見出し画像

ながめくらしつ「…の手触り」~昨日の手触り~

《初演の再演》2020.10.17

駅の改札を出たところから、すでにながめくらしつの作品の中にいるようだった。雨上がりの道路を進み、湿り気のある地下道を歩いていくと案内人が前を行くあの日の映像がふと浮かぶ。

ビルの最上階へ。一歩脚を踏み入れると、そこには配信で視た空間が夜景と共に美しく広がっていた。ずっとそこにあったかのようにずっしりと。圧倒されて足がすくんだ。

今日までいろいろな『触れる』の意味を考えてきた。触れたい、触れてはいけない、それでも触れなくてはならない、触れずにはいられない。人生の様々な場面で遭遇する『手触り』。

8月の配信からは「昨日に引きずられ振り返りながらも明日を見据えて希望を見出だし、過去に思いを巡らせ未来へ思いを馳せ、大切な今という時を見つめて生きる」私にはそんなメッセージが真っ直ぐに届いて突き刺さった。

そんなことを考えながら開演前の会場をつぶさにながめつつ何周していただろうか。高揚を抑えきれなくなる。

人は過去と未来に限らず、あらゆる何かに常に触れていなくては生きていけない。


ボールの質感、リングの重なり、ティシューの軋み、地に触れる四肢五体、糸の擦れ、力強い足踏みと軽快な体の運び、呼吸、そして次の演者の気配。生だからこそ触れることのできた数々の音と振動を漏らさず魂で感じた。

案内人が静かに見届ける姿のその後方からながめる私は、まるでその影のようだった。そして私も作品の一部なのかもしれないと気づく。昨日の暗がりと明日から照らされる温かな光のその間に生きる今の私。

どこを切り取っても美しかった。ある場面では激しく力強いのにどことなく儚く脆く、またある場面ではしなやかで軽やかなのに重厚で尊厳であった。

どんなに言葉を並べたところで、この一見の感動を表すことは難しい。

絡まってはほどけ、手繰り寄せては放し、張りつめたわみ、転がって反転し。それがもがきにも整合にも、葛藤にも成長にも、はたまた流離いにもみえた。

ただひたすらに研きあげられた身体と技の数々と、豊かに澄みわたる表現と表情が自分の中での物語として組み立てられてゆき五感に深く染み込んでいった。

言語を越えた芸術が、観た者それぞれの人生に重なって見えていたのではないだろうか。

心から待ち望んでいた初演の再演の開催に立ち会えたことがこの上ない幸せであった。きっと歳を重ねておばあちゃんになったある日、人生で観てよかったと真っ先にあがる作品になったことは間違いない。

この作品に出逢えたことに心からの感謝を贈りたい。

明日にはもう今日の手触りが『昨日の手触り』に変わる。有限の中で優しく過去の自分に触れたなら、そのあとはまた始まる明日の喧騒の中へと戻っていくのだ。


こんなにも心を射抜かれた作品はない。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?