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ブルジョワ展に行ってきたところ いろいろ言いたくなったけど、素晴らしかったわ

「ブルジョワの芸術は、主に自身が幼少期に経験した、複雑で、ときにトラウマ的な出来事をインスピレーションの源としています」

違和感1:トラウマっていうほどのトラウマか?

これを言ってしまってはいけない気もするのだけど
あえて言ってみる。

ブルジョワが20歳のときお母様が亡くなってしまう。

トラウマっていうほどのトラウマ…??

そりゃ哀しい話だけれども、既に20歳なわけです。
父親も兄弟も生きているし
経済的に困窮するわけでもなく
身の回りをしてくれる召使もいる。

展覧会の壁に投影されたのプロジェクションマッピングに
 見捨てた
 abandon
のワードが繰り返し流れてて悲痛。

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みぞおち


さらに画面には1978年にブルジョワが企画したパフォーマンス
《宴/ボディ・パーツのファッションショー》の記録映像が流れていて
パフォーマーが
「私を見捨てた!捨てたのよぉ!!!」とめっちゃ叫んでいる。

いや、だけれども
お母さんは病気で亡くなってしまわれたわけで
ご本人も本意じゃなかったろうし見捨てたわけじゃないですよね?
それを「見捨てられたトラウマ」と呼んでいいのだろうか。

違和感2:トラウマっていうほどのトラウマか?2

もう一つのブルジョワのトラウマとされるのが父の愛人の存在。
住み込みの家庭教師として父が連れてきた若いサディさん。
なんと彼女は、実は父親の愛人だった。
さらにその二人がベッドにいる様をブルジョワが目撃したという話。

そりゃたしかに衝撃。
衝撃ですよ。

でも20世紀初頭フランスの富裕層にとって
愛人とかってもうよくある話だったんじゃないかな…なんて…。

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食ってやる

余談だがブルジョワが生きた時代の感覚を知りたくて
同じ1911年生まれの有名人を検索したら
岡本太郎がでてきた。岡本太郎!
奇しくも太郎の母、岡本かの子も愛人を二人(エリート美青年)つくり
家族と同居した話は有名。
かの子の夫(太郎の父)はその状況を受け入れ
さらに岡本家三人と愛人二人はパリ周遊へ一緒に行ったのだから
ブルジョワ家よりさらに上手といえる。

違和感3:トラウマにしても、しつこすぎないか?

誰かのトラウマを大したことあるとかないとか
それは人それぞれの感じ方なので
他人がジャッジするのは良くないとは思うのだけど
イマイチ共感性を持てないというか。

トラウマの痛みの表現は素晴らしいんだけど。

でも、どうしても違和感を感じるのは
ブルジョワが70代80代とかになってもトラウマがのままな点。
3人の子供を出産し、なんなら孫もいるだろう。
親としての事情も、自分の老化も身に染みているだろう。
そういう人生経験を一切無視して
病気で亡くなった母親に
「お母さん、あなたは私を見捨てた」と駄々をこねてるような
感情を新鮮に抱けるものなんだろうか?

さらに既に父親も亡くなっているのに
それでも父の浮気?を断罪し続けるほど怒りって持続できるもんなんだろうか。

まぁトラウマってのは生涯消えないのよ…
っていう話なのかなとも思いましたが。

ご主人が既に亡くなっているのに、そこは完全スルーってのも…。

たぶん:フロイトみが思ってたより強い説

で、ふと思ったのは
展覧会でもチラッとブルジョワが精神分析を受けていた話が出ていたけれど
私が当初、思っていたよりブルジョワはフロイトの影響を相当受けているのかな、と考えるとすんなりいく、と思った。

