眠たかったのに眠れない夜


寝たいのに寝れないからチンパンジーの下に書くめも。


ここ最近、自己肯定感を上げようとすること、ポジティブになろうとすることをやめた。なんか、自己肯定感高く、常にポジティブでいることが理想のような気がするけど、それだと私の数少ない良さが消えちゃうことに気がついて。私自身心が弱いからこそ、心が弱ってる人に気づきやすくなるし、寄り添うことができることもある、と信じてる。変に頑張って鉄の心を手に入れると、心の強い人たちとしか合わなくなっちゃいそう。知らんけど。あとね、変やと思われるかもやけど、うじうじと考えてる時間が割と好き。うじうじしながら考えて辿り着いた先で、ハッとさせられることが私はそれなりにある。そのうじうじ期間は結局ほかの誰のことも見れてないわけやから、結局私は自己中心的ってだけやけど。やっぱり私はひとりが合うんか。

私がきっと言いたかったのは、「キミ面白い」「キミかっこいい」「キミ素敵」「キミ仕事できる」とかの、世の中に溢れる『「キミ」が欲しい』からことごとく漏れてしまう人について。例えば大学の中だけを見てそれを言ってる人に対しては、外に出たらきっとあなたを求める人はいるかもよって言えるかも。だけど、誰からも矢印を向けられないと感じてる世の中の人みんなに、どこかに必ずあなたを欲してる場所があるよなんて言えないな、なんて考えてる今日この頃。

自分が認めてほしいところを相手に認められていると感じて、初めて、愛されてると安心して思えるらしい。逆に言うと、自分が思う自分のイチオシポイントと違うところを好きって言われたら、ほんまに自分のこと好きなんかって不安になっちゃいがちらしい。今日なんかで聞いた。納得、ってだけ。確かに、「私の思う私の魅力はあなたには刺さらなさそう」って思う人からの好意は信じ難い。就職においてもそうかも。そして、自分のイチオシポイントをよく分かってない人はたぶんそれを見つけるとこから。知らんけど。

私は誰かとおる時、基本的になにも考えてない。考えられない。空気と気持ち読んでパンクしてる。人数が多ければ多いほど。誰といて何を話してるかとか関係なく。だから、そんな場で発した言葉って私の頭から出てきたものそのものではなくて、時々誰の考えやねんって自分で思いながら発してて、ちょっとストレス。まったく、どうしようもない子や。ひとりでも大したこと考えてないけど。

誰かとおる時、私とその人が、なにも心配なく、ストレスなく、ただただ相手に対する信頼と安心の気持ちだけで心が通じ合ってると感じる時、私はきっと幸せを感じる。相手の心を読まなくとも、相手がなにも考えずにただ安らかな気持ちでいることが伝わってきて、私自身もなにも考えず心の温かさだけを感じられる時間。心拍数低く、「この時間がずっと続けばいいのに」と思える心地よさが、私にとっての幸せ。
それさえ時々あれば、私は元気。そしてその時間を共にする相手は大抵、家族か大事な友達。

もう2時だ。
そろそろ、何も考えず寝よ
おやすみ

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