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ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

天才…
世の中にそう呼ばれる人がいます。
その内の一人
ヴィンセント・ヴァン ゴッホの終焉の地を訪れてきました。

村の名前はオヴェール・シュル・オワーズ。
パリから電車で1時間乗ると、のどかな田園風景と、古い民家が見られます。
村を囲んでいる麦畑。

ゴッホは、サンレミ・ド・プロヴァンスの精神病院から、ここへ直接来ます。
眩しい南仏の光から、穏やかな優しい光に包まれたこの村と麦畑を一目で気に入ったことが、パリに住む弟テオへの手紙に書かれていたそう。そして、この地で書かれた彼の最も有名な絵と風景のひとつがこちら

皆さんは何を感じますか?

精神的にも落ち着いていたゴッホは、村のレストラン、ラヴー亭の二階のわずか十数平米の部屋を借ります。
小さな小さな窓が1つしかない部屋。

あんなにも光を愛していたゴッホがここで??と、思っていたら、
この部屋で日中過ごすことはほとんどなかったそう。
朝は5時に起きて、筆とキャンパスを背負い、この村のどこかで絵を描き、部屋に戻るのは日も暮れた夜。
有名なオヴェールの教会は、たった2時間で描き上げたらしい。


この話を、光の入らないこの部屋で聞いたときは、ゾクゾクしました。

穏やかな日は長く続きませんでした。
1890年、7月27日の午後、ゴッホは自らの胸にます銃弾を撃ち込みます。

自殺を図り、急所を外れ、激痛に耐えながら、ラヴー亭に戻ってきます。
翌々日、彼は37歳の短い生涯を終えました。
なぜ、自ら引き金を引いたのかは、堅く口を閉ざして今も明らかになっていません。

生涯彼を支えた弟テオは、兄が心配で、隣の部屋に住むドイツ人の画家に監視役をお願いしていました。
ゴッホが瀕死の状態にあった時も、この画家がテオに連絡をしたため、ゴッホの最期を看取ることができたそう。
しかし、そのテオも、ゴッホの死の6ヶ月後に病死しています。

2人は共に、麦畑の中にあるお墓に静かに眠っています。

結局、彼がこの地で過ごした時間は2ヶ月。
私にとっては、たった2ヶ月、と思いますが
ゴッホにとっては長すぎるほどの時間だったのかもしれない…
彼の絵が世の中で評価され始めたのは、彼の死後30年。この事すら、彼には分かっていたのかもしれない…

確かに、光に包まれた麦畑は何よりも美しくて、涙が出そうになります。
彼の軌跡をプロヴァンスから辿る度に、ゴッホの中の光と、その光が強すぎるために出来る深い影を感じます。

ゴッホといえば=光溢れる黄色
の印象が強いですが、
晩年の作品は実に青い…

天才…
光が強ければ強いほど、その闇は深いのかもしれません。


126年前に37歳でその生涯を閉じた天才画家。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。
いま麦畑にいる私と同い年です。

彼が最期に過ごしたこの村には、彼が描いた126年前と変わらない風景が残っています。

3年前に訪れたプロヴァンスのブログです
http://kotoshi30.exblog.jp/18092791/

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