漫才師、ランジャタイに救われた話

 私がランジャタイにハマったのは2022/2/7、某好きな芸人の冠番組に彼らが出演したのがきっかけだった。あれ、M-1は見ていないの? と思ったそこのあなた。勿論見ていました。見ていたんですが、逸材揃いの賞レースということもあって、脳のキャパシティが追い付かなかったのです。

 あの時の私は、インディアンスや錦鯉の明るすぎる笑いに心を持っていかれていた。そして錦鯉の優勝を心の底から喜び、「よかったね」と親のような気持ちで安堵していたのだった。
 でも、どうしてか、あの絶叫していた白いTシャツ姿の彼が頭から離れなかった。ムーンウォークをして拍手喝采を掻っ攫っていったあの瞬間を、将棋ロボの時の異常な盛り上がりを、もう一度見たいと心のどこかで渇望していた。

 その時に舞い込んできた情報。霜降りミキXITにランジャタイが出る。ネタだけではなくトークもするらしい。これは見ない理由などないと思った。何より、好きな芸人と気になっている芸人との絡みが見られるというのはお笑いファンとしては嬉しいコラボだろう。どんな化学反応が起きるのだろうかと胸を躍らせながら視聴した。


 ランジャタイについては、M-1グランプリ2021の前からフォロイーがハマっていたのは知っていた。その時点ではただコンビ名と、フォロイーが狂ったようにハマっているということだけを認識していた。そのフォロイーはマヂカルラブリーが好きだったので、どんなすごいコンビなのだろうと期待していた。それを踏まえてM-1を見て、その期待は裏切られたようなそうじゃないような、不思議な気持ちにさせられた。いずれにせよ、心に深く刻まれたのは確かだった。


 彼らが二組の芸人を前にして披露したのは『弓矢』。黄色いジャージの彼が弓を引く動作をし、何かに突き刺す。その効果音があまりに臨場感がありすぎて、最初に感じたのは感嘆だった。すると彼は「弓矢、打ちたくな~い!?」とよく通る声で相方に同意を求めてくる。まるで意味が分からなかった。が、笑っていた。相方のやんわりとした、従来の漫才のツッコミとは一味違う言葉選びも印象的だ。そして急に登場する牛丼、弓矢をぶん回す動きのあまりの迫力。これから何が起こるのだろう。高まる期待感、高揚感。ゾクゾクした。なんだこのコンビは。そしてその瞬間、なにかずっと求めていた欲求が満たされたような気がした。不思議だった。だって、ほとんど初めて見るふたりなのに。

 「最後は笑顔で、さよならしよ!」
物凄い瞬発力で言い放つ彼。その方がいいのだという。なんで、という感情と確かにな、という感情が綯い交ぜになる。何の根拠も脈絡もないその発言が、彼の手で異常な説得力を帯びる。不思議だった。勢い任せに発せられた全力の言葉と、身体全体で訴えかけてくる気迫。圧倒されてしまった。気づけばネタは終わっていて、トークへと切り替わっていた。

 その後も黄色いジャージの人のマシンガントークは止まらない。用意されたフリップにはこれまでの経歴が簡潔に書かれている。はじまりのNSC時代に遡り、相方がある一件で退学に追い込まれた話に。気づいた頃にはトークに引きずり込まれ、相方がごみ袋を両手に膝から崩れ落ちた時の再現をした瞬間に爆笑してしまった。臨場感が半端じゃなく、本当に彼が泣き崩れた様が目に浮かぶ。そして、あの髪の長い大人しそうな相方がこんなことをしていたのか? 本当に? 今一言もしゃべっていないのに? というギャップにもまた笑いを誘われた。結局黄色いジャージ姿の彼(国崎さん)が喋り倒し、そのコーナーは終わった。

 その時、彼らのトークがもっと聞きたいと思った。この人たち、ネタも面白いけれどトークも独自の世界観で繰り広げるのではなかろうか。そして2022/2/12のオールナイトニッポン0に出演することを知った。Radikoでアラームをかけ、リアタイできたらしようかなという気持ちでいた。あと、グレープカンパニーのサイトに載っているプロフィールとWikipediaを流し読みした。そこで黄色いジャージの彼が国崎さん、髪の長い中性的(?)な彼が伊藤さんだということを知った。


 2022/2/11のザ・ベストワンに出演することを知り、録画しつつリアルタイムで見た。
ネタは『お鍋の美味しい季節になってきました』。
 冒頭で構築した流れをベースに、畳みかけるようにして身体を張る国崎さん。そんな彼の表情と声と演技力により、「アツアツの鍋を頭から被る」という絶対にありえない状況が鮮明に目の前に浮かび上がる。彼が絶叫しながら鍋を被った刹那、思わず一緒になって叫んでしまった。そこで初めて気が付く。彼が作った世界観にどんどん引き込まれていることに。

