この仕事をしていてものすごく思う話。
どうもこんばんは、だらほどこです。
この仕事をして10年以上経ちます。
経験をすればするほど、いろんな先生方がよく分かるようになってきました。
今回は子どものことではなく、働いている先生方を見ていてよく思うことを、思いのままにわーっと書いていきます。
これは先日父との話題にもなったことで。
ここ何年も思ってきたことなので、ここに書き留めます。
読みづらかったり、違う考えの方もいると思います。
わたしの個人的な考えと思いなので、そうなんだ〜くらいに留めていただけると嬉しいです。
与えること
保護者に配慮し、言葉には常に気をつけるよう意識を向け、子ども達の学びが止まらないように日々あれやこれやと考えながら働いている小学校教員。
もちろん小学校教員とはいえ人間ですので、いろんな先生がいらっしゃいます。
それぞれにいろんな考えを持たれてこの仕事をされているので、やーやー言うつもりは全くありません。
なんだけどさ。
ちょっとね、与えすぎよ。
なんでもしてあげすぎ。
先回りして手を出しすぎ。
ほんとにね、そこまでしてあげて、それが子どもにとって何の学びになるの?
と、声を大にして言いたい。
わたしは現在、3〜6年生と主に関わりを持っています。
全部で12クラスかな、授業をしています。
そうなるとね、いろんな先生の学級経営が見えてくるんですよ。
子ども達を見ていると、とてもよく分かります。
わたしがいつも疑問に思うのは、子どもに対して何でもかんでも至れり尽くせりな先生。
もちろん、1年生ならまだ分かります。
それでもね、1年生だって自分でできることってたくさんあるんですよね。
なんかさ、子どものできる限界を大人が作ってしまってはダメだと思うのよ。
分からないだろうから全部を丁寧に説明して、手取り足取り教えて、それって本当に学びにつながるの?
間違えたり失敗したことから学ぶんだり思い合ったりすることって、たっくさんあると思うんですよ。
次につなげていくから成長するんだし、失敗にはならない。
先を見据えて準備をする能力、周りがどう動いているかをよく見て自分にできることをする能力、してしまった失敗をどうやって次につなげていくかを考える能力。
そういうことって、子どものうちに学ぶことなんじゃないかと思うんですよ。
大人になってからでは、迷惑をかけてしまうことが増えるし、立ち直るにも時間がかかる。
だから、子どものうちにたくさん失敗して、経験して、そこから自分なりに学んでいくんだとわたしは思うんです。
でもね、怪我しないように、子どもが困らないように、何でも先回りして手を出すのが教員のすることなのかな?
と、いつも疑問に思っています。
与えるという言葉がもうすでに違うのかもしれない。
何という言葉を使えばいいのかな。
伝わるかな、この感じ。
1番優先すべきは「子ども」
教師の自己満のために子どもはいるわけじゃない。
子どもの学習や成長、社会に出るための学びのお手伝いをするのが教員の仕事だとわたしは思っています。
どう声かけをすればこの子の成長につながるのか。
どう示していけばこの子がのびのびと楽しく学校生活が送られるか。
子どもと接していく上で、迷うこともあります。
そういう時は「どっちが子どものためになるか」を基準にして考えるようにしています。
そうじゃないとブレるんですよね。
教師という仕事は、その学校でうまくいっていれば成功していると言えると思います。
だけど、それだけじゃいけないと思うんですよね。
その子どもが社会に出ることを想定しながら日々向き合っている先生って、一体何人いるんだろう。
自分が気持ちよく仕事をするために子どもを育てるのではなく、その子どもが安心して生活できる環境づくりを怠らず、次の学年や中学校を意識しながら日々を重ねていく。
それが教員の仕事だとわたしは思っているんだけど。
わたしよりいい給料をもらって、それでいいの?!
と爆発しそうになることもある。
逆に、わたしより経験少ないのにめちゃくちゃすごい先生もいて、学ぶことだってある。
今の世の中になったことによって、どんな教員でも誰も注意してくれなくなり、ベテラン先生が後輩先生にいろいろ教えることも減りました。
いつパワハラって言われるか分かんないし。
管理職もめちゃくちゃ大変だと思う。
でもさ、子どもにも言うでしょ。
ダメなものはダメって。
その背景やそうなった原因は一緒に考えよう。乗り越えよう。
だけどその事実に関しては、したらダメだって言うべきだよ。
そういうのを、管理職やベテラン先生が若手やこれからの先生に伝えていくってめっちゃ大切だと思うんですよね。
何でもかんでもこっちが先に言ったりしてあげたりすることって、何の意味があるの?
それをすることで子どもにとって何の学びになるの?
失敗して、間違って、そこから学んでいけばいいじゃない。
本当にこれはずっと思っています。
学年や年齢によって声かけや対応は変えるべき
べき と言い切っていますが、6歳〜12歳までいるわけだから、これは当然のことかなと思います。
3年生と4年生でも、だいぶ違います。
できることとか考えられることとか。
さらには子どもによっても違います。
学力の違いと同じように、できることや苦手なことももちろん違います。
そういうのを普段の様子から、学習の取り組み方から見極めていく必要があるんだよね。
これが級外だと本当に難しい。
だからこそ、子ども達とはたくさん話します。
たくさん絡みに行きます。
全員には難しいけれど、担任の先生が気分を害さない程度に、わたしでも気づいたことや子ども達に考えて欲しいことは自分の言葉で伝えます。
これがね、仕事が多いとできなくなるのよ。
小学校の先生って、仕事が本当に多いと思う。
いや、教員という仕事量が本当に多いと思う。
子ども達と向き合っていくこと、そしてその子ども達にどんな大人になって欲しいのか、何を学んで欲しいのか、そういうことを見失うくらい、忙しいんです。
いろんな子どもと関わっていくことで、学年や年齢によって対応は変えていくことが必要だと実感します。
3年生と5年生にかける言葉の選び方は、違いますよね。
子どもの成長を奪ってはいけない
これが、1番言いたい。
なんでも整えてあげるのではなく、整え方を教えましょうよ。
一緒に考えていきましょうよ。
「してあげる」ということの代償を考えましょうよ。
個人的には、この「〜してあげる」という言葉、嫌いです。
なんで上からなの?と思ってしまう。
すみません、熱くなってしまいました。
子どもにも人権はあります。
人として付き合いたいなと思います。
保護者の「もの」ではありません。
大人が子どもをいいように動かしていいものじゃないんです。
子どもにも大人にも、みんなに人権があるんだから、なんでもしてあげたり学びを奪うことなく、時には一緒に考えたり悩んだり答えを見つけたりしながらってしていったらいいのになと思っています。
長くなっちゃった〜!
それでは、また。
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