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自分ごとにしたいあなたへのラブレター

『鉄腕平井、ついに年間81試合目の登板へ』
『西武・平井、投げ過ぎ問題』

違うと頭ではわかっていても、テレビから「ひらい」の音が聞こえてくると、つい反応してしまう。

年間50試合登板は、日本のプロ野球界でリリーフ投手が1つの目標としている数字なんだという。それを軽々と超えていくのは並大抵の体力・気力では務まらないんだろうな、とニュースを切り、さっき見つけた写真に再度目を向ける。

写真を撮っていた人の本命は、おそらく別の選手だったんでしょうね。あなたに合っていないピントの奥で、でも眩しそうにストレッチをしているユニフォーム姿を見ただけで、私はどこかで安心してしまった自分がいることに気が付いた。

あなたがユニフォームを着ることもなく、ただただ走り込みを続けていた2015年、スワローズは雄平選手のライト線タイムリーヒットでリーグ優勝を決めた。実に14年ぶりの優勝で、多くの選手は初めての優勝とビールかけだったと思う。
それをテレビの向こうに見つめながら、あなたは呟いたそうですね。
「知ってる人ばっかりやな」と。


2009年ドラフト4位で入団したあなたがデビューしたのは入団3年目の2012年4月。中日ドラゴンズ戦で初セーブをあげると、続く広島戦でプロ初勝利を飾り、順風満帆なプロ野球人生をスタートしたかに見えました。
しかし翌年、あなたは手術を決断します。痛みの中で投げるのはもう無理だと、投手としての再起をかけた22歳での決断。
自分が同じ歳の時に、そんな人生をかけた決断ができただろうか。想像するだけで足が震えます。

2015年優勝当時はそれからもう2年も経っていたというのに、キャッチボールもできない状態で、自分のチームの優勝の瞬間を「まるで他人事のよう」に見つめていた、と。

他人事のまま、遠くからクールぶって見つめているのは、身体も心も楽です。
でもそうしたくないから、あの熱狂の渦の中にいたいから、リハビリを続けて2016年に復活登板した時、単に仕事として投げようとしているのではないプロの意地を垣間見ました。

他人事になんてしたくない。してほしくない。

「コレがなかったら、絶対出会ってないよね」

そう笑い会える仲間と呼べる人たちが、私にもいます。きっかけはスマホのゲームでしかないけれど、あの人たちと顔を突き合わせて頭を抱えて最善の策を練る。そして得られる喜びを、大切なひとたちとの体験を、自分ごとにできる楽しさ。
一度覚えてしまうともうあとには戻れないその感覚は、自分の脳内で楽しめる麻薬のようなものだと気がついてしまったんです。

その麻薬に浸る喜びを、あなたにも知って欲しい。

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2020年2月、宮崎のブルペンで練習しているあなたに会いに行きました。
「季節のハズレのセミかと思ったよ」
金網にへばり付いてあなたを見つめていた私を、付き合ってくれた友人は笑います。
高めに抜けた球を、「ナイスボール」の声と共に受け取っている場面でした。返された白球を見つめ、息を一つ吐いてからまたいつもどおりに淡々と投げ込んでいく。2軍キャンプスタートだけどプルペン陣の状態によってはまた神宮で見れるかなと気楽に考えていましたが、夏になっても戸田でも投げていなかったところを見ると、またどこか痛めてしまったんですね。

怪我と戦ってきたプロ野球人生、10年間で5勝1セーブ13ホールド。
あなたが聞いたら怒ると思うけど、おそらく多くの野球ファンはあなたが引退してしまったらその記憶をすぐに薄れさせてしまうんでしょう。

けれど、4年前の夏1159日ぶりに神宮のマウンドに帰ってきたように、去年3年ぶりの勝利を「0で抑えて帰ってくることが大事」とサッパリ言い切ったように、今年も神宮で投げるあなたを見たかったのに。
あなたがヤクルトのユニフォームを着て、「知ってる人ばっかり」な中で優勝のビールかけを味わっている姿を見たかったのに。

そして、あなたが2016年の復帰後に言った「全部報われたわ」を、もう一度聞きたかったのに。


拝啓 平井諒様

20年後の自分を「現役選手」と言い切ったあなたへのお願いです。

どうか、納得がいくまで投げきってください。子供の頃からの夢を叶えたその姿を、一日でも長く見せてください。
投げて投げて投げきって、そしてあなたがもう腕が振れないと観念した時、グラブを片付ける前に教えてください。

今年のあなたのユニフォームを持って、会いに行きます。

それまで、サヨナラの言葉は取っておきます。

#ヤクルトスワローズ #Enlightened #swallows