見出し画像

サムライたちよ

ギターによる弾き語りが好きだ。
数年前から、このスタイルに取り憑かれている。

もちろん、多彩な音色たちと協力しあいながら表現するバンド形式も悪くない。それにはそれの魅力がある。僕の青春時代を彩ってきた音楽たちは、たいていがこのバンド形式だった。

ではなぜ、今になって弾き語りなのか。

気づいてしまったのだ。
ギター1本、我が身ひとつで音楽という世界と斬り結ぶアーティストのかっこよさに。
ひとりで世界を創造してやろうというその心意気の高潔さに。
ヒキガタリストたちのその姿は、どこか侍を彷彿とさせる。

だから僕は、波田陽区の「ギター侍」という惹句は、けっして的外れなネーミングセンスではないと思っている。

閑話休題。
そんな弾き語りを自分でもしてみたいと思い立ち、数年前にアコースティックギターを購入した。
この歳になって新しいことを始めるワクワク感と、挫折せずに続けられるかという不安を両手に抱え、どうにかこうにか今までやってきた。
技術的にはまだまだ初心者に毛が生えた程度だけれど。
少なくとも「音を楽しむ=音楽」というのであれば、立派に音楽をしていると胸を張ることができる。

ここに至るまで、正直、挫折しそうなことが何度もあった。
周りと比較して落ち込むこともあった。
自分がやっていることに意味を見いだせなくなったこともあった。
ただ自分が楽しめれば、そこに意味などなくてもいいというのに。

そんなときだ。
比較すべきは他人ではなく、過去の自分なのだということに気付かされたのは。
啓蒙してくれたのは、SNSで出会ったギター仲間たちだった。
彼らに直接アドバイスをもらったというよりは、奔放に弾き語る彼らの姿に刺激を受けたのだ。
僕と同じように悩みを抱える仲間も少なからずいた。
しかしそれでもみんな、辞めなかった。
悩み、もがき、落ち込みながらも、弾くことを、語ることを、諦めなかった。
年齢や性別に関係なく、弾き語ることに情熱を捧げた仲間たちの輪の中に混ぜてもらえたからこそ、今でも僕は自分のギターを手放さずに済んでいる。
彼らのおかげである。

そんな仲間のひとりが主催したライブを配信アーカイブで観た。
当初の予定では直接会場に足を運び、客席で鑑賞する予定だったが、直前になりどうしても外せない用事が入ってしまった。残念!(©️波田陽区)

主催者含め、総勢5名(プラス1名)の演者によるパフォーマンスは想像していた通りに素晴らしく、だからこそ生で観られなかったことに対する悔しさも大きかった。次こそは、と思うものの、残念ながら事情により次は当面やってきそうにない。
人生ままならないことが多々あり、またそれを受け入れることこそが人生なのである。今思いついて適当にそれっぽく言った。

それぞれの演者のパフォーマンスについて詳細に語ると長くなるので割愛するが、特定のアーティストのカバーをとことん追求して熱のこもった演奏を披露してくれた人も、大きな緊張を背負いながらも力強く青春を歌いきった人も、確実なテクニックでハイクオリティのオリジナルソングというごほうびを観る人に与えてくれた人も、iPadを紛失するという事態に見舞われ、失意のどん底からクソむずコール&レスポンスを要求してきた歌うまヒキガタリストも、すべて素晴らしかった。

そして主催者。
実は、彼女はライブ当日まで長引く風邪による体調不良に悩まされていた。
加えて自身初めてのライブ主催というプレッシャーもあったのではないか。
不安だったと思う。しんどかったと思う。
それでも、彼女はやってのけた。
愛する家族と、信頼すべき友人のスタッフと、温かい客席とで形成されたスクラムに守られ、やってのけた。楽しんでのけた。
本当にすごいと思う。情熱大陸は密着しておくべきだった。やっちまったなTBS。

先ほども触れたが、彼女の主催するライブは当分ありそうにない。
もしかしたら、もう一生その機会は訪れないかもしれない。
しかし、いつの日か。
もしかしたら、いつの日にか。
彼女がまた、ライブハウスに電話をかけて会場を押さえる日が来るのなら、その日まで。
僕は僕の刀を研いで待っておこう。

その日が来るまで、笑顔のまんまでいようと思う。







最後まで読んでいただきありがとうございます(^-^) 少しでも気に入っていただけたら、スキを頂戴できるとありがたいです。