸話が基になったのではないか、というのは筆者の推測である。

意識を3次元から5次元へと上げる鍵は古来より日本人が受け継いできた、私たちにとっては身近過ぎて「当たり前な教え」の中に存在しているのかもしれない。『ホツマツタヱ』はそれらを紐解く扉の一つなのかもしれない。


(※本記事で挙げた現代語訳はあくまで試訳であり、興味のある方はヲシテ文献の原典に当たられることをお勧めする)


【参考文献】

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松本善之助『ホツマツタヘ―秘められた日本古代史』(毎日新聞社、1980年)
鳥居礼『ホツマツタエ入門』(東興書院、1989年)
池田満『ホツマ辞典―漢字以前の世界へ』(展望社、1996年)
池田満『『ホツマツタヱ』を読み解く―日本の古代文字が語る縄文時代』(展望社、2001年)
池田満『ホツマ縄文日本のたから』(展望社、2005年)
今村聰夫『はじめてのホツマツタヱ 天(あ)の巻』(太陽出版、2015年)
今村聰夫『はじめてのホツマツタヱ 地(わ)の巻』(太陽出版、2016年)
今村聰夫『はじめてのホツマツタヱ 人(や)の巻』(太陽出版、2016年)

【参考サイト】
池田満「ヲシテ文献」
https://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/page2.htm

「ほつまつたゑ 解読ガイド」8.たまかえしはたれうつあや【霊還しハタレ打つ文】
https://gejirin.com/hotuma08.html

「NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~」
https://ameblo.jp/navihico-8/

【ホツマツタヱの原典に当たりたい方はこちら】
池田満『記紀原書ヲシテ 上巻―『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』のすべて』(展望社、2006年)
池田満『記紀原書ヲシテ 下巻―『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』のすべて』(展望社、2006年)

松本善之助・池田満『定本〔ホツマツタエ〕―日本書紀・古事記との対比』(展望社、2002年)

【YouTube ーホツマツタヱ解説ー】
NAVI彦「ヲシテ文字とは ~ホツマツタヱ用語解説1~ 漢字伝来以前から存在したという日本の古代文字について」
https://www.youtube.com/watch?v=T6i1gv4l0zI

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