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暗号人列伝:アル=キンディー

名前について

アル=キンディーに限らずイスラーム圏の人名は、何を以てフルネームとするかは難しい。見る限り最も長い名前表記はサイモン・シンの『暗号解読』に見える「アブー・ユースフ・ヤアクーブ・イブン・イスハーク・イブン・アッサバーフ・イブン・ウムラーン・イブン・イスマイール・アル=キンディー」である。他の文献ではイブン・○○が適宜略されるなどしている。ここでは「アル=キンディー」で通す。

概要

アル=キンディー(Al-Kindī, c. 801- c. 873)は、中世イスラーム世界で活躍したアラブ人の哲学者。ヨーロッパではラテン語化したアルキンドゥス(Alkindus)の名でも知られる。医学、天文学、数学、言語学、音楽など多方面にわたって著作を残した。思想面では新プラトン主義やアリストテレス哲学の影響を受け、その思想をイスラーム哲学の枠組みに組み入れた。「アラブの哲学者」と尊称される。

図1. アル=キンディー

アル=キンディーの暗号分野における活躍は、「頻度分析による暗号解読法に関する記述として現存最古のものを残した」ことである(最初に発見した人物は不明)。

生涯

801年ごろ、アル=キンディーはアッバース朝(現イラク)クーファにて、アラブの名族の子として生まれた。バグダードで学んだアル=キンディーはその学識をアッバース朝第7代カリフ・アル=マアムーンに認められ、「知恵の館」に招かれた。当時のイスラーム世界は様々な世界の書物をアラビア語に翻訳し、その知識を積極的に吸収しており、「知恵の館」はその翻訳の場であった。
アル=マアムーンの死後、弟アル=ムウタスィムが第8代カリフとして即位すると、そのもとでも活躍した。アル=ムウタスィムの子の教師も務めたという。

両カリフの在世当時は合理主義的なムゥタズィラ学派が盛んであったが、それは伝統的な世界観を揺るがすものとして批判を受けていた。次々代の第10代カリフ・アル=ムタワッキル(アル=ムウタスィムの子)はムゥタズィラ学派の弾圧に転じ、正統派神学者が勢いを盛り返す。ムゥタズィラ学派に親和性のあったアル=キンディーも迫害を受け、873年ごろ(一説に866年)不遇のうちに没した。

頻度分析

アル=キンディーの活躍していた当時に使われていたのは、単一換字式暗号である。古代ローマのカエサルの頃から千年にわたって用いられてきたこの暗号を解読するには、膨大な数(ラテンアルファベット26文字ならば$${26! \fallingdotseq4.03 \times 10^{26}}$$通り)の鍵の候補を逐一確かめねばならず、それは事実上不可能である、と思われてきた。
しかしムスリムの学者たちは文章中の文字の出現頻度にばらつきがあることを見出した。アラビア語で最も出現頻度が高いのはaとlである(定冠詞がalであることによる)。一方jの出現頻度はその十分の一である。そして学者たちは、これを利用すれば膨大な数の鍵を一つ一つ確かめることなく暗号を破れることを発見した。

アル=キンディーの『暗号文書の解読について』が1987年、トルコのイスタンブール、スレイマニエ図書館で発見された。これを図2に示す。

図2. アル=キンディーの手写本『暗号文書の解読について』の一ページ

その中でアル=キンディーは暗号解読の方法について論じている。

暗号化されたメッセージを解読する一つの方法は、もとの言語が分かっているならば、その言語で書かれた文章を紙一枚分ぐらい用意し、各文字の出現頻度を数えてみることである。再頻出の文字を「第一」、次に頻出する文字を「第二」、その次に頻出する文字を「第三」などと呼ぶことにし、平文サンプルに含まれるすべての文字について頻度を数える。
そのうえで、解読したい暗号文に含まれる記号を分類する。再頻出の記号が見つかれば、それを平文サンプルの「第一」の文字で置き換え、次に頻出する記号を「第二」の文字で置き換え、その次に頻出する記号を「第三」の文字で置き換える。このプロセスを、解読したい暗号文に含まれるすべての文字について行う。

サイモン・シン『暗号解読』より

これが暗号解読の最初の道具「頻度分析」として知られるテクニックである。

参考文献

Wikipedia「キンディー」
Wikipedia(英語版)「Al-Kindi」
サイモン・シン著(青木薫訳)『暗号解読』

出典

File:Al-Kindi Portrait.jpg, Michel Bakni, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
 アル=キンディーの肖像画(図1)。
File:Al-kindi cryptographic.png, unknown, uploader en:User:Jidan, Public domain, via Wikimedia Commons
 『暗号文書の解読について』の一ページ(図2)

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