見出し画像

日本最南端で宿を営むおばあの話

先日訪れた波照間島で出逢ったおばあのお話です。

コロナの感染者数が増え続ける中、波照間島では感染者がでていません。そのなかで訪れることに葛藤はあったものの自分の身体の安全を確認し、いざ出発することに。

宿泊先のおばあは宿を経営しているがために、島のひとたちから「あんたんとこは大丈夫なのか」と心配されることも。島民500人程度の島で、食べていくためにせねばならぬ仕事と、島の安全と、大きな葛藤の中で過ごしながらこの1年を過ごしたという。

「お客さんの声を聴いて信じて受け入れる。それだけさ〜。こんなときに来てくれてありがとう。」と言ってくれた。
※現在、非常事態宣言が発令されている地域からの宿泊はお断りしているそうです。

私ができることは、島の人を不安にさせないこと。それとめいっぱいの感謝をあらゆるかたちで伝えることだと思いました。

おばあは「早くコロナが収まって、常連さんに会いに来て欲しい」と何度も口にしていました。

出逢って最初にお手伝い

チェックイン早々「足が痛くてね。しょうもないわ〜」というおばあ。一緒に洗濯物(大量のシーツ)を畳むことになりました。
「ありがとうね〜来てもらって早々手伝わせちゃったよ〜」と笑顔でけたけた笑うおばあに一瞬で心を許すことに。

島では皆が自立し、尊重しあっている

宿泊客は私だけ。おばあとふたりっきりの3日間でした。

夕方になると、居酒屋を経営してる島人ややきびがり(さとうきび)を終えた人がおばあのもとにやってきて、たわいもない話をします。そして19時前になると、夕日を見にそれぞれまた海へ向かう。

小さな島では、お互いの信頼と尊重が自然体に存在していました。人の噂話にも毒がなく、「ただ在る」「有り難い」そんな調和の雰囲気が流れています。

居心地がいいとはこのことだな〜と感じながら飲むオリオンビールはとっても美味しかったです。

島の自然だけでなくひとが魅力的

おばあは今年83歳。宿を20年以上経営している。宿を始めることになった経緯も話してくれたが同じ女性としてとても尊敬できた。

おばあの話を記事にしていいかと聴いたところ「恥ずかしいので名前は出さないで」ということを条件に了承してくれた。ありがとう。

価値在る情報のシェアという目的で記事を書いています。この記事を目にして波照間に興味を持ってくださった方、おばあにはもちろん、小さな島の暮らし、アイデンティティに迷惑がかからないよう配慮をお願いします。

ぜひ波照間に訪れる際は、島の自然や天気、アクティビティだけでなく、島に住むひとのストーリーにも注目して欲しい。

注意点としては島に行く時点でヤモリや、クモや、ゴキブリや、古い洗面所でのシャワーなどは覚悟のうちであることは前提です。

お客さんに怒ったはなし

まだおばあが宿を始めてすぐの頃です。「若い女の子が虫を嫌がってあんまりにも泣き叫ぶものだから、未熟だったわたしは怒ってしまった」とおばあは話してくれた。

「その日の夜は眠れなくて眠れなくて、でも次の日は普通に接したのよ。おはよう、昨日はよく眠れた?って。」

なんかもう、このふたつのセリフだけでおばあの器の広さというか、なんというか大事な何かを学んだ気持ちになった。

「ここは、自然と共存する島なのよ」とおばあはゆっくり話してくれた。

学校で用務員をしていたはなし

沖縄が日本に復帰するまでは、学校に水道もなかったらしい。

学校で用務員として働いていたおばあは、先生方のお茶をつぐためにタンクから水を毎日運んでいたそうだ。

印刷もコピー機がないのでガリ版を使って一生懸命すっていたそうだ。それは教員ではなく用務員さんの仕事だったようで。

「私の働いてる学校は、子どもたち皆ダブレット持ってるよ」に「ひえええ〜」と驚いていました。

飲み屋もない島では、退勤後に職員室で先生方が飲み会をするのが日常だった(今ではアウトですね)

その、片付けを、当たり前のように朝早く学校にきて朝の会議の前に行っていたそうだ。

「なんで。自分の食い散らかしたの自分で片付けないの?先生でしょ?」とつっこむと「まだまだ男尊女卑の社会だったのさ〜。」とおばあ。

そうかあ。

「でも、色々な面白い先生たくさんいて、楽しかったさ〜。だからいまこの仕事できとる。いろんなお客さんくるからさ〜」

「いまお客さんのおかげで幸せさ〜。仕事なくなったらぼけるさ」

そう語るおばあは本当に可愛くてかっこよくて素敵でした。

「おばあさ。おばあが今私にしてくれてるお話、とても貴重だしすごく価値のあることだと思うのね。これもっとたくさんのひとに私、伝えたいよ。」

そう言うとおばあは「はずかしい〜。いやあ〜」としぶってはいたが私の懇願になんだかんだで承諾してくれることになる。ありがとう。

日本最南端の碑は、学生が建てたはなし

画像1

沖縄県の本土復帰前の昭和45年、ここを訪れた日本縦断の学生が島でアルバイトした資金で立てたコンクリート製の記念碑である。

このときの記事を、思い出を、島のひとは大切に持っている。そのときのリアルな思い出を語れるひとは少ない。

世の中にはめちゃくちゃにかっこいい人がたくさんいる。

かっこいい価値在るストーリーをたくさん持っている。

戦争の体験もそうだし、被災の経験も。

でも実はどこにでもある日常の中にもたくさんの宝物になるようなストーリーが存在している。

最南端のおばあと書きはしたものの、彼女は当たり前の日常をずっと過ごしてきた日本の女性であることに変わりはない。仕事をしないと食べていけないし、子育てだってしなければいけないし、時代に応じて一生懸命生きてきた。

だけどそのストーリーが私を感動させたことが事実だ。おばあの宿の常連客はそれがたまらなくて、おばあが大好きでこの島に訪れる。

会いに行かなければ出逢えない

SNSやネット上ではすごいひとにたくさん出会える。でも、おばあのようなひとたちは表に出ないし、それを望んでいない。

そういうひとたちに出逢うには、自ら行動し逢いにいくしかないのだ。

そして、こちら側も受け取る感覚を持ち合わせている必要がある。たまたま話してくれたおばあのはなし、たまたま二人っきりの3日間でなければ、コロナでなければ聴けなかったはなしかもしれない。

私が学校で働いていると口に出さなかったら、職員室の話しはしてくれなかったかもしれない。

本当の豊かさって、お金じゃない、数字じゃない。お金や数字が大事じゃない、嫌いというわけではないけれど、そこを目的とした豊かさを求めるのは非常にもったいないと改めて痛感した。

この世界にはまだまだ、宝物がたくさんある。

おばあ、ありがとう。

私も誰かを偶発的に感動させられるストーリーを刻んでいくよ。


最後まで読んで頂きありがとうございました。

応援と感謝の連鎖を広げていきましょう。意義のある資金に使わせて頂きます。