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自分を直視する。

今日はお稽古の日で、その前に大好きなLondon Tea Room でモーニング🥪☕️
ゆっくりできて美味しくて大好きなお店です。3月からジムのプールに通う予定だったりと何かとお出かけして楽しく過ごしています😍といいながら、もう3日経っています。

八木さやちゃんの恋愛講座、やっぱりすごい。こころにドンって響く。このブログは何度読み返してもこころに沁みる。


以下は引用文とわたしが思ったこと。
パンジー飛ぶけど、うまく結果の出ない人との違い見つけた。優しさや丁寧さが足りないんだと思った。自分の実力や、現実を直視する能力、それらを把握するって自分への優しさだと思うんだよね。それをなくして、パンジーだけ飛ぶ人を見ては、すごく腹立たしかったのは、自分自身に対する暴力だから。お金を稼ぎたいのはわかるけど、自分自身を視る視力がない人がたくさんいる。自分自身を知ることへの怠慢。自分自身に乱暴な人がこんなにも居る。
自分を直視できない、自分を直視したくない、それはきっと、使ったお金の領収書を整理できない、整理したくないと同じなんだよね。当たり障りのない綺麗事ばっかり言って、自分のクソ民さを隠して生きる寂しい人がこんなにもいる。わたしのところにこんなに居るってことは、世の中にどれくらいいるんだろうって。自分がこじれてるのをわかってて、それでも自分を諦めたくない人が居るだろうから、そのために恋愛講座を始めました。自分のマインドの汚さ、自分の心の汚さ、自分の体の汚さを直視できない人に、理想を叶える資格はないんだよ。その点では、わたしは誰よりも自分の汚さを拾っては発信してきた。だからその証拠にアンチもたくさん居るんだよ。
嫌われることを恐れて、除外されることを恐れて、傷つくことを恐れて、自分の本音や意見や想いを表現できない人に、願いを叶える資格はないんだよ。その、重ーいところを、無重力化できない人が自分の本気の理想を叶えられるわけがないんだよ。その、自分を直視するルーツが、恋愛なんだよね。
恋愛したくないって人は、恋愛がしたくないのではなく、女は痛い自分を思い出したくないだけだし、男は弱い自分を見たくないんだよ。でも、痛みの裏っかわにしか快楽はないし、弱さの裏っかわにしか強さはないんだと痛感しました。

わたしいま、絶賛興味津々の気になってる好きな人がいるんだけど、その人にもっとわたしのことわかってほしい、知ってほしい。今まで頑張って積み上げてきたもの、看護師人生や健康について、わたしの信じてるアイテムとか、好きなものとか、考えとか。本当はその人に直接もっと話したいんだと思う。でもそんな時間限られていて、恥ずかしくて、言えなくて、このエネルギー、この思いをブログに書いていけばいいんだ。だってその人に色々話してるわたしを想像してほくほくしてるんだもん、わたしってどうなんだろうって、その人に聞きたいの。で、これからどうしていったらいいか、聞きたいの。
こんな妄想してること、痛いだけなんだけど、でも止められなくて、妄想してる時間が至福の時間、甘い蜜を舐めてるみたいで。これが、「痛みの裏っかわにしかない快楽」なのかな。

そしてもうひとつ。引用するまでもなく、全文が沁みる。

以下は引用文とわたしが思ったこと。
いい子になりたがる自分と、いい子をやめたがる自分がいて、確実に言えることは、いい子な自分なんて超つまらないということだ。そんなことは誰もが感じていることで、本当は誰もがもっと「自分らしく」生きたいと思っている。「他人の期待」に応えるのではなく、「自分の期待」に応える生き方をしたいと望んでいる。ほとんどの人が自分をセーブして生きているから、どこかで必ず自分を爆発させたがっている。前向きな形で発散されればそれは時代を動かす最高のエネルギーになるが、最悪の形で発散された場合、自殺をしたり鬱病になったり過労死をしたりする。しかし、何かが「自分を出す」ことを躊躇させる。その元凶は何か。それが「恐れ」だ。他人にどう思われるのかを恐れる気持ちと、自分にはそんなことはできっこないと感じる不安だ。「他人の目線」を恐れる気持ちと、「自分には無理だ」と勝手に恐れる気持ちが邪魔をして、無難な道を選ぶように自らを動かす。結果、いつまでも「自分を出す」こととは無縁の人生を送り続けることになり、死ぬ間際になって「自分の人生は何だったのだろうか」などと悶絶する。

他人にどう思われるかを恐れる気持ちと、自分にはそんなことはできっこないと感じる不安。わたしは今お稽古のなかで、体を内観して目に見えないエネルギーを感じたり、誰かに伝えたりすることを練習してる。わたしはそういうのが全然感じない人で、本当に感じる、受け取る受容体がないんだと思う。先生にも感じないって伝えて、錆びてるだけだって言われてもそう思えなかった。お稽古中も分からなくて、わたしには自分のエネルギーで相手を癒すとか、そんなことはできっこないって、正直思ってて。でも坐法が上手くできたり、背中に手を当てて、姿勢を整えるだけで自然とエネルギーが出て、出してる私自身が気持ちよくて、気持ちよくて、ずっとしていたいと思うことができるなんて、正直びっくりした。そんな不思議なことを私ができっこないと感じる不安。「わたしには無理だ」と勝手に恐れる気持ち。今回のお稽古で、もしかしたら本当はすごくできる子なのかもしれないって思ったのでした。

ayayankuroron



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