触発、そして今という時間を見つめる。

2021年12月2日。

今、ぼくは家にいて、リラックスしながら、家族と夕飯をともにしている。

家族といる時間、それはあっという間に過ぎていく時間でもあり、楽しい時間でもあり、また国際結婚しているぼくにとって日常的に外国語で会話をするというのは語学学習の時間でもあるし何より脳の鍛錬でもあるので、そういう意味でもあっという間に過ぎていくのだ。

子供の頃から楽しい時間はあっという間に過ぎていくのはなんでだろう?嫌な時間はなんで経つのが遅いのだろう…そんなことをずっと考えてきていたのだけれど、最近はある程度の答えが見えてきた。

職場は、人前に立つ仕事で、コミュニケーションを取ることがどうしても必要。やる気が出なかったり、二日酔いだったりして、ときどき嫌だなぁなんて思うこともあるけど、スタートすれば、彼らがぼくを否応なく巻き込んでくれる。

それは、ステージでもあり、ショーでもある。その生きている舞台でぼくたちは魂のやり取りをいかに良いものにするかを一期一会の現場で磨いているのだ。
また、職種的にひとの体に触れることもあるので、メタコミュニケーションのスキルも磨かざるを得ないという意味では困難であるが、それ以上にワクワクして生きている。

ワクワクしている時間、センス・オブ・ワンダーをフルに発揮して生きている時間を今でも持てることの幸運に感謝しています。と同時に、ぼくのまわりにいた先達はみなそうやって、生きる時間を充実させていた。だからこそ、今のぼくがある。

翻って、水鳥が水面下でどれだけ努力して前に進んでいるかを想像できない人たちからすると、ぼくの存在は疎ましくて、疎ましくてたまらないらしい。
今年6月にかまされた下剋上で、心身ともに傷ついたけど…それこそ今の職場辞めてやろうと画策して、違う現場にも顔を出したりもした。

でも、それは単なる逃げで、浅はかな判断をしなくて本当に良かったと今は確信している。
あのときのぼく正しいアドバイス、それはときに耳障りもするものでもあったけど、くれた友人は、このコロナ禍でも変わらぬ友情を持てたという意味で本当に大切にすべき関係だと思っているし、そのときの恩をいつの日か返せるように、もっともっと成長したいと思っている。

また、困ったときや辛いときにいてくれた仲間こそ、お手本にすべき存在なはずで、ぼくも誰かにとってのあのときの友人や仲間でありたいと思っている。

コロナ禍で、以前以上に親交を深められた仲間は最上。ついで、新しく紡げた仲間も大切で、もっともっと育んでいきたい関係。そして、コロナ禍で切れた縁にも改めて感謝したいと思っている。

話はもどって、楽しく思える時間は身体の細胞レベルから喜びを感じる時間であり、時間を飛び越える体験でもある。それを毎日毎日自身に課せることに感謝。

その喜びを前述の仲間に還元して、生きていく。ただそれだけのこと。

そうやって生きていると、また新たな良縁が寄ってきてくれて、また新たな自分を見つけられる。

おっさんになってきて、自分自身の人生が改めて大切に思えるようになってきた。それはぼくという存在は一人では生きられないけど、一人でいるちからを身に着けたということでもあるわけで。

こうして文章化することで、改めて可視化できるわけで、そういう意味でまた正しい時間の生き方を過ごせるように明日から頑張れるかな。


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