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ブログは自分のためにある。

自分のことを話すのが怖い。
これが好き、これを見た、今これを作ってる、こう思ったとか。プライベートで何してるのか、どう思ったか話すのが苦手。今もこうやって書いてることが怖い。

好きな人にはまだ言いたいこと言えるけど、何かを説明するのが、嫌い。めんどくさいというか、内容に責任取れないっていうか。

アメブロもやってみたけど、続かなくて、やめた。
noteの方が見た目がシンプルで美しいので、こちらを選択、やっぱり見た目って大事。

案外書いてみると、書けないこともないな、ワクワクする記事じゃないけど、思ったことを書いていく。自分の好きなものや続けてることを書いていこうと思う。

子宮委員長はるちゃんの頃から大好きで、本やDVDもたくさん持ってる。今も恋愛講座受けてる。

ブログの言葉をそのままコピペするのでなく、あえて、自分でまとめながら打ち込む。昔よく村上龍のエッセイの文章をノートに書いてた。そうするとグッと心に響くように思う。一言ひとことが細胞に染みると思う。

以下は引用文と私のこと。
書くネタはあるのに、怖くてパソコンに向かえず、書けない。自分の心情をありのままに書くことが怖かったり、変に考えすぎて疲れてて。
思いのままに書くって、自分の大人げなさ、不甲斐なさ、情けなさ、崖っぷち度、ずるさ、腹黒さを表現(開示)すること。
でもそうすることで、周囲にどう思われてるかをとっさに考えてしまう。怒られる、注意される、無視される、叩かれる、嫌われる、見放される、見下される、落胆させる、傷つける。
誰に!???まじで誰に!????
上司?先輩?家族?他人?そうだったとしても、その恐怖の根元を辿ると、親だったりする。私の場合はお父さんだな。お母さんのことはずっと見下しているみたい。お母さんの方が話をするし、仲良いんだけど、お父さんは緊張して、怖くてうまく話せない、考え方とか好きじゃない。だから、怒られないように、注意されないように、無視されないように、叩かれないように、嫌われないように、見放されないように、見下されないように、落胆させないように、傷つけないように、頑張ってきた。親から褒められるような、親が誇らしくいてもらえるような、娘でいたかった。逆に、そうなれないことが辛かった。生活は自立できても(できなくても)、実は精神的に親から自立できなくて、親の代わりに褒めてくれたり、怒ってくれる人を社会に求める人もいる。私も生活は自立してるけど、父親代わりの人とずっとお付き合いしている。親に満たされなかった承認欲求を、今度は社会や上司や先生や友達やパートナーや家族に求める。私は病院の師長さんやお稽古ごとの先生や彼氏によく求めてる。もっと私を他の生徒より大事にしてほしいって。
大人になるって、承認欲求を自分で満たすこと。なんだけど、50代、60代、70代死ぬまで他人に求める人もいる。それは公害だよ、ずっと子供のままなアダルトチルドレン。承認欲求って、自分で満たし続けても、実は終わりがない。なのに、他人に求めて満足いくわけないじゃん。
自分の大人気のなさ、自分の不甲斐なさ、自分の情けなさ、自分の崖っぷち度、自分のずるさ、自分の腹黒さ、を表現できた時点で、自分で認めたことになる。言えるは、癒えるってこと。悪い人や、できない人に思われたくない、そう思われるのが怖くてブレーキがかかったりする。私は自分のプライベートを話すことで、職場の人に自分のことが知られて裏口叩かれたり、バカにされたりすることがどうしても嫌で、自分の好きな商品をおすすめしても、違うってそうじゃないって言われるのが怖くて怖くて、嫌われるのがどうしても怖くて。人より前に出るのが怖くて、目立つのが怖くて、職場では仕事を振られないようにあえてできない人を装っているんだと思う。できる自分を隠してる。
ブログは読む人のためにあるんじゃない。自分が表現するためにあるの。だから、いつまでも自分のために書いて欲しいです。頭の中の嫌いな母親、父親を消して、自分が自分の理想の親になるといいよ。どんな時も寄り添ってくれて、見守ってくれて、褒めてくれて、慰めてくれる理想の親。

わたし、本当は心の底ではお父さんが大好きで大好きで、お母さんはお父さんに養ってもらって、でもその分自分の意見は通らないから言えなくて、そんなお母さんにはなりたくなくて、看護師を選んだ。今はだいぶん自分の意見が言えるようになったお母さんだけど、やっぱりお父さんの下にいるんだなと思う。そのことが羨ましいとも思う。

親神話ってあってさ、理想の親の元で育った人って皆無だと思っています。親のことは、ちゃんとうらめ〜と思ってる。子供の仕事は親を嫌うこと。(好きなら楽だけど)。小さい頃を思い出したら、むかつくことないかな?もうあなたは大人だ。わけのわからない現象に怒られないように、注意されないように、無視されないように、叩かれないように、嫌われないように、見放されないように、見下されないように、落胆させないように、傷つけないように、って恐れを抱き引っ込んでしまうのは愚かです。自分の心くらい、自分で整理しやがれ、と思うわけです。自分の泣く場所くらい、自分で作りやがれ、と思うわけです。わたしはね、自分の未熟さや弱さを表現できる大人が溢れる社会になれたらと思うよ。
いい人ぶるのやめよ、いい人だから。できる人ぶるのやめよ、できる人だから。逆に、悪い人ぶるのやめよ、よい人でもいいから。できない人ぶるのやめよ。できてもいいから。贅沢ってやっぱ自由だし優しいと思うよ。皆さんの理想の社会はどんな社会?
ブログは自分を整えるセラピーだよ。それがそのまんま自分ビジネスになるよ。
わたしが伴奏者になるので、止まってる人は再開しよう。まだ始めてない人は一緒に始めようよ。願いや夢とか、ノートに書くのを止めてブログに書こうよ。ブログに書くって、世界に開示すること。ノートは人の悪口を書くためにある。
ブログは誰かに伝えるために書くのでなく、自分の説明を自分にするためにある。

さやちゃんの文章を打ち込むことで、ダイレクトに響いてくる。
書くことで、わたしって全然人の話を聞いちゃいないんだなってわかる。
ここまでに何日もかかった。ブログが書けないっていう人は、誰かのブログを引用していいよ。一緒に始めよう。書いたブログを音読してみたよ。読み返しながら、イタイのイタイのって。でも気持ちいい、やっていこう。一歩ずつでいい、続けていこう。

ayayankuroronn

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