進路指導説明会

進路指導説明会なるものに保護者として出席して、自分が受験勉強にどっぷり浸ったことが無いことに気づいた。いや、高校受験と大学受験はしたので、一瞬はどっぷり浸ったはずなのだけど、中学でも高校でも学校全体で受験のプレッシャーをかけてくる感じを味わったことがないのだった。

中学は、ブラジルのサンパウロにある日本人学校に通った。国が運営している学校だから学習指導要領も日本と同じだし、先生方も日本から派遣されて来ているし、週に2時間ほどポルトガル語の授業があることを除けば”普通に国内と変わらない学校”だと当時は思っていたが、よくよく思い出してみると、けっこう違う。

まず、お互いがライバルにならない。全国各地から生徒が集まっているので、お互い志望校を聞いても「どこそれ?」みたいな感じで、「ま、それぞれ頑張ろうぜ」という感じだったし、塾へ行って他の中学の子と競うということもない。(塾自体はあった。)

放課後は、通学バスが発車するまでは、自然豊かで広大な学校内で思いっきり遊ぶ。帰宅後は、それぞれの家が遠いし、まちは治安が悪いので出歩いてつるむことはできず、テレビもない。(日本の番組は見られない)。余計な情報がない分プレッシャーもなく、なんだか異様にのんびりとゆったりとした思い出しかない。中3の12月に卒業して日本へ帰国して、高校受験までの2ヶ月は河合塾の帰国子女クラスに入って勉強するも、周りもなんだかオランダ帰り〜とか中国帰り〜とか、受験プレッシャーより久々の日本が新鮮だよねみたいなトークに夢中。。

何も知識がないままに偏差値と通学距離だけで高校を選んで、受かったところがたまたま大学の付属女子校。定期試験さえちゃんとやっていればほとんどが大学にエスカレーターで行けるということで、受験勉強をしている人は少数だった。私は、私立のその大学にそのまま上がるのもお金がかかるし国公立に行った方がいいかなと思ってちょっと受験勉強はしてみたものの、ばっちり部活やってたし、1年生から受験念頭に頑張ってた人に叶うはずもなくあっさり敗退。その私大に進んだ。

だから、受験でキッタハッタ勝負した!という経験がなく、目標を持ってそこに対して努力するというよりは、流れに身を任せ流されてやって来ちゃったなーという負い目はあるのだけど、それはそれで、良くも悪くも私という人間を作ってきた経験だ。もっと欲を出せとかガツガツしろとか言われたこともあるが、そこは私のジャンルじゃない・・という運命なのではないだろうか。

・・・運命?またもや単なる子育て日記が謎の広がりを呈して来たが、まあ勝手に書く。最近の私は自己弁護をしたいのか自己批判をしたいのかよくわからないけれどもよくいろいろ思い出してしまう。死期が近いのか?いやそれは困る。私の人生はこれからだ。

娘は東京の高校を選ぶことになるが、選択肢が多過ぎてフリーズする。帰国後に住んでいた神奈川は、学区みたいなのがあって、妹たちはそんなに悩まず成績がこうだからここ・・みたいに決めていた模様だが、都内は・・・どうやってみなさん決めているんでしょうね?学力や通学時間、あと、毎日過ごすところだから好きな街がいいなーなんて思うけど。2拠点居住的な。

でもどこへ行っても何か学ぶよね。何とかなる!と思う。

ブラジルでは、片道1時間くらいかけて通学バスで通っていたのだけど、強烈に覚えているのが毎日スラム街を通ること。貧富の差が激しくて自分たちと同じくらいの子どもたちが働いていたり、犯罪すれすれのことをして生活していること。生活エリアが異なるので交わることはなかったけど、毎日、通りかかるスラム街は、私の中で強烈な記憶となっている。当時も今もうまく言語化できないけれど、高校がどこになってもそんなにひどいことにはならないだろうし、高校以外にも選択肢はたくさんある。選ぶことができる国にいる。それはとてもありがたいことだと思う。まー、思春期真っ只中の当時は私だってそれなりに将来に不安を持っていたし、このまま大人になりたくない的ポエムを書いたりしたこともあっただろうし、今娘に「なんとかなるさ!」なんつっても「無責任!」とか睨まれるだけだろうが、少なくとも私はいたずらに不安にならないようにしたい。例え山ほど選択肢がある都内にいようとも・・・(ブルブルブルブル・・・)例えこんな駄文を綴っている暇があったら少しでも有益なことをした方がいいんじゃないかと時計を見たら予想外に時間が経ってて死にそうになったとしても・・・(ドヨーン・・・)

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