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炎の向こうに見る愛のカタチ

 

#アメフラ師 として火を推すとかどうかと思う。

が、7月のnoteに書いた通り、
滝に打たれようがヤクルトは負ける。

ので。
ええ。やりましたよ。
ユニ着て護摩行を。

読む時間の無い方のために3行でまとめると
・夏にやるとしねる。もしくはミイラになる。
・愛は寛容です。
・これを90分やれる新井さん、まじ新井さん。


引き続き、お時間ある方は、コトの顛末記をご笑覧ください。 

1. Youはなにしに護摩行へ?

2. 近くにあるの、そんな場所?

3. 見よ、これが修行者たちだ

4. 護摩行デーの過ごし方

 

 

1. Youはなにしに護摩行へ?

なんでわざわざ高いお金を払ってまで護摩行をやるのかって?

わかりません(真顔

そもそも、わからないから行くんです。
行ったら何かわかるかもしれないから。
やらずにあーだこーだ言うこともできますけど、経験値に勝るものはない、と思いますし。

で、何を見つけたのかって?
そんな簡単に見つかるなら、そもそも護摩へ行きません(真顔)。


2. 近くにあるの、そんな場所?

関東近郊で日帰りでできる場所は、おそらく1か所のみ。
神瀧山清龍寺不動院


東武池袋線または地下鉄有楽町線・副都心線の成増駅から徒歩15分、わりとカジュアルな立地です。
不動明王様をお祀りしている平安時代に建立されたとても歴史あるお寺さんで、乃木大将が日露戦争出征前に7日間お篭りして祈祷をしたとか。
そして、僧侶以外が護摩壇に上がれる日本唯一のお寺、との触れ込みです。

新井さん、僧侶やったん…🤔


体験アクティビティ系サイトのAsoviewさんでネット予約し、当日は開始時間10分前着で行くだけ。
ただし、カメラ撮影をしたい場合は、事前に住職様に申し出が必要です。
また、当日も修行者より先に護摩壇に上がらないなどの決まりごともあります。
でないと、カメラが壊れてしまうのだとか(怖

関西地区には、京都と大阪で1件ずつ登録があり、大阪の方は朝早い(6:30集合!)けど、お値打ち価格な感じです。
誰か行ってきて?

 

3. 見よ、これが修行者たちだ

どこかで見覚えが・・・?

そう。例のちうにちハァンと横浜ハァンです。
実は昨日匂わせツイートをしたりしてますね。

わかるか〜い!

これで
「おっ、護摩行いったな?」
って思ったら、その人は間違いなく護摩行ヤッてますよ?

簡単に言うと、滝行メンバーそのままです。

ぶっ飛ぶ方向の合っている人が近くにいてくれるのは、本当に楽しい。そして、人生の幅は間違いなく広がる。

某インなんとかっていう位置情報ゲームもそうなんですけど、世界って思っている以上に狭いんですよ。
思っている以上に自分に似た誰かが、自分を助けてくれる誰かが、振り向けば近くにいます。 

 

4. 護摩行デーの過ごし方

決行日は、令和元年11月17日(日)。
なんと!一昨日ですね!(わざとらしい

朝10:30に成増駅集合。近いけど(滝行比)早めに行くか、と10分前に着く電車で行ったんですけどね。

乗り過ごしました(∩´∀`)∩

結果ぴったり着。
これを結果オーr( げふんげふん、リスク管理と言います。
 
東武線で来ていたちうにちハァンと先に合流し、歩きながら地下鉄から来た横浜ハァンと合流します。
  
荷物も軽い(滝行比)ので、ちゃかちゃか歩けますね。
「バスタオルとか着替えがないから今までで一番荷物が軽くて不安」
とは横浜ハァンの言。
うむ。ちうにちハァン共々完全同意。
軽すぎて、ユニもう1着入れちゃったもんね。