ランジャタイには夢が詰まっている。できないことなんてない。何の根拠もないけれど、確かにそう思った。

 余韻に浸りながら彼らの漫才を振り返る。
そこに残ったのは「いとおしい」という感情だった。

 何度お鍋を作っても、最終的には頭から被ったり、バチャンと飛び込んでしまう彼。「なんでぇ!?」と自分でやっておきながら顔をくっしゃくしゃにして言うその様に、なぜか感情移入してしまった。何度やっても上手く行かない。同じ間違いを繰り返してしまう。そんな自分と知らず知らずのうちに重ね合わせていたのかもしれなかった。なぜだか、泣きたくなった。
 ランジャタイは、どうしようもないゴミにも満たない私のような存在にとっての、たったひとつの居場所になってくれたのだった。


 そして迎えたANN0。粗品さんの雑談配信が終わったらその時間になっていたので、奇跡的にリアタイできた。粗品からのランジャタイ、至福である。

 もう、馬鹿みたいに笑った。国崎さんのトーク力もさることながら、伊藤さんの相槌が毎回少し斜め上なのがまたクスリと笑ってしまう。トーク内容は地下ライブの話が主で、知らない世界だっただけにどれもが新鮮で、国崎さんの手にかかればどんな話も明るく、面白おかしくなるのが不思議だった。

 トークさえせず真剣にふざけている時も(ラジオなのに!?)、二人が楽しければ私も楽しい、という過保護な思想に陥ってしまった。末期である。

 待望のメールコーナー。そこで国崎さんが機材を使って暴れ出した。公共の電波を使って暴れないで、とめちゃくちゃに爆笑したのは忘れないだろう。伊藤さんもやめなさい、なんて言いながらも一向に止める気配がなく、最終的に一緒にその状況を楽しんでいるようにも思えて、さすがランジャタイという感じであった。最高だった。


 一夜明け、私は彼らのYoutubeチャンネルに載っているネタや、生配信のアーカイブなどを片っ端から見漁った。大学生、暇である。ちなみにその時、Youtubeのコメント欄を見て、ファンたちが国崎さんのことを「国ちゃん」、伊藤さんのことを「伊藤ちゃん」と呼んでいることを知った。彼らが、より一層いとおしくなった。

 M-1で披露した『風猫』も、番組で見た『弓矢』ももう一度見た。伊藤ちゃんの心配するようなツッコミが堪らなく面白い。

風猫に対する「風猫は入るよ!!」、
将棋ロボと化してしまった国ちゃんに向けた「可哀想! 相手もいないのに!」、
放り投げられた牛丼に対する「もったいない……」
などなど、絶妙にそこじゃない! というツッコミがボディーブローのようにじわじわくる。そこで思った。薄々気づいていたが、伊藤ちゃんもめちゃくちゃな世界観を持っている。だって、誰より国ちゃんを面白いと思っている相方なんだから。

 『ランジャタイもういっちょ』で、伊藤ちゃんの家に訪問する回がある。今は番組の企画で片付いてしまったそうだが、びっくりするような部屋の様子。迫りくるんじゃなかろうかというくらい本やら物やらが敷き詰められた本棚。そんな空間の中、真顔、ないしはうっすら微笑みながら奇行を繰り返す伊藤ちゃん。この時の感情を上手く言い表すことは一生できないと思うが、一つ言えるのは「怖可愛い」といったところだろうか。なんというか、狂気も度を過ぎれば圧倒されるというか。そしてそんな奇行を黙って見守ったり、彼の暮らしぶりをけらけら笑いながら受け入れる国ちゃん。相方が国ちゃんで良かったと心底思った。


 全てのネタを網羅しているわけではないが、私は『イチロー引退』が一番大好きだ。イチローの引退会見をきっかけとして、国ちゃんの引退会見をどのようにしたいかを展開していくネタなのだが、最初から最後まで勢いと迫力、そしてユーモアに満ち溢れていてまるで幸せな夢を見ているような気持ちにさせられる。多幸感。この一言に尽きる。そして『イチロー引退』は、私が国ちゃんを大好きになったきっかけのネタでもある。

 私が決定的に国ちゃんこと国崎さんを大好きになった理由は、このネタの中盤以降に詰まっている。盛大に執り行われる架空の引退会見。そこで「バニーガール! く~にちゃ~ん♪」とバニーガールが踊る様を演じる国ちゃん。縦横無尽に舞台の上で暴れまわる彼の自由さに、心が躍った。

 国ちゃんが表情を豊かにころころ変える様や、手足いっぱいに広げてバタバタ動いて一際大きな声で叫び散らかす様、それに伴って生まれる臨場感と表現力、そして間の取り方・使い方、魅せ方が大好きだ。
 身体全体で場面を表現する迫力には確実に言語化できない程のエネルギーが込められていて、見る人にもエネルギーを与えてくれるようにさえ思える。

