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ミシェル・オバマに会いに行ってみた

2019年冬。

アメリカの大統領選挙まであと1年と迫っていた。当時の大統領ドナルド・トランプ氏は、ウクライナに対する資金援助の凍結をめぐる疑惑で、弾劾されたばかり。それでもなお、支持層からの信頼はあつく、トランプ氏の再選が有力視されていた。

民主党は、実に1000人以上の候補者が名乗りをあげていた。この時点では、元副大統領のバイデン氏、元カリフォルニア州司法長官のハリス上院議員、バーモント州のサンダース上院議員、マサチューセッツ州のウォレン上院議員らがレースをリードしていた。

それでもトランプ氏を打ち負かせるほどの勢いはなく、民主党の支持者の間ではかなり悲観的なムードが広がっていた。弾丸取材を持ち味としたドキュメンタリー監督マイケル・ムーア氏もそのひとりだった。

インタビューで選挙戦のゆくえについて聞かれたムーア氏は、分断されたアメリカの現状を嘆きつつ、こう答えた。「トランプに勝てる候補者はひとりしかいない。アメリカをひとつにまとめられるのは彼女だけ。ミシェル・オバマだ。」

ムーア氏は素直に希望を言っただけだろう。でも、それを聞いた私は、「もし彼女が出馬したら?」と想像しただけで、それまでの欝々とした空がサーっと晴れていく気がした。おもしろいかも。

あとで冷静に考えたら、その可能性はゼロだったことはすぐわかる。のちに民主党の大統領候補になったバイデン氏も、副大統領候補えらびに関してミシェル・オバマの可能性を聞かれて、笑いながら答えた。「ミシェルは二度とホワイトハウスには住みたくないだろうね」

実際に、ムーア氏だけではなく、アメリカ国民の多くが元ファーストレディを支持していた。2020年に発表されたギャラップ社の調査によると、回答者の10%がミシェル・オバマを「もっとも尊敬する女性」にえらんだ。3年連続トップだ。

ちなみに、この調査は70年以上続いているが、歴代もっとも多くトップ10に選ばれたのは、イギリスのエリザベス女王(52回)らしい。2位はイギリスのマーガレット・サッチャー元首相。3位にアメリカで絶大な人気を誇るテレビ番組MCのオプラ・ウィンフリーだ。

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正直、オプラの人気がここまで高いとは思ってもいなかったけれど、たしかに存在感は否めない。先日話題になったイギリスのヘンリー王子とメーガン妃のインタビューも、オプラが聞き手にえらばれたことからもそれがわかる。

ムーア氏のインタビューを聞いた私は、ミシェル・オバマの出馬の可能性があるのかないのかを無性に知りたくなった。知りたい、と言っても、メディアの報道だけではわからない。かといって直接本人に聞く術もなく…。

ん?聞く方法は、本当にない?

少なくとも私はニュース番組のディレクターだ。しかも英語が話せる。アポさえ取れれば。しかし、取材を申し込むことは、社内の正規の取材ルート的に考えると、いろいろと障害が多い。メディアとしての取材はむずかしそうだ。

そんなとき、2020年2月にニューヨークでイベントがあることを知った。オプラがMCを務める啓発セミナーツアーが全米でおこなわれる。1月にはフロリダでレディ・ガガをゲストに迎えるらしい。そして2月のゲストは、ミシェル・オバマだった。

YES, WE CAN! と思わず叫びたくなった。

しかし、イベントのチケットは正規価格の数倍に跳ね上がっていて、私が購入した1階9列目の席は7万円。そのぶん航空券は格安チケットを購入したため、カナダ経由。結果的に、3泊5日の弾丸ツアーを決行することになった。

2月6日。ニューヨークに向かう飛行機の中は、いつもと違う緊張感が漂っていた。コロナウィルスがじわじわと拡大しつつあり、日本でもダイヤモンドプリンセス号でのクラスター感染が発生し、世界中に衝撃が走ったばかりだった。私の隣に座った女性は、座席の隅々まで除菌シートで拭いてから着席した。