坂道を降り続けたのちの上り坂、あまりの案内のなさに一度は通り過ぎた小道を曲がると、そこには神社。

…神社🤔
七五三シーズンど真ん中で、親子連れが目立ちます。
いや、護摩行がこんな明るい雰囲気なはずがない(偏見
てか、そもそも目的地神社じゃないし。

と思ってたらありました、お寺に上る階段が。
デスヨネー。

30段ほどの階段を上ると、正面に本堂が現れます。

密教系のお寺さんなんですが、外観は至って普通。

向かって右手の社務所を覗き込むと、住職様らしき方が。
軽く会釈をしてから窓を開け、予約してある旨を伝えます。
そこで渡された事前の案内を読み、足が悪く杖をつきながら外に出てこられる住職様を待ちます。

本堂の前でお寺の簡単な説明と護摩行の修行着説明を受けます。てっきり修行着だけになるのかと思いきや、着てきた服の上からでOKとな。

チャンス襲来。

着替え用に案内された母屋の端スペースで修行着を身につけます。
ユニの上に。
ユニの上に。

大事なことなので2度言いました。

一緒のセットになった鉢巻を締めて気合を入れ、本堂へ戻ります。

手にはもう一枚の推しユニと傘。
ええ、あの球場で振るキラキラしたあの傘です。
横浜ハァンの手には、いつものキャッチャーマスクもあります。
護摩の炎で一緒にお祓いをしてしまおうという算段です。

通常の参拝同様に二礼二拍手一礼を済ませたのち、御堂の奥へ。通常のお寺さんでもなかなか入る機会はありませんから、一段ずつ踏み締めて上ります。
決して滑って転けないようにではありません。

御堂の中は修行者が座る部分と、護摩壇の置かれた部分と、そして最奥には鏡が納められている祭壇があります。
左右の小部屋にも観音様がそれぞれ祀られており、それを取り巻くいくつかの柱には龍が彫り込まれていました。
ここでちな竜の目が輝いたのを私は見逃してませんよ?

御堂の由来やそれに纏わる歴史を住職様から丁寧に説明いただき、そして祭壇と護摩壇の周りの蝋燭に1本ずつ、3人で手分けして火を灯していきます。

「護摩壇の中には、これから不動明王様が降臨されます。不動明王様のお姿は人間の目には見えませんから、時折、不動明王様は炎の形を変え、また雲となって、皆様の近くに寄り添っておられることをお示しになります。たとえば、そう、そこにある鳥の形に」

額に入ったその写真は伝説の不死鳥や鳳凰をかたどり、またその雲の形は明け方の空に挨拶して回る翼を広げた何か。

ちなヤクのココロは動きます。
はい、燕ですね。
誰がなんと言おうと燕です。
ペンギンは空を飛びませんからね。

こらそこ。
飛翔とか言わない。

また、不動明王様がどのように衆生を救って来られたかという話、護摩壇に上る時の手順や作法、般若心経や不動明王真言の説明を一通り聞いたのち、徐に儀式が始まりました。

火打ち石で護摩壇を浄めると、九字を切り、そして住職様は続けて印を結びます。

九字護身法、そう、「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」の九字に合わせて、毘沙門天・十一面観音・如意輪観音・不動明王・愛染明王・聖観音・阿弥陀如来・弥勒菩薩・文殊菩薩の印を結ぶのです。
最初はゆっくりと、そして徐々にそのスピードが上がり、壇上の空気が変わったことが、壇下で待機している私たちにも伝わってきます。

いよいよ護摩壇に火が焼べられます。
小さく木の爆ぜる音だけだった向こう側の世界に、護摩の油が注がれ、やがて住職様の頭を超えるほどの高さの炎が見え隠れし始めます。
高く、時に広く、住職様の背中越しに姿を変えていた炎の前へそして案内され、指導された作法に則って護摩壇へ上がります。

四方を細い注連縄で囲われた護摩壇に正対し、じっとその炎を見つめます。
向かい合って座っているちうにちハァンは、薄く目を閉じて、同じくじっと炎を見つめていますが、決してその視線が交わることはありません。

正座した膝を護摩壇そのものに直接触れ、予めお祈り内容を書いておいた護摩木を壇の中に投じます。
あっという間に紅蓮の炎に飲み込まれた護摩木を前に、その炎に宿った不動明王様を注連縄の下から掬うように触れ、そして自分の身体へ呼び込みます。