精神分析学には現代では様々な説があり方法論もいろいろだが
その開祖であるフロイトのある説は結構、偏っている。

フロイトのwikipediaから引用すると…

フロイトは精神分析学で確認された根本的なエネルギーとしての性的欲動が、小児期を通して上手く発展したり、分化したりする事の重要性を説いた。(中略)フロイトは、これら性行動をともなわない性欲を充足させられるか否かがその後の人格形成に大きく寄与すると考えた。

wikipedia

1895年(39歳)、フロイトは、ヒステリーの原因は幼少期に受けた性的虐待の結果であるという病因論ならびに精神病理を発表した。今日で言う心的外傷PTSDの概念に通じるものである。

wikipedia

ワタシの超解釈で言い換えると
精神的に苦しんでる原因は子供の時の(性的な)トラウマにある。
って説。

ブルジョワのトラウマの言い分が幼稚な印象を受けるのは
おそらく「子供時代のトラウマ」こそに焦点を当てているから、
と考えると非常にすんなり納得できる。

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内省

現在、大人の自分がどう解釈するか、ではなく
子供時代の自分がどう思ったかどう傷ついたかにこだわり表現しているのだ。
そこを深掘りすることが今の自分の救済につながると信じていたのでは。

エロスのない性表現

そう考えると
ブルジョワの性表現にエロス感がないというか当事者感が非常に薄い感じも理解できる。
結構、性描写や性器はあるのに、ほとんど感情や感覚は表現されてない。

コロコロコミック的な「うんこちんちん」感というか。
大人のエロスではなく小学校低学年の男子のように
性描写に恥じらいがなくあっけらかんとしている。
それは幼いブルジョワから見た性描写だからと考えると納得がいく。

オッパイ大好き

さらに謎だったのは赤ちゃんの周りにおっぱいがたくさんある絵があり
最初は「ブルジョワが子供に授乳している絵かな」と思ったのだが
実はブルジョワが授乳されている絵だという。
これもブルジョワが既に高齢者になってからの絵で
……なんで赤ちゃん目線?と違和感満載だったのだが
これもフロイトの幼児性欲の口唇期固着の表現だと考えればすんなりいく。

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これもブルジョワは赤ちゃん側

ヒステリーのアーチ

それで後からハッとしたのが、この「ヒステリーのアーチ」。
ヒステリーは女性特有の病ではなく男性にも同様に起きることを
表現したそうだけど
「ヒステリーは男性にもおきる」ことを発見したのはフロイトで
フロイトが最初に書いた本のタイトルが「ヒステリー研究」だ。

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単純にフォルムが好き

そうか、ブルジョワは相当なフロイト信者でこれはフロイト礼賛作品といえるのかもしれない。

フロイトの娘

さらにamazonで「Louise Bourgeois, Freud's Daughter」という本を発見してしまった。
フロイトの娘!
なんとNYのユダヤ博物館(フロイトはユダヤ人)でブルジョワ展が開催されていてその時の出版物らしい。

そう考えると「地獄にいってきたところ」の「地獄」とは
もしかして精神分析で自分自身の無意識に深く深く潜った場所を
「地獄」と表しているのだろうか?

フロイトを越えて

ブルジョワがすごいなーと思うのはフロイトも大好きなんだろうけど
自分をみつめすぎてナチュラルにフロイトを越えている点だ。

たとえばママンなんかはまさにオキシトシンを具現化した表現なんじゃないだろうか。

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ママン:オキシトシン

オキシトシンは授乳をすると出てくる脳内ホルモンで母性をつかさどるんだけど
これは同時に攻撃性も生みだしたりもする。
よく出産後の母猫や母犬が妙に攻撃的なのはオキシトシンの影響だと言われている。

オキシトシンは接種や分泌されることによって仲間意識などの情愛とそれに基づいたグループ集団を発生させるのと同時に、仲間意識による優遇とは相反した選別時の排除意識の発生[5]や、仲間のグループに属していない外来者に対してグループに属する者を防護する反応、およびそれらに起因する敵対心、攻撃性と攻撃抑止を生み出すことが研究で示されている。

オキシトシンのwikipedia

フロイト学説とは全く関係ない、当時は一般的でなかったオキシトシンを
蜘蛛で表現するとか
本当に昇華させるパワーが半端ない人だなぁと思うし
もう少し多く作品を見なたい!と思いました。

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これ好き。不謹慎だけどちょっと面白いよね?
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精神安定にたどり着けたっぽくて良かった

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