推理するゲーム 逆転裁判

(この文章は、ネタバレをしないように書かれています。未プレイの方も安心してお読みください)

逆転裁判(GBA 2001/10/12) カプコン

     ▼推理小説と推理ものゲーム

推理小説は小説の中では(少なくとも商業的には)確固たる地位を持っている。

当然のように、ゲームにも推理ものが存在する。シャーロック・ホームズは何度もゲーム化されているし、『ポートピア連続殺人事件』『ファミコン探偵倶楽部』といった名作もあるし、神宮寺三郎というゲーム独自の名探偵もいる。


推理小説は主に、謎を名探偵が解き明かしていくものである。
読者自身もまた読みながら推理し、作中の名探偵と勝負し、ときに勝って満足し、あるいは作者の思いもよらぬ結末に驚嘆したりする。

当然のように、推理もののゲームではプレイヤーは主人公の探偵となり、事件の謎について推理し、それがゲームをクリアすることになる――ような気がするかもしれないが、これまではたいていそうではなかったのだ。


     ▼コマンド総当たりシステムの害

なぜかというと、これまでの推理ものゲームでプレイヤーが一番労力を割かねばならないことは、実は推理することではなく、物語を展開させることだったからである。

安価で、もちろん一本道でかまわない小説、短い時間で終わるテレビドラマや映画と違って、ゲームソフトは高価であり、それに見合ったプレイ時間を保証するべきだと考えられていた。

しかしそんなに長く遊べる推理ものゲームを作ることは難しい。
そこで制作者側が何をしたかというと、プレイヤーが物語を先に進めることを困難としたのである。

つまりどういうことかというと、理不尽なまでに難しい謎を仕掛けたり、通常選ぶべきだとはとても思われない意外すぎるコマンドを選択しないと何も起こらない(選ぶと偶然、何かが起こるなど)というような状況を用意したのである。

これはプレイヤーの推理力とは何の関係もない。
選ぶ必然性のないはずのコマンドを選ばねばならないということは、要は全てのコマンドを試してみろと言っているのと同じなのである。
つまり、従来の推理ものゲームの多くは、コマンド総当たりと呼ばれる行為を行わなければクリアできないゲームだったのだ。

これは、推理小説でいえば、いろいろ無駄なことをやらなければページをめくることができないのと同じだ。そんな推理小説はありえない。


     ▼自ら謎を解いて見せる探偵と、それを見て驚く読者の矛盾

しかも、ゲームでは主人公の探偵は推理しないことも多かった。
名作『ファミコン探偵倶楽部』をやったことがある人は思い出してみるとよい。
二作とも、最後まで主人公の探偵クンは犯人がわからず、犯人の方から「実は俺が殺ったんだ」と言われて驚くというような作りになっていたではないか。

これはおそらく、ゲームというメディアで推理ものをやることのもうひとつの難しさによるものだ。
プレイヤーは名探偵として自分の力で事件を解決したい。
しかし同時に、意外な結末に驚きもしたいのだ。

『ホームズ』では、ワトソンや読者は事件の真相が意外で驚くが、自らの推理でその真相にたどり着くホームズは、他人が真相を明かして驚かせてくれるという体験ができない。
すなわち、真相を明らかにする者は、明らかにされて驚く者にはなりえない。

『ファミコン探偵倶楽部』では、「真相を明らかにされて驚く者」となる快(読者の快)をプレイヤーに与えることを選び、「真相を明らかにして驚かせる」快(探偵の快)は切り捨てたのだ。


ゲームは、プレイヤーが役者(ホームズ)になると同時に、観客(ワトソン)になるメディアでもある。
他のメディアでは観客になるだけでよかったが、ゲームでは役者にもならなければならない。


しかしこの両立が困難なことも多い。
推理ものがそのひとつなのである。
プレイヤーにとって推理できる(すなわち、クリアできる)内容なら、意外な結末にはならないのだ。
ゲームと推理小説は実は相性が悪かったということになる。


そんなわけで、推理ものゲームは多数発売されているが、プレイヤーが推理の醍醐味を味わうことができるゲームは皆無に近かった。
すなわち、推理ものゲームは、実は推理するゲームではなかったのである。


     ▼推理するゲーム『逆転裁判』

ところが、プレイヤーが推理していくことによって物語が展開するというゲームが出てしまったのである。『逆転裁判』のことだ。

『逆転裁判』では、プレイヤーは主人公の弁護士を操作し、依頼者である被告人の無実を明らかにすることが目的となるが、有罪が立証されないことを立証するのではなく、テレビドラマ『ペリー・メイスン』のように、真犯人を見つけることによって無罪を証明する。
つまり、プレイヤーのすべきことは、無罪の立証ではなく、事件の真相を明らかとすることなのであり、立派な推理ものなのだ。


