終末の使者の正体──苦悩するプレイヤー  ゼルダの伝説 夢をみる島(2)

警告!
この文章は「ゼルダの伝説 夢をみる島」または「ゼルダの伝説 夢をみる島DX」をクリアした人のみを読者対象として書いています。以下、最大のネタバレが含まれてますので、クリアしていない方はご注意ください。
 

 ゼルダの伝説 夢をみる島(ゲームボーイ対応:1993/6/6)、ゼルダの伝説 夢をみる島DX(ゲームボーイカラー対応:1998/12/12)任天堂


  ──あなたは、選ばれた者です。
  あなたの使命は、地球を救うことです。
  人間という存在があるために、いまの地球は環境破壊が進んでいます。
  このままでは、人間だけでなく、動物、植物、そして地球そのものが滅んでしまいます。
  私は、地球の意思です。私は、あなたを選びました。
  そこに、ボタンがありますね。
  このボタンを押すと、特殊なガスを搭載したミサイルが世界中に向けて発射されます。
  ガスには、人間の遺伝子のみに作用する伝染性の特殊なウィルスを仕込んであるので、
  一週間のうちに地球上のすべての人間だけを死滅させることができます。
  でも、安心して。その他の生物・生態系にはまったく影響はありません。
  それで、地球は救われるのです。
  もちろん、あなただけは助けてあげます。心配しないで。
  さあ、ボタンを押してください……。

……などと、いきなり言われたとしたら、あなたはそのボタンが押せるだろうか?
地球は助かるのかもしれないが、あなたが生活している人間が作った社会、すなわち世界は滅ぶ。あなたの愛する人は死ぬ。
あなたは、すべてを失う。なぜなら、あなたにとって「世界」とは、宇宙や地球のことではなく、あなたをとりまく人間達と、そして見知らぬ人間が作ったものによって構成される空間のことを意味するからだ。


冒頭からカルト教団の妄言じみたことを書いてしまったが(念のために付け加えておくと、上の文は私が適当にでっちあげたもので、もちろんゲームに登場する文ではない)、本文はノストラダムスとかそういうものとは関係がない。

RPGによく出てくるキャラクターに、「魔王」という存在がある。
魔王と称されなくても、多くのRPGの最後の敵は世界か人間を滅ぼそうとしている。
たいていの主人公は、それを阻止する。
世界を守るために。人間の社会を存続させるために。愛する人を失わないために。自分の生活を維持するために。
つまり、「世界を消そうとしている存在」を「消す」のが主人公の仕事である。


「夢をみる島」では、最初、主人公(※1)の行動目的は謎である。ただ、導かれるままに迷宮をクリアしていき、わけもわからずセイレーンの楽器というアイテムを集めていく。
しかし、しだいにその世界──島──の秘密が明らかとなり、主人公の役割が明かされていく。

なんと、その世界は「かぜのさかな」という存在が見ている夢であるというのだ。
その夢は悪夢に蝕まれており、悪夢を駆逐し、かぜのさかなを目覚めさせるのが目覚めの使者である主人公の使命なのだ。セイレーンの楽器は、そのために必要な道具なのだ。
「かぜのさかな」が目覚めれば、悪夢だけでなく、(その、夢の)世界そのものが消滅してしまう。 セイレーンの楽器は、世界を滅ぼす最終兵器でもあるのだ。もちろん、その行使者とは、主人公である。

主人公は世界を消すために行動しなければならない。
一方、敵である魔物達は、自分達の世界が消えてしまうことを阻止するために、ひいては自分が消されるのを阻止するために主人公の行く手を阻む。
あくまでその行動は自衛のためであり、人間を無意味に襲うわけではない。狙いは主人公なのだ。
エンディングで、世界は消える。世界そのものである島も、そこに棲む魔物も、そして、そこに住む人々も、消失してしまう。

つまり、多くのRPGでは

  魔王=世界を消す者
  主人公=世界を消す者を倒して世界を守る者

であるのに対し、
「夢をみる島」においては、

  主人公=世界を消す者
  魔物=世界を消す者を倒して世界を守る者

となっており、役割が逆転しているのだ。
つまり、主人公こそ魔王であるといえる。

どうでもいい世界なら、さほどプレイヤーは世界を消すことに悩まなくてもすむかもしれない。
しかし、「夢をみる島」では、個性あるキャラクター群を配置することによって、
世界に住む人々をそこに存在するものとして印象づけている。

マリオがモデルの愉快なキノコ大好きオヤジのタリン、「カエルの為に鐘は鳴る」のリチャード王子、「シムシティー」のドクター・ライトなど、他ゲームからのゲストキャラをはじめ(※2)、
それぞれが勝手に生きている、人々や擬人化された動物たち。
悪意を持つ人物も特に見当たらない。皆、平和に生きている。
そして、ヒロイン、マリン。

ゲーム中盤、お気に入りの場所である海岸で海を見ているマリン。そこへやってきた主人公に彼女は言う。(※3)


  このヤシのみは、いったい
  どこからくるのかな....

