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わたしの妹。

その人は、繊細で、面白いことが好きで、とにかく細い。

あと、トマトとレモンが大好きだ。

ぷーとんという豚のぬいぐるみを大事にしている。


小さい頃、よく喧嘩をした。

その人は三姉妹の末っ子だったから、喧嘩をするとその人ばかりお姉ちゃんに守られて、わたしはいつも2:1で一人戦っていた。

その人は親の愛もお姉ちゃんの愛も一身に受けて育った。

わたしはいつも自分だけが愛されていない様に感じていた。

実際今になって客観的に見ると、そんなことはなかったし、わたしが少し感じやすい子供だったり、やたらと大人びたところがあって、つまり、あまり可愛くない子供だったことが原因だったのだと思う。大人にだって子供の好き嫌いはあるし、親にだって、子供に対して、言葉とか態度とか、そういういろんなものを使い分けたりすることもある。

そんなのは人間同士、仕方のないことだ。


その人は、愛を受けて育ったけれど、繊細で、人の気持ちを深く推し量る子だった。だから、時に考えすぎて、空想の悪意に絡めとられてしまうこともあった。傷つかない様、付き合う相手を慎重に選んでいたし、生き方も慎重にしかし、自由に選んでいた。

わたしにはない部類の想像力を持っていたから、時に羨ましく思うこともあったが、今は一人の女性として、同じ親のもとに、生まれてきてくれたことを嬉しいと思う。

遠くにいてほとんど連絡も取らない様な関係だけれど、相反する性格であるからこそ、その人がこういう時どうするだろうと想像することが、時に迷い込んだ迷路から抜け出す道標になったりする。

それに、慎重に丁寧に人生を選択しているその人を思い出すことで、時に自分にブレーキをかけることもできる。


その人は小さい頃から、お笑いや、少しおかしな人を見て、けたけたと、軽やかに笑うことが多かった。

その人を見ていると、人生って小さな発見であんなに楽しくなるのかなと、まるで遠くの世界を見ている様だった。わたしはとにかく、陰気で暗い子供時代を送っていた様に思うからだ。

今でもあんな風に、軽やかに笑っているだろうか。

その人の周りに今、この瞬間気を許せる人がそばにいて、毎日ハッピーに笑っていてくれることを願う。


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