くつひもなおしてはしるだけ
怠惰な人間なので、「自分のために」と思うとなかなか文章が書けない。
というわけで今日も我の愛する友人(以下Rちゃん)のために、という名目ができたので2回目のnoteを書いてみる。
12ステップでは「霊的な目覚め」と言うらしい。
昨夜、依存症支援を専門にしているPSWのRちゃんからきいた体験談。
私は同じ体験を内観療法から得たので、それを「他者視点の獲得」「観の転換」そこから生じる罪の意識と表裏一体である恩愛感、ととらえている。それを知ることはまさに「足るを知る」心の獲得の第一歩であり、ひとの人生の軌道を大きく変える。
「ひとは、その人が必要だと思ったタイミングでしか変わらない」
というのは根本原理であるが、今回、Rちゃんを変えることができたのは、その彼の献身的な愛の力あってのことであろうと思う。
彼が「情けない、申し訳ない」と言って自分を責めているときいて思わず「抱きしめてあげたくなるような男だねえ…」と言ってしまった。(他人の彼氏に対して何を言っているんだ)
Rちゃん程の(色んな意味での)大物にこれだけ大きな意味のある心的転換をもたらしたこと、しかも「己が鬱になって一時期実家で休む」位のコストでそれを成し遂げたというのならもう、それは大成功と呼べるのではないか?あなたの愛の完全勝利ですよ…とお伝えしたい。まじで本当に頑張ったと思うし休んでほしい。慰労されるべきである。心の中であなたを責めている敵軍の司令官のメガホンを取り上げ、殴り倒してやりたい。そいつがいる限りうつの回復は遠回りになる。ボコボコにして倒したあと引きずり出して穴に埋める。墓標をたててたまにお花を添えるおしごとは私がやるのであなたはただひたすら休んでいてほしい。
Rちゃんほどのセンスと機動力を持った人間ってなかなかいないし、私が見てきた精神科領域で地域を開拓してきたトップに立つ人物の多くはこのタイプの人だったように思う。Rちゃんの自己視点の強さが弱まること(他者視点の獲得)がなされれば、彼女はもっともっと、楽に高くとべるのに…といつも思っていた。(ただし私自身に彼女を変える力はないので内観療法にいくことをすすめたりしていた)彼女ひとりにとっても、この領域を開拓している皆や利用者さんにとっても、これはとても大きな意味のあることだと思う。
「ディスタンスが守る絆」「離れていた方がうまくいく家族」という考えは、きっと依存症界隈にいる方なら当然お持ちの発想だとおもう。力を持った人間と人生を共にするとき、疲れ切る前に定期的に距離置いて休む。あっておかしくないことだ。
次に一緒に暮らすときには(場合によっては暮らさないときには)どの様な役割分担で距離感で関係をもてばいいのだろう、そういう考えがきっと、今とこれからのRちゃんにはできるはず。変える力を持っていたのはRちゃんだが、そのための水をやり続けたのはあなただし誰にでもできることではない。
さて私はというと、昨夜Rちゃんからの様々な思いをきいたあとにも揺さぶられることもなく「なるほどそういう時かぁ」と思ってすぐに寝た。快眠。そして今子どもが登園して時間ができたので想いをはせてみる。今日彼を見送りにいくとしたら、空港だろうか?
昔、ものすごく好きで好きで好きで好きで仕方なくて心身溶かした男が地元の福岡に帰ることになったとき品川駅の改札で「ちょっと行ってくるけ」と言われ。相手の姿が見えなくなったあと「いつまで待たせるつもりなの」と人目をはばからず号泣した、あの時の気持ちと一緒だろうか。そう思ったら突然こみあげてきた。私は埼玉の、狭い賃貸マンションの一室で一人勝手に泣いている。2人は今どうしているだろうか。今夜どのような気持ちでそれぞれの夜を過ごすのだろうか。
「ハイヤーパワー」が「運命」と似たような定義だとしたら、それはなんだかんだで、「意志」の干渉を大きく受けるものではないかと思う。
自分の半身のような人間と一時的にでも離れることは辛くさみしくその感情は、本来避けようがないことではないか。紛らそう振り払おうという計らいをやめその上で「でもやるんだよ!」と今やるべき責務を果たすそれが「あるがままより他に仕方ない」私たちの生き方であり、結果としてついてくるのが「運命」なのではないかと。
私自身は相変わらず空っぽで、パワーやクリエイティビティを持たないただのダウナーな人間である。それでも、感情と相対するだだの「意志」や「考え」でしかないその人の思いが、私と言うトンネルを通してみるとなぜか「そこに少しの光がみえる」
そう思ってもらえるような力は昔に比べて、多少なりともそなえることができてきたように思う。
まあ、何が言いたかったかというと、本当に微力ながら、私も、ここにいますよ。
今は物理的にそばにいてあげることも、事業を手伝うこともできないけど、まあなんとなく、ここにはいます。
なんか長くなっちゃったな。〆よう。
かつてのRちゃんが「一銭にもならない」「意味がない」と思ってきた「応援」と似たようなものかもしれませんが、大好きだった舞城王太郎の小説のセリフからの引用。
「愛は祈りだ。僕は祈る。」
Rちゃんがこれから、何より〝自分のため〟に「彼の幸せ」を祈り続けられますように。
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