最初は頭、首、肩、続けて腕から手の甲へ、腹部、腰、足。
何度も何度も、炎から今生み出されているエネルギーを、体内へ取り込む儀式です。

そして金剛合掌と呼ばれる左手の指を一本分ずらした合掌でガッチリと手を組み合わせます。

「祈りを捧げなさい」

壇に上る前に指導を受けた通りに、目を閉じて、湧き立つ想いを、口の奥で噛み締めるように呟きます。

どうか、大好きなグッチが、もう怪我をすることなく、シーズンを通して活躍できる一年になりますように。

…俗物的過ぎる願い事です。
しかし、不動明王様は大日如来の教令輪身、つまり如来が教導すべき衆生に合わせてその姿を変え、煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしていると言われています。

最も救い難い衆生。
自覚あるわぁ...

だって。
好きなやきう選手のために護摩木を焼べて祈ることが、どれだけ煩悩にまみれた、そして倒錯し拗れた行為であることか。

もう少し普通のやきう応援は出来ないのか?と問われれば出来なくもありませんと答えますけどね。
9月で見るものが終わってしまってやることのないチーム推しに何を求めるというのでしょう。

炎から生み出されるエネルギーを、続けて掬いあげます。

「悪いところへ、特に重点的にエネルギーをいただきなさい」

これもまた、住職様に指導されたことの一つです。
そして、向かいのちうにちハァンが、特に肩に手を当てているのを、また見逃しはしません。

四十肩の治療ですね、わかりますわかります。
やがて我が身にも迫ろうかという加齢による厄災を未然に払うため、自分の肩にも同じように施しておきました。
 
エネルギーを掬い、祈る。

はじめは選手一人一人に捧げていた愛情を超えた祈りが、やがて球団全体へ、そして全やきう人とそのファンの健康、しまいには全人類の平和まで祈ってしまうあたり、炎は偉大です。

SNSで主語が大きい人はよく見かけますが、目的語が大きくなることはあまりないのではないかなとど思考が散ったこともありましたが、その間も掬い、祈りが続きます。

ただそれだけを炎に向かいながら続けること約20分、終了を告げる音が鳴らされました。

壇上に上った時と反対の動作で、壇を離れてから三礼し、そして階下に足を踏み出した時、護摩の炎から離れることで空気が冷たくなっただけとも違う、ピリッと乾いた何かが眼前を横切った気がしました。
 
続けて同じように、横浜ハァンが一人壇上にあがります。

炎の向こうに見える彼女もまた、小さく何かを呟きながら、それを見つめている気がしました。

最初に何を祈ったのかまでは聞くことはしませんでしたが、最後には人類平和がやってきた、と彼女も言うあたり、人は炎を前にして気が研ぎ澄まされると大きなことを祈りがち、ということがわかります(検体3)。


一連の儀式を終え、やがて護摩の炎は燃やし尽くすものをなくし、静かに壇の中でその生涯を終えます。

住職様は組んでいた坐禅を解き、静かに、不動明王様が天界へ戻られたこと、その祈りが想いが愛が伝わったこと、そしてこれから私たちがどうあるべきかを説かれます。
祈りの内容は俗物すぎるそれでも、それを達成するもしないも、日々の私たちの行い次第である、と。


愛は偉大です。
しかしながら、それは形を変え、深さを変え、結果、人をも変えます。


まさか自分の人生で、護摩壇を前にしてやきう愛を叫ぶ日がやって来るとは思ってもみませんでした。


頂いたお札を抱えた帰り道、電車に揺られながら眼の奥に蘇る炎を見つめて、私は静かに深い呼吸を繰り返し、思うのです。
 
ビールかけ、滝行、護摩行。
やきう的3大イベントを全て今年やり切ってしまった今、来年何するよ、と。

 
…煩悩は簡単には抜けない。
そう確信した1日でした。

#ヤクルトスワローズ #Enlightened #swallows