  うみのむこうには、なにもないって
  タリンはいってたけれど....

  きっと、なにかがあるって
  わたし しんじてるの!

  .... .... ....


  りんく  を、みつけたとき
  わたしドキドキしたわ。

  このひとは、うみのむこうから
  なにかを、つげにきたんだって

  .... .... ....


  わたしが、カモメだったら....
  ずっと、とおくへ、とんでいくのに

  いろんなところへ いって、
  いろんなひとたちと、うたうの

  「かぜのさかな」に、いのれば
  わたしのおねがい かなうのかしら

  ねえりんく  ちゃんときいてる?
  (うん)

  いつか、りんく  のふるさとに
  いってみたいな......

  なあんてね! フフフ...


間違いなく、マリンは、そして人々はそこに存在しているのだ。

その人々を、その人々が生活する島を、主人公は消さねばならない。
親しんだ者たちを自分の手で葬らなければならない。
これ以上の業を背負わされた主人公はなかなかいない。

しかし、主人公は苦悩するそぶりはまったく見せない。
無理に主人公が苦悩しているさまを演出してプレイヤーにアピールする必要などないのだ。
苦悩するのは画面の中の主人公ではなく画面の外のプレイヤーであり、苦悩するかどうかはあくまでプレイヤーに委ねられている。

その世界を失いたくないから、あえてエンディングを迎えないというのも選択肢のひとつだろう。
たとえゲームシステムに組み込まれていなくても、それを選択する権利は、プレイヤーにはある。
いつまでもクリアしないで島をうろついていてもいいのだ。

ヒロイン・マリンはエンディングで、いつもの場所でいつもの歌を歌う姿のまま、消えていく。
主人公が奏でる「かぜのさかなのうた」すなわち目覚めの歌とともに、世界は消えた。その歌を主人公に教えたのはマリンであり、最期にマリンが歌っていたのもまた、その歌であった。
主人公が最後の戦いに赴く前、マリンが主人公に告げたことばは次のようなものであった。


  りんく   いつか このしま
  でてっちゃうんだよね....

  なんとなく..わかるの...
  りんく  が いっちゃうこと。

  ..わたしのこと、わすれないでね
  わすれたら、しょうちしないから!


……あなたは、覚えていただろうか? マリンのことを。そして、あの島を。

(今回は、勇者と魔王という関係の逆転、そして喪失に対するプレイヤーの苦悩をテーマとした。
「夢の世界」という設定、そしてそのエンディングからは、あるメタファーを読み取ることができる。次回は、それに関して述べて、「夢をみる島」の話をいったん終わりにしたい)

※1 通例リンクと称されるが、主人公の名前がリンクだと言明はされていない(海外版タイトルは"LINK'S AWAKENING"<リンクの目覚め>となっているが)。名前は自由に入力でき、デフォルトもリンクではないので文中では「主人公」と称した。ただし、台詞の引用部分は自然な表現にするため「りんく」という名前にしておいた。

※2 他ゲームのキャラクターが登場することも、夢の世界であることの証明のひとつではある。ちなみにクリボー、パックンフラワー、プクプク、ゲッソー、トゲゾー、テレサなどのスーパーマリオの敵キャラも敵キャラとして登場し、カービィもなんとザコ敵として登場する。

※3 「わたしが、カモメだったら....ずっと、とおくへ、とんでいくのに」というのは、島の外に出ることができない、つまり夢の世界の存在でしかないマリンの悲哀を表現しているとともに、パーフェクトエンドの伏線ともなっている。一度も死なずにクリアすると、マリンがカモメになって歌っている姿が一瞬だけ表示される。そのシーンの解釈はいろいろあるだろうが、プレイヤーの自由である。
また、マリンとタリンは「ゼルダの伝説 時のオカリナ」でマロンとタロンとして再登場している。あるいは消えていった彼女らを哀れんだスタッフの手によって転生した姿なのかもしれない。「いろんなところへ いって、いろんなひとたちと、うたうの」とマリンは望んでいた。なぜ「時のオカリナ」でマロンがいつも歌っているのかがわかるだろう。

(1999/6/7 綾茂勝太郎)
(1999/6/10 注を修正)

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