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既存のものでオンリーワンは難しい話。

既存のものでオンリーワンは難しい。
それを例え話で考えてみる。

1・人真似のみでは個性的とは呼べないかも。


親が転勤族だった影響か、昔から個性的な話し方と言われる人がいた。
さまざま地に移り、さまざまな方言に触れてきて、無意識のうちにおかしなおかしな、イントネーションや言葉を操る親の影響を受けて、子供のKもイントネーション、おかしな言葉を扱うようになっていたのだ。

そして、その子の存在を知って話し方が面白いと感じたNという人がいた。
NはKのおかしな言葉の扱い方を真似し、Kのことを知らない人の間で使い、面白い話し方をする人だという評判を得ていた。

だが、その場にひょんなことで現れた、K。
KはNのしていることなど知らず、普段のおかしな話し方で、Nの知り合いと話す。
Nを知っている人は言った。

「なんだ、Kのパクリだったのか」


2・既存のもののみではどうしても人と被ってしまう。


人ととにかく被るのを嫌う、Tと言う人がいた。

Tは周囲にとにかく流される。
人と同じが嫌だから、人と同じものを選ばないように、とにかく周囲に流される。
周囲に人達が何を選んだかによって、自分が選ぶものを決める。

ある時、各自料理を持ってきて、ホームパーティーを開くことになった。

Tはエビフライを持ってこようと考えた。
だが、先にRと言う人が、エビフライを持ってくると発言する。

自分もエビフライを作って持っていきたい、T。
なんとか自身がエビフライを持っていけるように工作しようとする。

「私は唐揚げを持ってこようかな〜」と発言。
Tは自分が人気者だと錯覚していて、なおかつRはTの真似をする考えを持った人物だと思い込んでいた。

だが、当のRは「そうなの、じゃあ唐揚げお願いするね」と言う。

Tはその発言に怒りを覚え、自分の取り巻きに、「なんとか、私がエビフライを持って行けるように協力して頂戴」と言う。

だが、RはTの取り巻きに、「Tは唐揚げを持ってくるって!Rも唐揚げにするって言わなくて良いの?被っても良いんだよ?」と言われても、「いいえ、私はエビフライを持ってきたいから」と譲らない。

それに怒りを表した、T。
「それじゃあ、私とあなたが持ってくるものが被るじゃない!」

だが、TとTの取り巻き以外の反応は違った。

「Tは唐揚げ持ってくるんだろう?」
「大体そんなに被りたくなかったら、オリジナル料理を作ってくれば良いじゃないか」Tは「そんなこと出来る訳無い…」と項垂れた。

3・オリジナリティーを生み出したかどうかの話。


一つ目の話は、K(の親)は既存のものから、オリジナリティーのあるものを作り上げていた為、批判されなかった、と言う話になります。

二つ目の話は、Tにはオリジナルを作る能力がない故に、既存のものから人と被らないようにするが、それでは無理がある、と言う話です。

そもそも、周囲に流されて物事を決定する時点で、人に流されている、自分の意思がないと言う話になりますが、個性的な人とは、何かしらオリジナリティーを生み出しているものなのです。

オリジナリティーどころか、既存のものを選んで、個性的、唯一無二、と言われよう、思われようと思う方が無理のある話なのです。

既存のものの時点でオリジナルではないですし、どうしても被ることもあるのですから。

よくよく考えてみて欲しいのですが,個性的と呼ばれる人は、誰々さんみたいな人、と言う評価はされませんよね。芸能人の誰々に似てるとか、真似が面白いとか。

でも、面白い人にはなれる可能性はありますが、個性的と言われると、うーんと頭を抱える事になります。人真似から学び、オリジナルを生み出しているのではなく、終始人真似なのですから。

そして、『人と同じ事をして違っている部分があったら、それが個性。』と言う考え方もありますが、例文のオリジナリティーのない二人は、同じ事をしないようにしているんですよ、そもそも。

例えば、同じ学校や職場の制服を同じように規定通りに来ている中で、人と違う何かがある人は、個性的と呼べるのです。雰囲気とか、言動とか、存在感とか。

でも、オリジナリティーを大事にしない人になると、ただの人に左右されるだけの人です。本当はオリジナルの部分があるのに、それを大事にしないせいで、ただの流されている人なのです。そして、個性的とは呼べない人なのです。

個性とはその人らしさだとすると、その人が自分らしさを無視して、被らないように被らないように、と既存のものからマイナーなものを選んで生きているとするならば、マイナーなものを選ぶ、マイナーなものを選ぶ人達と言う多数派です。


4・では、どうすればオンリーワンになれるかの考察。


結論から申しますと、

自分を貫き通すことができるようになること。
(無意識にそれができている人も指す)
と言うことになると思います。


それは決して、人真似を一切止めることではないです。人真似から分かる個性があるからです。

ただただ、人と被ろうが被らなかろうが、自分の意見や感性を大事にしてください。
人と被ろうが自分の感覚を感覚を大事にしていると、不思議とそれがそのうち、個性的だと呼ばれるようになります。

人と被っているその中から、個性が生まれます。

生み出すことができるかもしれません。


5・私も個性的になりたい話。


私も個性的になりたいです。
だから、人の良い部分を認め、時に自分に取り入れながら、その人達と自分の違いを見つけ、伸ばしていきたいと精進しています。

嫉妬だけはしないようにしたいものです。
(気をつけます。)

時に自分のやっていることが相手や世間に通じず、苦しいやら辛いやら悔しいやらと言う想いに駆られますが、自分を見失わないようにしたいです。

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