見出し画像

ご報告[事故について]

先日のInstagram投稿やストーリーに
暖かいメッセージ、ご心配を数多く賜りました。

友達、お客様、生徒さん、そして家族。
沢山の方に支えられている事を改めて実感しました。

ほんとうにありがとうございます。

私の身体は軽い打撲だけでほぼ無傷です。

警察の調書も終わりましたので
改めて、事故概要をご報告します。

べつにわざわざ報告する必要も無いのですが
日々鍛錬が、どう助けてくれたのかという話でもあり

これを読んでくれた誰かの、この先の未来で
[転ばぬ先の杖]になってくれたらいいな…

という、情報共有です。

ただ、読む方によっては
過去にご自身や近しい方が味わった苦痛が
こころに蘇る可能性が、あるかもしれません。

そのような不安が少しでもある方は、どうぞ
この先は読まずに居てください。
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
雨の新東名高速、よる8時過ぎ。
走行車線を80kmきる位で走っていた私は、運転右側の窓の向こうに見えた光に、戦慄がはしった。

すぐ隣に並ぶ形で追越し車線を走っていた大型トラックが、左ウィンカーを出していた。

まさか、と思った。
早めのウィンカーか、とも思った。
しかし無情にもトラックはどんどんこちらへ寄ってくる。
どうやら私の車の存在に気づいていない。

咄嗟のクラクション、そして逃げ切ろうとアクセルを踏み込んだが、軽い衝撃音と共に私の車はスピンし始めた。

おそらく、後方を引っ掛けられたことが、回転するエネルギーになった。

回転による重力が体にかかるのを感じつつ、絶対にシートから体が離れてはいけないと思い、ハンドルを持っていた両手を思い切り伸ばし、足は踏めるところを踏ん張り、背中と頭を、とにかくシートに押しつけ続けた。

何度か横に回転したあと、おそらく中央分離帯(ガードレールではなく法面でした)に衝突し、今度は縦(ななめ?)の回転が始まった。

回転している間、頭の中は妙に静かだった。
車内の景色は、室内灯がついているかのように
鮮明に見えた。

(たぶんアドレナリン効果)

あぁ、これ、死ぬかもしれん。思ったよりあっけない最後だなぁ。痛いのかなぁ。見えてる映像が突然ぶつって切れるのかなぁ。最近いろんなことが楽しくて幸せだったから、もうすぐ死ぬのかな?って半分冗談で思ってたけど、やっぱりそうなのかなぁ。まぁそれは仕方のないことだけど、いまここ(出張施術の帰り道)で死んだら、○○さん(出張に呼んでくれた方)が辛すぎるよなぁ、うん、出来れば死なずにすみたいなぁ。

などと、身体は必死だったけど、頭はやけに冷静に様々考えていた。皆、そんなものなんだろうか。

おだやかに死を覚悟した私だったけれど、ふと、回転が止まった。

…え?止まった?わたし生きてる?ほんとに?

目の前の景色は変わらずハッキリ見えて
手も頭も足も動いた。

再起動するドライブレコーダーが見えて
ちょっとだけ客観的になる。

えっと、こういう時はまず連絡だ、どうやってするんだっけ…通話ボタン(ドライブレコーダーについてる)だっけ…

そこまで考えた時、はっ。と思い出した。
ここが高速道路上であることを。

このまま中に居ては危ない。
絶対に危ない。
後続車にいつ追突されるかわからない。

焦った。

まずは運転席のドアを開けようとした。
開かない。絶望しかけた。

いや、開かないなら反対側だ!
単純に、直感的にそう思った。

シートベルトを外し、助手席のドアに手を伸ばそうとしたとき、いま、どちらが上なのかをやっと理解した。

運転席側が下、助手席側が上の
横転した状態だった。

シートベルトが難なく外れたのは
幸運だったとしか言いようがない。

助手席のドアを、重力に逆らって開けた。
めちゃくちゃ重かった。
今でも、どうして開けられたのかわからない。

ドアが歪まずに、開く状態でいてくれたことも
幸運だったとしか言いようがない。

財布も携帯も諦めることにした。
それを探す数秒が、命取りだと思った。
連絡なんて、生きていればなんとでもなる。

もがくように外へ出て、車から離れた。
今でも、どうやって出られたのかわからない。

外に出てみたら
車が横転していたのは中央分離帯の横だった。

この間、後続の車が全て避けてくれていた事も
幸運だったとしか言いようがない。

車が途切れるのを待ち、急いで反対側の
路側帯ガードレール外に移動した。

わたし自身は見ていないけれど
(少し離れたところで待機していたので)

運転手が脱出したわたしの車は、その後
別のトラックに2回、追突されていたらしい。
.
.
.
以上が事故の概要です。
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
幸運だったことは沢山ありました。
その幸運がなかったら、重体、そして
最悪の事態もあり得たと思います。

その幸運を無駄にしなかったのは
日々の鍛錬で、自分のなかに残ったものたち。

身体をシートに押しつけ続けられたのは
鍛えた体幹があったおかげ。

すぐに脱出しなければならない、と
判断できたのは知識のおかげ。

(後日、車屋さんに言われたことで、この知識の発端は桜塚やっくんの事故だったかもしれない…と思い出しました。衝撃的すぎたあの事故の後、類似する事故の記事を見かけた時はいつもぜんぶ読んで、高速を走る時の教訓にしていました)

重力に逆らって扉を開けられたのは
やはり体幹、そして筋力。

扉を開けながらよじ登り脱出することが出来たのは
もしかしたら山登りの賜物かもしれません。

そして、渦中、かなり冷静でいられたのは
心の働きを凪の状態にする訓練、とも言える
ヨガを続けてきたおかげだと思います。

事故後、自分でスタスタ歩けたし
身体は事故なんかしてないみたいに動きました。
(それは今もです)

でも、事故が事故なので救急車で搬送されて
病院に辿り着き、検査に次ぐ検査。
全部終わったのが0時過ぎ。

事故後、約4時間ずっと
震えが止まりませんでした。

家に帰っても、しばらくは
軽くふるえ続けました。

寒かったのもあります。
でも多分、ものすごく怖かったから。

頭は冷静でも
心と身体は嘘がつけないものだなと
あらためて、感じました。
.
.
.
.
.
こんな事故に遭う人は、これを読んでくれた人の中にはまず居ないかもしれないし、むしろ絶対に居て欲しくありませんが、桜塚やっくんの事故からもらった教訓が私を助けてくれたように、この情報が何かの時に役に立つかもしれない。「怖い…」と思うことだけでも、何かのブレーキになるかもしれない。そう思って、書かせてもらいました。

長い文章、最後まで読んでいただき
ありがとうございました。

わたしは今までと変わらず、しぶとく
強気に、回復を目指しています。

もちろん、気をつけながら、無理は禁物で。

たまに心がグラグラしたりもするけれど
それも味わいながら、ゆっくりぼちぼちと。

1度死んだようなもの、だと思って
ボーナスステージみたいな人生を楽しみます。

心配して、心を砕いてくれた沢山の皆さま。
これからも叱咤激励よろしくお願いします。

身体はめちゃくちゃ元気なので
ぱっと見、事故のことが虚言かのようです。
ツッコミお待ちしています。

にわとこ
宮本亜矢

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?