『逆転裁判』が他の推理ものと大きく異なる部分は、もちろん法廷が舞台なことである。
ここで、検察側の証人として、真犯人が何食わぬ顔で登場する。

主人公の弁護士は、尋問をして、その証人の発言の矛盾を指摘していく(『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』のように)。
プレイヤーはその過程で推理を行う必要がある。
どこに矛盾があるのか? と。

最初はわかりやすい矛盾を発見するだけなので考える必要はほとんどないが、しだいに、一筋縄ではいかなくなってきて、なかなかすぐには答えがわからなくなる。
しかし、推理すべき範囲が短い証言に限定されているため、何を推理しなければならないかわからなくて困るということはないところが秀逸である。

しばらく考え、答えがひらめいたときの快感。
しかしまだ当たりかどうかわからない。
Rボタンで証拠品を選び、Aボタンで決定。
「異議あり」「くらえ」などの音声と大きなふきだしが出力され、主人公の弁護士は矛盾を証明する証拠品を証人に突き付け、その釈明を求める。

そこで主人公はプレイヤーの言いたいことを忠実に(!)代弁する。
痛いところを突かれ、狼狽する証人。
これが「バシィィン!」といった感じで、格闘ゲームのようなエフェクトと効果音で演出される。

音楽も変わり、弁護側の形勢が有利となったことを物語る。
プレイヤーは、自らの推理と選択によって、法廷という空間を自分のものとしたことを体感するのだ。
この、推理することによってゲームを進めているという実感に起因する快感は、これまでの推理ものゲームでは決して得られなかったものである。きわめて秀逸な演出だ。


『逆転裁判』がうまくやったことは、事件の謎を、最後に明かされる一つの大きな謎にするのではなく、シナリオを四本に分け、しかも個々の証言の矛盾や謎といった、小さな謎をいくつも用意したことだ。

それを逐一プレイヤーに推理させ、そしてそれが正解ならば確かなリアクションを演出してプレイヤーに手応えを感じさせる。
小さな謎をいくつも設けることによって、推理が必要な局面を頻繁に与え、その推理が当たって効果があったという実感をゲーム中、プレイヤーに何度も体験させたのだ。

このゲームデザインによって、『逆転裁判』はついに、おそらく史上初めて、推理する醍醐味をゲームで実現することに成功した。
推理ものゲームは、『逆転裁判』の登場によって、ついに真に推理ゲームとなったのである。

(2002/5/8 綾茂勝太郎)

▼細かな謎と推理の積み重ねによって徐々に解いていくというスタイルは、『ゼルダの伝説』が実現したことに近いといえるかもしれない。
▼『逆転裁判』の1章・2章では、『コロンボ』『古畑』のように、冒頭でプレイヤーには真犯人が明かされるという倒叙ミステリの形式をとっている。
つまり、プレイヤーは最初から真犯人を知っているが、主人公の弁護士はシナリオ終盤まで真犯人がわからない。
プレイヤーに対して主人公は、真犯人がわからないというハンディだけではなく、推理力でも一般的なプレイヤーに劣るため、常に主人公より先を読むことができるプレイヤーは主人公に対して優越感を感じることができる。

ところが、3章では冒頭に真犯人は明かされず、プレイヤーと主人公はともに推理し、悩むことになる。そこで、プレイヤーと主人公の競争が起こる。
プレイヤーが主人公より先を読む場合が多いのは1章・2章と同じだが、たまに主人公がプレイヤーより先に、推理によって謎を解いてしまう場合が出てくる。
しかしプレイヤーは主人公に謎の答えを教えてもらうわけではない。
プレイヤーはまだわかっていないのに、主人公は「わかりましたよ。それは……」というような思わせぶりな台詞を口にし、その後、プレイヤーに発言を選択させるため、やはりプレイヤーは自分で考えなければならない。
主人公に出し抜かれたプレイヤーは、必死で推理する羽目になるのだ。

この主人公とプレイヤーの推理競争というゲームシステムも面白い。
これは、推理小説において、作者の提供する事件の情報や、あるいは仕掛けられた伏線の意味を、読者が読み取り犯人・トリック・結末などを当てようとする行為、
すなわち作中の探偵と読者の推理競争と似ているのだが、 『逆転裁判』の場合は、探偵役である主人公の弁護士と、読者でもあるプレイヤーのある種の同一性がそれをさらに面白くしている。
そして最終章である4章では、倒叙ミステリのようにも見える出だしなのだが……。

▼嘘を吐いているのは真犯人だけではない。
登場する証人はいずれも嘘を吐くか、あるいは証言しないなど癖がある者たちばかりだ。
証人ごとに謎があり、それを推理する必要がある。
話が二転三転する3話・4話は特に見所である。

▼ところで、このゲームは主に小学生向け(?)というハードの関係もあってか、かなりコミカルだったり、しばしば非現実的だったりするのだが、見た目に騙されてはいけない。
見た目だけシリアスな凡百の推理ものゲームよりも、よほど推理が必要とされるゲームなのである。

ミステリに造詣が深いキリコさんのミステリの構造と、傑作ゲーム「逆転裁判」について(このリンク2002/10/21追加)

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