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経由地はカナダのトロント。少し雪が積もっていたけれど、発着に影響はなく、数時間後には無事にニューヨークに向かうことができた。ニューヨークを訪れるのは15年ぶり。少し現実味が出てきてワクワクしていた。

飛行機の出発が1時間ほど遅れたため、ラガーディア空港に到着したのは夜9時を過ぎていた。タクシーでミッドタウンのホテルに到着したのは10時。ここで大きな失敗に気づいた。夕食がまだだ。最悪の場合、ホテルでルームサービスをたのめばいいと思っていたけれど、それも終わっていた。

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しかたないので、ホテルを出て近くのアイリッシュバーへ。しかしここでも食べ物は出しておらず、近所の店からデリバリーしてもらった。ようやくありついたのが、巨大ハンバーガー。ぼってりした肉と、ポテトの山を目の前に、アメリカに来たな、という実感がわいてきた。

15年ぶりのニューヨークはあまり変わった気がしなかった。地下鉄は相変わらずギシギシと音を立てて走るし、駅はせまくて暗い。朝のラッシュも相変わらずだ。このときのニューヨークは、ウィルスの感染爆発が起きるとは予想もしていなかっただろう。この1か月半後、町は完全に封鎖されることになる。

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2月8日。イベント会場となったブルックリンのバークレーズセンターはほぼ満席。1万6千人がミシェル・オバマの登場を心待ちにしていた。朝9時半からエクササイズとともにスタートしたイベントは、ランチ休憩をはさんで午後までつづいた。となりに座っていた30代の女性は、前回のイベントにも参加したほど熱狂的なオプラのファンだと言っていた。

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午後2時半。ミシェル・オバマがステージにあらわれた。この瞬間を逃すまいと、誰もがスマホを取り出した。アメリカ国民の多くが絶大な信頼を寄せる女性ふたりが、ここにいる。会場は少し怖いくらいの熱気につつまれていた。

オプラはバラック・オバマ氏が大統領になる前から、オバマ家と親交が深い。2度の大統領選でも早くから支持を表明し、票集めに大きく貢献したと言われている。彼らがホワイトハウスを去る直前の2016年にも、ホワイトハウスでオバマ夫人にトランプ政権に対する心境などインタビューしている。

そんなオプラだからこそ、必ず大統領選の話を切り出すだろうと思っていた。友人であるオプラにこの場で聞かれたら、ごまかすのはむずかしいだろう。そして、オプラは冗談っぽく聞いた。ミシェル・オバマ大統領の可能性は?

この質問に会場の熱気は最高潮に。キャーキャーと叫ぶ聴衆を前に、オバマ夫人は困ったな、という表情をしながらオプラをチラッと見て言った。

「わたし、政治はキライなの」

やっぱりダメか。私の率直な感想であり、その場にいた多くのアメリカ人が同じ気持ちだったと思う。彼女の著書「BECOMING」を読むと、ホワイトハウスで8年間を過ごしたファーストレディの考えがよくわかる。プリンストン大学を卒業後、シカゴで企業内弁護士として安定した生活が保障されていた。しかし、コミュニティ支援の仕事をするために弁護士を辞めた。

そんな彼女にとって、目の前でくり広げられる政治ドラマは耳をふさぎたくなるようなことばかり。政治家の野心、民主党と共和党のかけひきは、彼女の正義感や論理では理解しがたいものだったという。

そんなミシェル・オバマにとって、4年間のトランプ政権は本当に耐えがたいものだったと想像する。何十万人という国民がコロナウィルスで亡くなっていく状況に対策を示さないトランプに対して、オバマ夫人の憤りはピークを迎え、軽いうつ症状を発症していることも公表した。

2021年1月20日。バイデン政権が誕生した。就任式の壇上には、ミシェル・オバマの晴れ晴れとした笑顔があった。翌日、彼女は自身のツイッターで、式典で詩を朗読した若き詩人を称えて言った。「私たちには民主主義を支えていくチカラがあるということを再認識した」

オバマ夫人は政治は嫌いかもしれない。それでも、若者たちに投票を促す活動を積極的につづけている。正しい政治家をえらぶことが、国民ひとりひとりの義務であり、アメリカの民主主義を支える原動力であると信じているから。

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