 そして、高い演技力から来る表現力の高さにはいつも驚かされる。気づけば漫才に、彼の世界観に没入させられている。
その瞬間だけは、何もかも忘れて楽しむことができる。
世界一幸せな時間。
ありがとう。漫才師になってくれて。


 もう一つ、触れておきたいネタがある。

『くそったれ人生にさよならぽんぽん』である。

「くそったれ人生におさらばぽんぽん、笑顔の自分になれるよぷんぷん」。
……こんな語彙のあるランジャタイ、確実に誰かの人生救ってるだろうなと思った。

 私が一番胸を打たれたのは、
「今日は人生おさらばぽんぽん、でもやっぱりぷんぷんしたいじゃない?」
だ。この一言に、ものすごい真理が込められている気がした。

 私は希死念慮を常に抱えながら生きているタイプの人間だ。くそったれな人生にいつだっておさらばしたいと思ってる。
でも、心のどこかでは「生きていたい、死にたくない」と思っている自分もいる。悔しいことに。
だから眠れない夜に人知れず号泣するし、たった一つの優しい言葉に涙を流してしまったりする。つまるところ、淡く期待しているのだ。どんだけ死にたくたって、やっぱり心のどこかでは「ぷんぷん」したいのだ。

 そういう自分のことを、私は悪だと思っていた。煮え切らない自分の思考回路が情けなくて仕方がなかった。
でも国ちゃんはこう言ってくれたのだ。

「今日は人生おさらばぽんぽん、でもやっぱりぷんぷんしたいじゃない?」

なんだか、肯定してもらえたような気がした。涙が溢れて止まらなかった。

 『弓矢』の「最後は笑顔で、さよならしよ!」もそうだ。何の根拠も裏付けもないその言葉。でも、どんなにくそったれで苦しくて上手くいかない人生でも、最後は笑って終わりたいな。そう気づかせてくれたのだ。
 私も最後は笑顔でさよならしたい。本気でそう思った。
 国ちゃんから、生きる希望を、理由を貰ったのだ。
 最後は笑顔でさよならできるように、生きようと思えた。


 相席食堂、皆さんは見ただろうか。
衝撃だった。
言葉で説明するとチープになりそうなので割愛するが、エンターテインメントを通り越して最早ホラーである。人間って怖い。もう何も信じられない。そして国崎和也という人間の演技力が底なしだということに気がついて、本気で国ちゃんが怖くなった。

 そして最後。

 伊藤ちゃんが角刈りになった。

 絶叫した。


 なんというか、ランジャタイは「素」というものを晒したくないのかもしれないな、と思った。ランジャタイは、恋愛など私生活に関するインタビューでも全て笑いに変えてしまい、気付けば話が脱線しまくっている、あるいは彼らの異常さにスタッフがドン引きして終わる……というのが通例である。しかしそれは意図なく行われていることではないだろう。
 彼らの素に触れたら、あの狂ったような奇天烈な漫才の魅力が損なわれてしまうかもしれない。「でも本当はこういう人なのになあ……」なんていう雑念が入ってしまうかもしれない。だからこそ、企画の趣旨を無視してでも彼らの世界観を守り抜く。
 ランジャタイは、視聴者の「夢」を守っているのかもしれなかった。

 そして伊藤ちゃんに関しては、あの大人しい風貌に人知れず芸人魂を隠し、ふつふつと温め続けてきたのだろうなと思った。変えるつもりはないと言っていた綾波レイを意識した髪形。何十年と保って来たそれを、最後の数秒のためだけに綺麗さっぱり捨ててしまうなんて。彼には私には想像できないほどの情熱があって、それ相応の覚悟がいつでも備わっている、男気溢れる人物なのだと実感させられた。格好良かった。笑いのためにアイデンティティを平気で捨て去ってしまう潔さに、胸を打たれた。その中にも「お笑い」に根差したアイデンティティは確かにそこにあって、その芯の強さに焦がれた。

 ランジャタイという夢みたいなコンビにハマって10日が経つ。
最初こそ「ハマったらヤバそう」という理由で近づくのをためらっていたが、今となってはハマって本当に幸せだと思っている。私は世界で一番幸せ者だ。
 人生を明るくしてくれてありがとう。
生きる理由を見つけてくれてありがとう。
ランジャタイは、私のヒーローだ。

 来月、初めて生で彼らの漫才を見る。
粘って粘って掴み取った二階席。
全然見えないかもしれない。キャパが分からないから何とも言えないが、下手したら米粒くらいかもしれない。
でも、全力で浴びてこようと思う。
彼らの情熱を。
彼らの生き様を。
彼らの漫才を。








 ハマって一週間で推しが角刈りになるなんて、人生で初めての経験だった。

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