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仕事に対する新しい考え方の話。


どうもこんばんは、だらほどこです。

今日、ふと自分の中で新しい考え方が浮かんだので、記事に残していこうと思います。
この考え方をもうすでにされている人や、「あんたそんなことも知らなかったの?」的な感じになるかもしれませんが、個人的には大発見だったので、残させてくださいまし。


仕事に対するウエイトが大きすぎた


今朝もまた、「仕事行きたくないな〜」から始まりました。
とはいえ、行かないわけにはいかないし、6年生と関われるのも後少しなので、いつもよりは前向きに仕事に行きました。

仕事に行くと、いろんな子どもやいろんな先生がいて、毎日何かしらの関わりを持って仕事をすることになります。

月曜日の何が嫌って、苦手な先生のクラスが1時間目なんですよね。
書写を担当しているのですが、いつも必ずわたしの授業にはいて、授業中でもお構いなく思ったことを口にする先生なんです。
子どもがいようがいまいが関係なし。

クラスの雰囲気もよくないので、朝から鬱々とした気持ちで授業をしています。

今日は何も言われなかったけど。


そんな感じで、いろんな先生がいらっしゃって、その先生方に合わせて、距離を保ちながら仕事をするわけですね。

簡単なようで、実は結構大変。疲れる。
だけどそれって、仕事に対するウエイトが大きすぎるからなんじゃないかと思ったんです。


仕事をするということ


わたしはこの仕事、とても好きです。
子どもたちが毎日楽しく学習できるように手助けができる。そして成長も見守れる。

仕事って何のためにあるかなんて考えたこともなかった以前のわたしは、仕事をすることが当たり前だと思っていたからこそ、年休を取ることもできず、自分の意見を言えることもできず、ただただ自分の時間全てを仕事に回していたような20代でした。

だから、よく体調を崩していたし、落ち込んだ時の立ち直り方も知らなかった。

30代になり、ようやく仕事って楽しいということに気が付き、教員という仕事にやりがいを見出せるようになりました。

仕事に対して、自分の時間と労力を使えば使うほど、それがいいことだと思っていました。

だけど、鬱になったことで変わりました。

変わったと思っていました。


仕事は生きるための手段の1つに過ぎない



自分の人生を豊かなものにすること、その1つにしか過ぎないんです。

キャンプをすること、旅行をすること、美味しいものを食べて分かち合うこと。

その中の1つに仕事があるんですよね。
それ以上でもそれ以下でもない。

生きていくためにはお金が必要で、生活していくために教員をしている。
ただそれだけのこと。

それなのに、その仕事に対して一喜一憂して、疲れたり悩んだりしている。

それって実はものすごく必要のないことをしているんじゃないかと思ったんですね。

「仕事をする」ということに対して、自分で理由付けをしている。
そこに意味を作っているのは自分で、「仕事」ということに何も理由はない。

もちろん、仕事内容は子どものため。
より子どもたちの成長につながるように、たくさん勉強しながら自分も成長する。
だけど、それは仕事の内容のことで、仕事に対する捉え方と同じではない。

生きるための1つの手段に対して、わたしは毎日毎月毎年のように仕事に対する自分の気持ちを揺るがすだけ揺るがして、疲れたり悩んだりしていたんです。


そう考えると、わたしはなんてあほなんだと思いました。

自分で自分の首を絞めるとは、まさにこのこと。
特に公務員なんだから、仕事をどれだけ丁寧に細かくやろうが雑にやろうが、給料は変わらない。
子どもや保護者、周りの先生方に信頼は得られても、給料は変わらない。

だからこそ、必要最低限のエネルギーで効率よく働くことが大切なんだと思いました。

仕事に力を注ぎ過ぎてプライベートがスカスカじゃ、何のために働いているのか・・・


今、気づけてよかった



わたしの夫は、楽しみがあろうがなかろうが仕事に対するモチベーションはいつも一緒です。

わたしはというと、楽しみがあるから仕事頑張れる!タイプ。

だから、悩んだり落ち込んだりすると、仕事に対する思いが揺れる。

それってものすごーく疲れますよね!

夫に対して、尊敬の念がさらに強くなりました。笑


今、気付くことができて本当によかった。
仕事に対してのウエイトを軽くすることで、心が揺れたり疲れたりしなくなりそうです。


仕事は行きたくないとかではなく、自分の生活を守るための手段。
しないわけにはいきませんね。


それでは、また。

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