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ヨーロッパ芸術祭めぐりの旅でのあれこれ 2017

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アート&カルチャー系のライターがゆく、ヨーロッパ芸術祭めぐり。 2017年は芸術祭のミレニアムイヤー! アテネ&カッセルの2会場で開催中のドクメンタ、ミュンスター彫刻プロジェク…
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#ドクメンタ14

民族や国家を超越する対話のはじまりに、アートは存在している

またも快晴だ。 長逗留しているゲストハウスで同室のアジア人の男の子たちと、毎朝晩に顔を合わせるので、なんとなく親近感が出てきた。韓国のアート学生の男の子に、どうやって欧州のアート情報を得るのか尋ねてみたら、「皆きっとSNSでつながっている友人や知人から情報を得ているんだと思う」と教えてくれ、なるほどなぁとひとりごちた。 前日までにほとんどのドクメンタ会場をまわってしまったので、市街地からは少し距離のあるWilhelmshoeheでの映像展示を観に出かけることにした。トラム

漂流する現代アートは先端を極めるべきか、裾野を広げるべきか

朝目が覚めたら、快晴の青空が目に入ってきた。早めに休んだので、身体が軽い。洗濯物を済ませて、朝の支度で大渋滞のホステルのバスルームでなんとか身支度を整えると、ドクメンタ カッセルで4つあるメイン会場のうち、まだ訪れられていなかったノイエ・ガレリーに向かった。 入り口ではパフォーマーが迎えてくれる。 彼女が紹介しているのは、黒色の石鹸。ノイエ・ノイエ・ガレリーでも展示されていたものだ。石鹸作りをアテネの企業や市民と協力しながら行ったこと、単に製品を製造するのではなく、世代を

赤いリップグロス

ドクメンタの2日目は朝からnoteの記事を書いていて、気がつけばホステルのキッチンで12時を迎えてしまった。前日に頭を使いすぎていて、身体がしんどい。もうオフモードでゆるゆるいくしかない。 ホステルを出て、北側の小さな会場をぶらぶらとめぐった。インスタレーションと映像展示がほとんどで、ラジオ放送局もあり、アテネの伝説的なバーを題材にして、夜には実際にバーになる作品もあった。 それにしても、くたくただ。もっとも北側の展示会場NORDSTADPARKで、草花の植栽でできたピラ

アートの傍では、どんな意見でも許容されることが前提だ

旅に出てから毎朝、前日の経験を咀嚼するためにひとつ記事を書くことを日課にしているが、今朝はふたつめの記事も書くことにした。それだけ、5年に一度開催されるごとに世界からアートファンを集めるカッセルでのドクメンタが刺激的なのだ。書くことで咀嚼して、経験を意識に定着させておきたい。 午後はFRIEDERICIAMという、伝統的にドクメンタの会場として使用されている美術館に向かった。ここは、アテネのドクメンタでメイン会場になっていたGreece's National Museum

ふだんは考えない「日本」に属す個として存在している感覚に、アートを通じてぶつかる

5年に一度の国際展ドクメンタ カッセルをめぐる1日はまず、郵便局を改修して今年新しくメイン会場の仲間入りをしたノイエ・ノイエ・ガレリーを訪れた。 入り口から、迫力の壁画が迎えてくれる。空想の国の物語が描かれているようだが、どうにもハッピーではない。 国土が侵略されて女性たちが囚われてしまった様子が英字の解説付きで描かれていた。歴史上一度も植民地化されたことのない日本で暮らしていると、なかなかイメージがしにくいのだが、非西洋の現代アートにおいては、植民地化された記憶からどう

アテネとミュンスターで突きつけられたのは、世界情勢や世界のアート情報が圧倒的に不足している日本と、からっぽな自分。

5年に一度、世界から人を集める国際大規模展覧会ドクメンタを開催しているカッセルまでは、ミュンスターから鉄道で3時間弱だ。昼過ぎにカッセルに到着すると、駅前にドクメンタの展示らしきものがあり、駅にもドクメンタ14の開催を示す大きなポスターがあった。マップを手に移動するドクメンタ詣での人も多く見かける。 アテネでのドクメンタ、ミュンスターでの彫刻プロジェクトと、国際大規模展をめぐってきたが、カッセルが最も展覧会に街が活気付いている。しかし、アテネやミュンスターと比べると、街がな

おおらかで品のいいデザインは、個性ある人や都市をありのまま受け入れる器になる

ドクメンタ14 アテネの会場をめぐりながら、もっと個々の作品と対話をして、それぞれの抱え持つコンセプトを味わえたらとは思うのだけれど、なんだかどこかに「グループ展だから」と諦めてしまう自分がいる。個展ならそのアーティストの問題意識や社会に投げかける眼差し、それをどう昇華させようとしているのか、プロセスも含めて、作品コンセプトがよく見える。しかし、グループ展では、基本的には1作家1作品なのだし、1作品だけを見たのではわからないことの方が多すぎると思ってしまうからだ。 そんな自

小さな肯定感で社会のひずみを乗り越えていく強さは、むくむくのファーの中にだって存在する

生きぬく力と、アートを生み出す根元的な力は同じ。私にとってのアートは、魂の光から生まれ出たものだ。そういう意味では、人間皆がアーティストだと言えるし、アーティストだからといって、ドクメンタのような国際展に選ばれるような作品を作れるとは限らない。要はつくっている本人が、作品をどう研ぎ澄ますのかが問題なのだ。そして、今回のドクメンタ14のディレクター、アダム・シムジックは、どんな風に研ぎ澄まされた作品を選んでいるのだろうか。 「47会場のうち、パフォーマンスのみの会場も多いから

アテネの街に溢れるパッションと、ドクメンタがみせる現代アート

やっぱりアテネの人たちは3人に1人の割合で、ノーヘルでバイクに乗っている。現代アートの国際展 ドクメンタのメイン会場のひとつベネキ美術館(Benaki Museum)に向かい歩いていると、大型バイクを乗りこなす、格好のいい男たちとすれ違う。ギリシャは自由と責任の国。自分も男だったら、ノーヘルでバイクに乗りたい。 アテネに到着してから、初めて向かうドクメンタの会場がベネキ美術館なのだが、THISEIOというメトロの駅から歩けると思ったら、実はかなりの距離があった。適当に方角を