自由を得て、遊ぶのが何より好きだ

今日は夜に出かけたいということで、ますます1秒も無駄にできない日であった。

18時に出るために、その前にご飯と子どももお風呂と、その他もろもろやっておくからね!という約束を夫とした。普段は、夜出かけるとしてもそこまで至れり尽くせりでなくても夫は大丈夫なのだが、今日は、仕事の締め切りとかぶっているため、私もできるだけ彼の負担を減らす必要があった。

とはいえ、久々のあったかい日。子どもは幼稚園から真っ直ぐ帰るはずもなく、公園行こう、そら行こう。となって、帰宅は15:30。なんでか過去の自分を問いただしたいけど、うっかり息子の散髪予約を16:30に入れてしまっていたので、困った時のビーフシチュー(カレーの日もある)をダッシュで仕込んで、ダッシュで往復。美容師さんは、私の三角につり上がった目に気づいてか20分でかっこよく仕上げてくださった。

そこまでやったら、猛烈な眠気に襲われた。今日は午前中幼稚園の係で緊張することをやって来たため、今頃その疲れが出たのだろう。眠い。ホットカーペットの上で一瞬アザラシ状態になってしまったら、夫が帰って来た。もうちょっと家の中も片付けておきたかったし、結局お風呂は立てたものの、まだ子どもたち入れていない。「ごめんね・・・ごはんは作っておいたよ・・・」と言葉尻を濁しながら、夫とバトンタッチする。

出かける直前まで、「いやーもう疲れ切ったから今日はMさんちだけにしようかな」と頭がズーンとしていた。Mさんちにちょっと寄って、その後、江戸川橋に行く予定だった。自転車の荷台についている子ども乗せを外して、えいやと薄暗くなった街へ漕ぎだしたら、すっかり頭がスッキリしちゃって、我ながらびっくりした。「は〜レッツゴ−!」と軽やかなことこの上ない。自由な時間は、尊い。今は、仕方ないけれども、本当に不自由なのだ。

美しくて大好きなMさんちで、チラリとお茶をいただいて、おいとました。家がきれいな方のおうちに行くのは、とても良い。「よしわたしもがんばるぞ」と気持ちが上がる。Mさんは視覚の鋭い方なので、家がごちゃごちゃしているときっと疲れるのだろう。色味や形が美しいものがシンプルに配置されていて、心がすっと落ち着くのだった。私も、物が目に入れば入るほど、思考が引っ張られてしまうので、本来ならスコーンと何もない部屋に住みたいと思う。ゆるりまいさんの何もない部屋、住みたいもの。

江戸川橋では、話したかった人とたくさん話せて、少しお酒もいただいて、またまた「自由だなあ」と嬉しかった。3人のゲストのお話しを聞いて、美味しいごはんを皆んなでいただくという、贅沢な時間。ここもおしゃれでスッキリとしていて、あたたかみのある空間でなんとも居心地が良かった。置いてあった水色のやかん、(ケトルって言うべき?)うちにも同じものがあったのでそっと勝手に喜ぶ。

ユキさんと「効率上げたいですよねー」という話をした。このセリフだけ聞くと、なんか遊びのない隙のない感じがしてしまうかもしれないが、たぶん、ユキさんも私も、遊びたがりやなのだと思う。

私が家事をやりたくないだの、家事鬱だの、ってぐちゃぐちゃ言っているけど、じゃあ、家事がスムーズにできたら何がやりたいの?って問われたらば、1日24時間しかないなかで、どれだけたくさん遊び倒すか、みたいなことなのかなと思う。

今日は、諦めないでよかった。出かけるまでは、ちょっとしんどかったけれども、心臓バクバク状態までにはならなかった。その理由は、最低限のラインをクリアするだけでいいや、と思っていたからだと思う。ごはんも、本当は豆ごはん作りたかった、サラダも作りたかった、でも、もう間に合わないしエネルギーないから、朝のごはんでサラダ無しで許して!と、自分を許したんだと思う。

書いてて恥ずかしくなるけど、かっこ悪い完璧主義みたいなやつ。これを手放しつつあるような気がする。どうせできひんし!ごめん!と潔く。でもこれはしたいねん、あとよろしく!と潔く。

もしかしたら「あ、できないや」と思った時点で夫にメールしていたら、もっと良かったかな。期待させてしまったかもしれないから。「最低限しかできてないよー」と言っておいたら、もろもろハードルが下がっていいかな。まあ、そもそもがいろいろ許容範囲の広い夫で良かった、と思っているけれども。感謝、感謝。夫にも今日出会った人皆にも感謝して、今日は終わり。

おやすみなさい!


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